Too Emotional Brain 4

“食べないように努力してみよう”と初めて思ったその人間は、アジア人であった。

僕がその国の人間と話をしたのは、その女性が初めてである。

その女性からは、僕の国に住む女性たちからは感じられないような、不思議なオーラを感じた。

正直、東アジアの女性たちを、見た目だけで、どこの国の出身かを見極めるのは、僕にとってはかなり難しい。

しかし、その女性の、さりげない動作や、表情や、雰囲気みたいなものを目にしてから、これは、その国特有のものなのだろうという事を、なんとなく理解した。

彼女は、笑う度に、その口元を白く小さな手で覆い隠した。

その動作は、なんともかわいらしく感じた。


「君は、すごくシャイなのかな。」

僕は、素直に思ったことを、彼女に聞いてみた。

「シャイ?んー。そんなこともないわよ。」

不思議そうな顔をして彼女が、どうして?と尋ねてくる。


僕はその彼女の「どうして?」が好きだった。

彼女の『Why?』の発音は、幼い子供が、この世界のあらゆる物事に、

なんで?どうして?と質問をしてくるような感じとすごく似ている。

それを聞くたびに、僕の耳が心地よさを感じ、脳が意味深に反応した。

どうやら僕には、まだ自分でも気づいていない不思議な性癖が多くあるようだ。


彼女とその河岸で話しをするのは、もうこれで3回目であった。


「これまでも、よくここへは来ていたのよね?」

「うん。」とだけ答え、君と出会ってからはここへくる頻度が増えた、という事までは言わなかった。

「不思議ね。私もここへはよく来ていたのに、あなたの姿を見かけたことはなかった。あなたは背が高すぎるから、嫌でも視界に入り込んできそうなのに。」


彼女がたまに皮肉を込めて言う冗談が、僕は好きだった。


「今日は、どんな人を食べたの。男の子?それとも女の子?」

とか

「人喰いにも食事のマナーみたいなものはあるの?私の国では割とそういうのが厳しいのだけれど。」

とか

「私は美味しくなさそうだから食べようとしないの?」

とか。

その冗談を聞く度に、僕はなぜか安心すると共に、少しだけ心が痛くなった。

彼女が僕を、すっかり信用しきってしまっていることに。

この場合は、信用というよりかは、僕がまさか人喰いであるという事に、惜しいところで気づいていないだけ、というのに近いのだろうけれど。


「今は、感染している可能性もある人間もいるから、安易に食事ができなくて不自由だよ。」

とか

「僕の両親は、食べ物で遊んではいけないと僕に厳しく注意をした。だから、君の事はもう食べ物としてみる事ができないね。」

とか言って、

彼女のその冗談に冗談のふりをして付き合った。しかしすべて事実である。



もうこの国では、ほとんど感染者は出ていない。

しかし外を歩く人々は未だにマスクを着用していた。

マスクをしていない人など、一人もいなかった。

本当に、一人もいない。

全員が口元を白い布(または青や、そのほかの色)で覆っているさまは、なんとも異様であったが、その異様な世界と、異国からやってきたエイリアン同士である彼女の存在に、僕の胸は高揚せずにいられなかった。



僕たちは話しをする時だけ、お互いにマスクを外した。

別に、話し合って決めたルールとか、そういうんじゃない。

自然とそうなっていたのだ。

”縛りつける”という感覚とは異なる、ルールみたいなものに、僕は心地よさを感じた。

そういった意味での、お互いの”ルール”が多い恋人同士というのは、きっと幸福に違いない。




今日も僕がベンチに腰かけて、ぼんやりと異形な橋を眺めていると、彼女が静かに隣に座ってきた。


そして僕たちは、ゆっくりとマスクを外した。






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