記事一覧
百合掌篇「グロテスクの二人」
「あんたここがどういう職場だかわかってるんでしょうね?」
腕組みをしながら金髪の長身の女性が尋ねた。尋ねたというより、脅されている雰囲気だ。私は天井で稼働中の換気扇のプロペラを見上げながら、物怖じせずに答えた。
「東京都グロテス区の区役所八階。グロテスクとアラベスクを分類して整理します」
「分類までは合ってる。でも整理するのはグロテスクだけ。アラベスクを見つけたら容赦なく廃棄。項目ごと削除
恋愛掌篇「マスクガールと停電の夜」
リリコがマスクをつけるようになったのは、新型コロナウイルスの流行より何年も前のこと。両親でさえ、彼女の顔を幼少期以降はほぼ覚えていないくらいだ。リリコは時折真夜中にこっそり鏡で自分の顔を確かめることがある。だが、グロテスクな代物だ、という以上の感慨がわかない。
というか、人間は全般、グロテスクなものだ、とリリコは思う。よくみんな、マスクの一つもつけずに外出ができるものだ、と感心と疑問が同時
対話篇「僕はあの日、作家にブックオフで買ったと伝えたかった」
その日は、好きな作家、大池恵子さんのサイン会だった。僕は中学校のときに図書館で大池さんの本を読んで、その濃密な心理描写に酔い、サスペンスフルな作風に興奮して以来、全作図書館で読み漁ったくらい好きだ。
高校でも、大学でも読んだから、四十冊くらいは読んだのかな。
現在は地元の家具屋で家具製造に明け暮れる日々。まだ入社三年目だから薄給もいいところで、だから大池さんの新作も新刊では買えないけど、推
掌篇「すずめの蛸殴り」
「なんで別れたんか理由を言え」
人がええ気分で寝よったのに、がさがさした聞き苦しい声で現れて胸倉つかんで何を言いよんのや、こいつは。
幼馴染の武雄が押しかけてきたんは明け方の四時やった。どうも武雄の女房が俺と関係もちよったことを口滑らせたらしい。
なんやそれ、どうでもええがな、終わったこっちゃ。
しかもやで? 夫の武雄が「よくも俺の女房に!」とか言うならまだわかるんやけど「なんで別
恋愛掌篇小説「音になれば」
「ヨーグルトの期限、切れてたら捨てなさいよ」
たぶん乃亜は僕を責めているのだろう。出張から帰ってきた乃亜は機嫌が悪い。
期限の切れたヨーグルトと機嫌の悪い乃亜。
しかし、その横顔は謎めいている。知っている横顔だが、二日間の出張の間に作られた外の空気が見知らぬ表情を作り出す。
いっそ乃亜の言葉が分からなくなったらいいのだけれど、と僕は考える。いまこの瞬間、唐突に乃亜の言葉がわからなく
『君たちはどう生きるか』とアオサギをめぐる思考の断片
『君たちはどう生きるか』を観てからだいぶ経つのでそろそろ感想をまとめておかなくては忘れてしまう気がするが、なかなか感想がまとまらない。
それにしても世の中、なにもよしあしを急速に決める必要はないのに、公開時から即座につまらんだのわからんだのと表明したがる人が多い。
感動しろ面白がれとは思わないが、体験が「流れている」感がある。
体験は川だ。
すぐに言語化すれば、流れてゆく。自