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アレルギー持ちの我が家が保護犬を迎え入れるまでのとてつもなく長い道のり
「飼うならネコがいい」
息子が小学4年生の頃だったか、こんなタイトルの作文を書いてきて、私たち夫婦は大きな衝撃を受けた。
私も夫も、実家で犬を飼っていた。大の犬好き。いつか犬を飼いたい、それが私たち夫婦の小さな夢だった。
でも、息子は違った。4歳のときに公園で犬に追いかけられて以来、犬が苦手になってしまい、「ねこねこ日本史」で歴史の勉強をするほどの、自他ともに認める“ネコ派”になってしまった
子育ての終わりはある日突然やってくる
8月。息子が通う小学校で、盆踊り大会が開催されていた。
地域の方が協力してお店を出し、かき氷や焼き鳥、くじ引き、ゲームなどが楽しめる。
小学校低学年だった息子は、何の迷いもなく「ママも一緒に行こう!」と誘ってくれた。
日が落ちたとはいえ、蒸し暑い野外。めんどくさいなぁと思いながら、つきあっていた。
高学年になった息子は、もう誘ってはくれない。
お小遣いを握りしめて、「友達いるか
盲学校育ちの私が「フツーの会社員」になりたかった理由
私は生まれつきの目の病気(先天性白内障)で視力が弱く、小2から高校卒業まで「盲学校」で過ごした。
「盲学校」というと目が見えない子が行くところ、というイメージが強いかもしれないが、昭和50年代の盲学校は「全盲」の子は1割程度で、視力が弱い「弱視」の子が9割を占めていた。当時、身体的ハンディのある子どもは特殊教育を受けたほうがよいという国の大号令のもと、半ば強制的に盲学校入りさせられる子が多い中、
「障がいがあるから、働きたいんですか?」と聞かれてブチ切れた22歳の自分へ
「障がいがあるから、働きたいんですか?」
カメラとマイクを向けられ、そう問いかけられた。
私は明らかに不機嫌な表情になって、こう言い返した。
「みなさんは、今こうしてお仕事をされてますよね。私もみなさんと同じように仕事がしたい、ただそれだけです。」
その夜、地方版のテレビニュースで、この「障がい者を対象とした合同就職説明会」のことが報道されたけど、私へのインタビューは見事にカットされていた
中学受験を終えることができた日~ママ弁当のチカラを信じて~
「コロナ対策で食堂の座席数を半分に減らしていますので、できるだけお弁当持参でお願いします」と、息子が入学した私立中学からお知らせが届いたのは、登校スタートの数日前だった。
4月の入学式以降ずっと自宅学習、オンライン授業を続けていた学校が、7月からようやく毎日登校するスタイルになり、やっとやっと本当の意味での彼の中学生ライフが始まることに安堵する反面、お弁当かぁ、とちょっとゆううつになる働く母。
中学受験で、一番大切なこと
小6息子は中学受験に挑む。もうすぐ本番を迎える。
ここに至るまで、本当にいろんなことがあった。
塾の宿題をほとんどやっていなかったこともあったし、テストの点数が伸び悩んだこともあった。
塾に行ってなくて家にもいなくて、行方がわからなくなったことも、一度や二度ではなかった。幸い、事件や事故に遭わずに済んだものの、私の寿命は20年くらい縮まった。
試験直前の今は、受験校も決まり、日々淡々と過ご
セカンドオピニオンをとらなかった乳がん患者の真意
「こんなのなんでもないですよ。だいたい乳がんっていうのはね・・・・・・」
乳腺外来のベテラン医師は、眉間にしわを寄せて説明を始めた。
「昨今は胸にしこりがあるとすぐに乳がんを疑って受診する人が多いけど、そもそもこの位置にできるしこりはがんでないことが多い。ほら、こうやって触ってみたときに、ここらへんにできるのが乳がんで、自己診断でもある程度見つけることができるんですよ」
ベテラン医師が示した場
かわいい子に旅をさせた、その結果
「高速バス満席だから、新幹線に乗せるよ!」
電話口でそう言う夫に、私は驚いて叫んだ。
「ええっ?! だって、新幹線ひとりで乗ったことないよ!」
「でも、もう東京駅だから」
そう言って、電話は切れた。
突然やってきた新幹線ひとり旅。高速バスのときとは違い、途中駅で降りるというハードルが待っている。
小学4年生の息子に、このハードルが越えられるだろうか。
心配性で過保護なママは、自宅でひとり、
共働きにこそ勧めたい! 小学校のPTA活動
息子が小学2年生になった春、私はPTA役員に立候補した。
なぜわざわざ立候補したかというと、息子が通う小学校では児童一人につき1回は必須で、役員をやらずに学年が進むと、打診の電話がかかってくるというもっぱらの噂だったからだ。毎年ビクビクしながら過ごすより、先に任務を終えるほうが得策だ。それに学年が上がれば上がるほど、仕事が忙しくなりそうだったので、低学年のうちに、という思いもあった。
結論からい
ワーキングマザー史上、最大のピンチ
それは、息子が小1の5月のことだった。
小学生になって初めての運動会が終わり、家で息子の帰りを待っていると、学校から電話が。
おうちの人が迎えに来るのを待っていると言って、息子がグラウンドに残っているという。
大海原の無人島にポツンとひとり、船が来るのをただひたすら待っている人みたい。そんなことを思いながら、ひとりで帰してくださいと言って、帰宅を促してもらった。
思えば、これがすべての始まり
学童選びはレストラン選びに似ている
おなかすいたね。なにか食べに行こうか。何食べたい? 予算は? 歩いて行ける? お店の雰囲気は? ネットで調べてみようか。そういえばあそこのお店がオススメってママ友が言ってたっけ。
この「レストラン選び」の要素は、学童選びのそれに似ている。
学童保育、いわゆる「学童」とは、共働き家庭の小学生の放課後の居場所のこと。レストランと同じで、いろーんな形態があるし、選択肢が多い地域と、そうでないところがあ
「小1の壁」の正体は
「小1の壁」で右往左往する私は、まるで、学生の頃アパートの部屋に迷い込んできたスズメのようだった。
「小1の壁」とは、共働きやひとり親世帯が、子どもの小学校入学を機に、仕事と育児の両立が難しくなること。
私は、壁があることを知ってはいたものの、それがどれくらいの高さで、どんな材質で、どうすれば乗り越えられるのか、まったく見当がついていなかった。
「小1の壁」の最重要ポイントは、小学生の放課後の
バッターボックスに立てなかったへなちょこな私に足りなかったもの
新卒で入社して24年勤めたメーカーからIT企業に転職したのは、私が47歳の冬だった。
ITの仕事に強い興味関心があったわけではなく、副業OKの会社への転職を希望したら、それがたまたまIT企業だった、という理由だった。
なので、IT業界がどんなところなのか、不勉強のまま突入してしまった。
一言でいうと、そこは時代の最先端だった。
まだだれも経験したことがない未知の領域に踏み込んだり、最新のツール