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シリーズ かくれ念仏

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【連載】かくれ念仏/No.21~どなたかにご指導いただきたいこと~

【連載】かくれ念仏/No.21~どなたかにご指導いただきたいこと~



●どなたかにご指導いただきたいこと

かくれ念仏のことについて学習する中で、どこで見たか聞いたか、出典がわからなくなってしまったことがある。まことに恥ずかしく、反省すべきことなのだが、どなたかご存じであれば、お教えいただきたい。

ひとつは、鹿児島の真宗禁制は、ずっと厳しかったわけではなく、或る藩主の時には桜島に真宗寺院を建立する話があったということ。結局この話は実現しなかったのだが、これが果

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【連載】かくれ念仏/No.20~かくれ念仏 語呂合わせ~

【連載】かくれ念仏/No.20~かくれ念仏 語呂合わせ~

●かくれ念仏 語呂合わせ

鹿児島藩の真宗禁制について、現存する記録上の禁止年は1597(慶長2)年である。語呂合わせで覚えるなら「以後(15)、苦難(97)の真宗禁制」。

解禁年は1876(明治9)年5月9日で、「人(1)や(8)っと南無(76)阿弥陀仏をとなえらる、極(5/9)楽浄土の信教自由」。

大谷派は同年11月1日、松原町大門口近くの料亭 春風を借りて、東本願寺仮掛所の看板を掲げて開

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【連載】かくれ念仏/No.19~大口の一向一揆~

【連載】かくれ念仏/No.19~大口の一向一揆~

●大口の一向一揆

九州は全国平均に比較して、一揆のような農民の騒擾は少ないという。
鹿児島純心女子短期大学教授で尚古集成館館長、鹿児島県立図書館館長などを勤めた芳即正先生の研究によると、〝薩藩における抵抗運動〟は「愁訴嘆願、不確かなものまで含めて19件、薩摩国5件、大隅国11件 (ほとんど奄美諸島)、日向国3件」でいずれも江戸期のものだという。しかし、この数は、最低これだけは確証があるというだけ

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【連載】かくれ念仏/No.18~川辺の真宗信仰の由来と、或る二つの西郷論~

【連載】かくれ念仏/No.18~川辺の真宗信仰の由来と、或る二つの西郷論~

●川辺の真宗信仰の由来と、或る二つの西郷論

『大西郷の悟りの道―「敬天愛人」とキリスト教」(坂本陽明 著/南方新社/2015年)という著物がある。西郷の思想が儒教(特に陽明学)に拠ると考えられてきた定説に対し、本書は、西郷とキリスト教の接点を丹念に検証し、西郷のモットーである「敬天愛人」を、陽明学とキリスト教との止揚であると論じている。

 この本では、川辺地域の真宗信仰の起こりについての言及も

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【連載】かくれ念仏/No.17~知覧の佐多兵右衛門 — 念仏の聞こえる杉林 —~

【連載】かくれ念仏/No.17~知覧の佐多兵右衛門 — 念仏の聞こえる杉林 —~

●知覧の佐多兵右衛門 — 念仏の聞こえる杉林 —

知覧に佐多兵右衛門という念仏者がいた。
真宗信仰の嫌疑で捕らえられ、役人が「絵像はどこにある」と迫るも、本尊の隠し場所を白状せず、53日に亘って棒で打擲され全身不随になった。

その後、兵右衛門を救うため、親族が偽絵を差し出して許された。(偽絵は頴娃の浦芝原出身で、日向の福島に逃散していた荒嶽史郎兵衛が描いた)

時は流れて15年後、上方から布教

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【連載】かくれ念仏/No.16~真宗信仰の奇跡~

【連載】かくれ念仏/No.16~真宗信仰の奇跡~

●真宗信仰の奇跡
垂水の柊原には、「ドンデン仏」という谷があり、昔の人が隠れて真宗の法座を営んだという伝承があるが、この谷から身を投げても阿弥陀仏の加護で死にはしないという伝承もある。これは民間の中で信仰にまつわる事象が奇瑞化していったものと思われる。

本願寺の親鸞伝にも数々の着色があるのだが、地方にいくと、親鸞のカリスマ化や神格化、真宗の魔術化や秘教化によって、親鸞の念仏によって死んだ魚が泳ぎ

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【連載】かくれ念仏/No.15~真宗の田植え歌~

【連載】かくれ念仏/No.15~真宗の田植え歌~

常陸国那珂西郡大部郷(現在の茨城県水戸市飯富町)に伝わる、親鸞聖人がつくったとされる「お田植え歌」は有名である。

鹿児島にも似たような歌がある。
『愛蔵版 県別ふるさと童話館㊻ 鹿児島の童話』(リブリオ出版/日本児童文学者協会 編)という本には、「かくれ念仏の里」(山下町子)と題された話が収録されており、その話によると、現在の鹿児島県湧水町栗野にも真宗由来のお田植え歌があって、真宗禁制下ながら代

