記事一覧
「短歌人」2024年5月号掲載作品
春の日
ミュシャの絵を見れば思ほゆ棺桶に寝てゐたといふサラ・ベルナール
絵の前にたたずむ人も絵になりて常設展のモネの「睡蓮」
歌ひながらショパンを弾けるピアニスト「猫のワルツ」を幸せさうに
制服のスカートすこし寒かりし春の日ジョルジュ・サンドを読みき
公園に夕暮れは来て遊具らはめいめいの影曳きて静まる
樹木へと歩みを進めゆくときの気後れに似たためらひひとつ
暮し分かちあはざる逢ひは美
森比左志さん歌集『月の谷』
2018年11月9日に、大好きな絵本『はらぺこあおむし』(エリック・カール作)の翻訳を手がけた児童文学者の森比左志さんが逝去されました。森さんは、わかやまけんいちさんらと「こぐまちゃんえほん」シリーズの集団制作もされています。
逝去を報じる新聞記事で、わたしは森さんが歌人としても活動されていたことを知りました。
短歌と児童文学の両方が好きなので、ぜひ森さんの短歌を読んで見たいと思ったのですが、
「短歌人」2024年3月号掲載作品
ポタ
ぽつぽつと零す言の葉カフェラテのカップを覗き込むやうにして
空つぽになつて何かを待つてゐる誰かではなくあなたでもなく
冬の朝のひかりとともにかき混ぜるコーンクリームポタージュスープ
ポタージュのポタの部分が旨いのだ木のスプーンがさう言つてゐる
ぽたぽたと落とす涙はくやしさのなみだ ここから出られぬことを
ここは何処ここは辺境おほごゑに泣いたところで届かぬほどの
ひとまへで号泣を
「短歌人」2024年2月号掲載作品
モモ
切り抜きはエンデの死去を告ぐる記事函入り本の『モモ』に挟まれ
一刷の発行年は一九七六年わが生まれ年
祖母逝きし雪深き冬くり返し読みたる『はてしない物語』
美しい二冊の本が書架にあることを支へに生き延びて来し
引越しや蔵書整理の幾たびを経て残りたるエンデの二冊
暗記するほど読みしゆゑもう読まずされど手放すこともできない
モモは桃。桃は生命のシンボルと知らざるままに名づけしエンデ
三十首連作「いつか明るい」
たくさんの「いいね」がついた投稿にゆびさきあててわたしも媚びる
さくらもちさくらもちつて買ひにゆく食べるためよりアップするため
白鳥が北へ帰つてゆくを撮るスマホかざして首をそらして
ほんたうの気持ちはどこにあるだらう仰いだ空を雲が流れる
感情もきれいになるといいのにと手を洗ふたび思ふこのごろ
雪の下よりあらはれて春あさき散歩の道にあまたのマスク
桃始めて笑ふの候にかくてがみインクのにじ
「短歌人」2024年1月号掲載作品
ボンボン
てのひらにのるボンボンの缶ひとつまこと小さきものは愛おし
ボンボンをしづめし紅茶ほんのりと香りをたてて三時をまはる
懐かしい未来の匂ひ古びたる雑誌の隅の星占ひは
ときとして記憶の底になるあれは祖父母の家のぼんぼん時計
北に居て北を恋ふこと ゆつくりと舌の上にてボンボン溶ける
ハッカの香嗅ぎつつ憶ふ若き日の旅といふ旅、海といふ海
横浜と神戸の記憶が混ざるのは港の風と洋館のせゐ
「短歌人」2023年12月号掲載作品
うさぎ
秋の陽が差しこむ窓に近く読む絵本の中のうさぎの愁ひ
ラズベリーいろのうさぎのぬひぐるみ抱きて眠る淋しきときは
ミッフィーの表情のなき丸き目が哀しき日には哀しげに見ゆ
子ぐま座が月のうさぎと恋をする童話を書きし高校時代
陶器市に一目ぼれせしお茶碗のもやうは紺の波うさぎなり
色とりどりのうさぎの耳のやうだねと舞ひ散る木の葉見て言ひし人
南天の実と葉と雪の小さき塊きのふ雪うさぎのゐ
「短歌人」2023年11月号掲載作品
お気持ち
だつて夏は冬へ向かつてゆく季節 熱中症はさみしさのせゐ
環境に優しい簡易包装のお気持ちですよここにサインを
耳鼻科医の趣味はピアノといふ噂おもひつつ耳診てもらひをり
婚姻は何も解決しなかつた遠い花火を数へる夕べ
でも今日もモーツァルトを聴いてゐる他のすべてを忘れるために
雨垂れと本と紅茶と詩の話すこしづつずれ恋愛談義
詩を見せることは自分を見せることあなたにだけは見せない所
「短歌人」2023年10月号掲載作品
濃淡
心には濃淡があり濃い方の心で人を憎んだりする
ゆつくりと時間をかけて煮込みゆく君がわたしにくれた嘘たち
紫陽花の青に溺れてゐる人が写真を撮つてくださいと言ふ
珈琲を断ちてをりたるある朝全細胞が珈琲を乞ふ
ブックカフェ〈赤居文庫〉に小半刻寺山修司のメルヘンを読む
てきたうに料理することできなくてレシピなぞるもうまくいかない
テレビでは土井善晴がにこやかにささがきごばう指南してをり
「短歌人」2023年9月号掲載作品
「記憶と忘却」
画廊の女あるじの銀髪の、卯の花腐し降つてゐる午後
水芭蕉さがしにゆきてみつからず水のほとりに私が咲かう
はつなつの遠い記憶の教室に万人祭司説を知りたり
紅い花あをい花咲く忘却の森へとつづく道の傍ら
抱かれてゐても抱いても寒かつた淋しさばかり分け合つてゐた
晴れた日は気持ちがよくて大さうぢ昔の人の手紙も捨てる
無防備に喉を見せつつ青空の破れた箇所を指さしあつて
(同人