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Netflixの革命を受け入れた時、「映画」は次の時代へ進める

【『ROMA/ローマ』/アルフォンソ・キュアロン監督】

果てしなくエモーショナルな、圧巻の映画体験。

2時間15分にわたって、激しく揺さぶられ続ける感情の動きに、もはや言葉が追いつかないとさえ感じてしまった。

それでもあえて、「寡黙」にして「饒舌」なこの映画について、言葉にして表すならば、

今作は、静謐なモノクロ映像でありながら、僕たちのあるがままの日常を鮮やかに彩ってくれる。

ドラマチックな劇伴を排し、どこまでも抑制の効いた音響設計でありながら、命の躍動、そのリズムを高らかに響かせてくれる。

そして、特に前半、意識的に追いかけなければ輪郭がはっきりしないほど、極めて曖昧なストーリーラインであるにもかかわらず、今作は、輝かしい確信をもって、僕たちの人生を称えてくれる。

そうした数々の矛盾を秘めたNetflixオリジナル作品『ROMA/ローマ』が、ある日、配信と同時に全世界の映画ファンに届けてしまったのは、そう、言葉を失いかけるほどに「新しい」映画体験だったのだ。

こういったアート系(と捉えられてしまう)作品は、観客に対して一定のリテラシーを求めることが多い。しかし今作は、極論、初めて映画を観るという人をも含め、全ての観客の感情を等しく、そして激しく揺さぶるだろう。

何度でも書くが、それは、今作が届けるのが圧倒的に「新しい」映画体験だからだ。

全ての構図、カメラワークが完全に計算し尽くされているにもかかわらず、ありのままの日常が「ただ、そこにある」という自然な装いをもって描かれていく。

あまりにも美しい一つひとつのシーン、それらの繋がりこそが「生活」であると伝える今作は、観る人の人生観をも変えてしまうかもしれない。

アルフォンソ・キュアロン監督が過去2作品(『トゥモロー・ワールド』『ゼロ・グラビティ』)において、完全に極め上げた「長回し」という撮影手法も、今作のいくつかの重要なシーンに、恐ろしいほどにリアルな「息遣い」を与えている。

また、全編モノクロでありながら、6K・65mmデジタル・シネマカメラ「ARRI ALEXA 65」によって撮影された今作は、極めて鮮明に、時に残酷なほど克明に、キュアロン監督がイメージする「過去」を映し出す。

そして何より素晴らしいのが、そうしたキュアロン監督の執念にも似た数々の映像表現の全てが、儚くも尊い、僕たちの生き様という「物語」を紡ぐために成り立っていることだ。

僕は、その「物語」にこそ、激しく心を揺り動かされてしまった。

そしてその体験こそが、エンターテイメントとしての「映画」の本質だ。(だからこそ今作は、決して単なるアート系作品として切り捨てられることはなかった。)

この作品を鑑賞してからしばらく経つが、いつまでも壮絶な余韻が心に残り続けている。改めて書くが、こんな映画体験は他では味わったことがない。

今作は、Netflixオリジナル作品、かつ全編スペイン語の作品でありながら、今回のアカデミー賞において、作品賞を含む最多10部門でノミネートを果たした。

僕はそれを、決して過大評価だとは思わない。

他の候補作を全て観てはいないので、もちろん断言することはできないが、おそらく『ROMA/ローマ』は作品賞に輝くだろう。

そしてもし、外国語映画賞とのダブル受賞を果たすことになれば、それこそ前例のない歴史的快挙だ。

いよいよ来週に迫ったアカデミー賞の発表を、今から期待して待ちたい。


※本記事は、2019年2月21日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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