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【連載】かくれ念仏/No.14~鹿児島の真宗民語その6~

【連載】かくれ念仏/No.14~鹿児島の真宗民語その6~

講頭・番役
講頭(こうがしら)は講の代表者。「本尊持ち」や「法頭人」とも言い、方言では「講頭殿(こずどん)」とも言う。一組に二、三人の講頭がいた。
番役(ばんやく)は各地の御座の世話役。
薩摩の講は数個ないし数十個の小寄講が集まって一つの講を組成している例が多い。小寄講は数戸ないし十数戸の講員で構成されている。

御順在
本願寺門主の消息が各地の講を順にまわって、披露して廻ること。講の本尊が小寄講

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【連載】かくれ念仏/No.13~鹿児島の真宗民語その5~

【連載】かくれ念仏/No.13~鹿児島の真宗民語その5~

曖昧僧

禁教中の南九州には有志の僧がひそか布教に来ており、西本願寺も使僧を派遣していたが、真宗解禁後はこれらの潜伏僧を「曖昧僧」と呼んで非難した。

というのも、これから政府とともにやっていこうという矢先、過去に公儀に反して禁足地に僧侶を送っていたとなると、本願寺は信用されなくなってしまう。そこで、「薩摩に布教に出た僧侶は、本願寺としては与り知らないもので、私的に本願寺の教えや納金をしていたよう

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【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

仏壇・本尊のさまざまな様式

かくれ門徒は公に仏壇を設けられないので、本尊をいたるとろに隠して拝んだ。

神棚を装った仏壇(都城歴史資料館蔵)、一見ただのタンスに見えるが、上部を開くと仏壇になっている「タンス式仏壇」(真宗大谷派鹿児島別院大谷会館蔵)。

講から講へ本尊を移す際に魚売りの行商にふりをして使用した「お運び魚籠」(光徳寺蔵・大谷会館にて展示)。

番傘のように模った木箱の中に巻いた掛け

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【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

五劫様

真宗の本尊である阿弥陀仏の像を拝むと、容易に一向宗信仰の嫌疑がかかるので、かくれ門徒の中には法蔵菩薩の像を祀り、これを「五劫様」と称した。

なぜ法蔵菩薩像を用いたかというと、五劫思惟の修行によるあばら骨の透く姿が、釈迦の苦行像に見えるため、一向宗の嫌疑があっても、これはお釈迦様だと言い逃れられたからだという。

この像は、齊藤家の二代目、齊藤全流が鋳造し、同型のものがいくつか遺っている

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【連載】かくれ念仏/No.10~鹿児島の真宗民語その2~

【連載】かくれ念仏/No.10~鹿児島の真宗民語その2~

齊藤節

禁制下の潜伏僧の一族である齊藤家の出自は、島津藩家老(或いは藩重臣と伝えられる)であるという。

その祖は武士の身分を捨てて出家し、齊流寺釋恩暢(俗名 齊藤齊流)と名告り、薩摩に多くの講を結び、その教導にあたった。

齊流は、「薩摩諸講執事」として、西本願寺より薩摩国出身者で最初の浄土真宗の僧分に引き立てられ、後に薩摩国最初期の寺号「齊流寺」を西本願寺に願い出るなど、鹿児島の真宗の歴史に

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【連載】かくれ念仏/No.9~鹿児島の真宗民語その1~

【連載】かくれ念仏/No.9~鹿児島の真宗民語その1~

鹿児島の真宗民語

鹿児島の開教使がもっとも痛感した障害は言語の壁であったという。
現代においても薩隅方言がむずかしいというのはよく聞く話。
訳の分からない言葉を浴び続ける日々に辟易しただろうことは想像だに難くない。それはさながら国外開教である。

しかし、鹿児島には、真宗との邂逅によってうまれた独特の真宗民語(門徒ことば)もある。

土徳の籠るそれらの言葉は、〝真宗〟と〝鹿児島〟という、形而上下

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【連載】かくれ念仏/No.8~甑島の「花見」~

【連載】かくれ念仏/No.8~甑島の「花見」~

甑島の「花見」

甑島の手打には禁制の昔から伝わる花見という行事があったという。

4月20日前後、慶良間つつじの花盛りの頃、一同寄り集まって酒肴と語らいをも楽しむ一日の行楽である。

この行事のメインは『中祖伝勧録』なる、蓮如の御一代記を30座に分けた書き物を、上手な読み手に読ませて、一同熱心に聴聞することであり、この由来は御出張を装った法座であったと思われる。

郷土史家の松田利文氏の著書『ふ

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