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音楽を作るために考えていること

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#小説

留守電に殺すと吹き込まれまくっていた話

泣いて起きた日、隣りに誰かいてくれたらどんなに幸せだろうか。

起きたばかりなのになんで泣いたかも思い出せない。有り難いことにそんな曖昧な涙を拭いてくれたひとがいる。

これは本当に残念な話なのだけど、人間誰しも代わりはいる。

僕が消えても、誰の人生も止めはしない。彼が死んでも彼女が死んでも問題なく地球はまわる。100年に一度の天才が死んだとしても、地球はその天才抜きでなんとかやっていく。

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高鳴る胸をおさえて

高鳴る胸をおさえて

ベースを弾いてくれるという方がいたので、ドラムがいればリハビリが可能になった。興味ある方はtakurooohirai@gmail.comまでメールください。

「高鳴る胸をおさえて」というものが好きだ。

「高鳴る胸をおさえて」の魅力が詰まったような話に遭遇するチャンスが、最近多い。好きな話に遭遇できている。運がいい。

しかし「高鳴る胸をおさえている」ときのひとは、なぜああも誰かの心を動かすのか

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ベルトコンベアー

ベルトコンベアー

そこでしか息ができない。

そんな場所がいくつかあった。

あなたにもあるだろうか。

僕にとって、それは人生の余白のような場所だった。

無くても話は進むけど、無いと最後までいけないんだろうなとなんとなく思っていた。
息をとめたまま生きていたとき、その場所でしか、呼吸ができなかった。

そこにいるあいだは、嫌なことをすべてを忘れられた。そしてどこからも攻撃を受けないでいられた。まさしく安全地帯だ

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将来なんてなかった

将来なんてなかった

これから先「将来どうなりたい?」なんて話をすることが何度あるだろうか。

あの頃は、それを毎日していたように思う。

明日の予定なんてなかった。

でも「あしたのジョー」に出てきた意味合いの“あした"なら、自分にもあると信じていた。

大阪に住んでいた頃、僕はいつも横丁に入り浸っていた。

そしてあの時間帯はいつも「将来どうなりたい?」で埋まっていた。

0時まではサラリーマンや学生を始めとする人

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偽物の子どもたち

偽物の子どもたち

あるところに、偽物の子どもばかりいる町があった。

子どもたちは「お前らは偽物だ」と言われながら育った。彼らは本物の子どもたちのスペアだった。

別の町で、生き生きと暮らす本物の子どもたちが病気になったり、死んだりすると、偽物の子どもたちにお呼びがかかるのだ。

大人たちは口を揃えて「どんな物事にも代役や数合わせは必要だ」と彼らに繰り返した。

そして、彼らはその役割のために日々を一生懸命生きてい

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2016/08/17

13歳の頃。町の外れに小高い山があり、その頂上に廃寺があった。
毎日そこへ通っていた。友人にも知られてない町を一望できる秘密の場所だった。
一度だけ特別だぞと念を押し友人を連れて行ったが全く響かなかった。
2年後初めての彼女を連れて行った。
良いとこねと言ってくれた。何故か涙が出た。

中学三年生の終わり頃、人生初めての恋人ができた。

近所に住む素直な性格のかわいらしい娘だった。

何でも言

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2016/08/19

人間やってると生まれ変わるようなタイミングがある。
本気で悔い改めた2011年がそうだった。
悔いと改めのシンボルとして、今のバンドを作った。
本気で取り組まないと何も変わらなかった。本気を出してゴミみたいな自分を変えた。


目を覚ます。生まれ変わる。心を入れ替える。

これらは表現は違うけど、すべて同じ意味で使われる言葉だ。

「じゃあこれって実際はどういうことなの?何がどうなってそうなんの

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バーにいた変な子持ちの女の話

実社会では分かりやすいこと、明確であることが求められるらしい。

それでも言い切れるのは、世の中には曖昧さを持ってしか話せないようなこともあるということだ。

そしてその中にこそ、本当に大事なものがあるんじゃないだろうか。

あの頃、そんな曖昧さを求めて逃げ込む場所があった。

商店街の中にある小さなバーだった。

ジャックジョンソンがいつまでも流れていて、マスターは無口だったが、綺麗な店だった。

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ストリートライブをしていたら女の子と出会った話

ストリートライブをしていたら女の子と出会った話

大阪に住んでいた頃、毎日のように高架下で歌っていた。ストリートライブというものがやりやすい街だった。

ふつうに暮らしていたら会えないようなひとたちと出会った。

よかった思い出もあるけど、飲んで、モメて、争って、借りて、奪って、奪われて、壊して、壊されてだって繰り返した。

僕も態度が良くなかったし、今よりも苦しかった。だから、むかしに戻りたいわけじゃない。

だけど、ひとにはそ

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あしたが無い人たちの話

これから先「将来どうなりたい?」なんて話をすることが何度あるだろうか。

あの頃は、それを毎日していたように思う。

僕たちは明日の予定は無いのに、「あしたのジョー」に出てきた意味合い"あした"なら自分たちにもあると信じていた。

横丁のあの店の、あの時間帯はいつも「将来どうなりたい?」で埋まっていた。

0時まではサラリーマンや学生を始めとする人々が店をにぎやかす。
だけど日付け

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メイドカフェでバイトしてた時の話

四月の夜、僕はまた路上で歌っていた。

もう昼夜問わず暖かくなっている頃だったので、ずいぶんやりやすくなっていた。

高架下で、誰も知らない歌を歌って、知らない酔っ払いが少し聴いて、すぐに去っていく。そのルーティンは心地良かった。たまに声をかけてくれたり、お金をくれるひともいた。

その日も延々と歌っていた。

しかし気がつくと、誰も高架下を通らない時刻になっていた。

誰も聴いていない時間も嫌い

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