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ぜいたく貧乏の陶酔

ぜいたく貧乏の陶酔

先日、森茉莉の『贅沢貧乏』を読んだ。すさまじいエッセイ集だった。

昭和30年代、変色したぼこぼこの畳、色あせた壁、トイレも流しも共同の風呂なし安「アパルトマン」に住む、かつての令嬢、茉莉さんは、強烈な美意識でもって毎日を陶酔のなかに暮らしている。

戦前はお手伝いさんに顔も髪も洗ってもらう生活だったのに、いまでは痰を吐き散らし半裸で廊下をうろつく胡乱な住人たちとおなじ流し台に並んでお茶碗を洗う暮

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ムーミン谷の冬

ムーミン谷の冬

「この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生きものとかね。その人たちは、一年じゅう、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとして、……たいていのものが冬のねむりにおちたときになると、

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信じる者と刺客の対話

信じる者と刺客の対話

スピリチュアリティとか信仰の話が、もうちょっとふつうに、株式市場や心理学や年金の話と同じようにされるようになってもいいのにな、と思う。

スピリチュアリティというのは、うまい訳語がないのだけれど、自分とセカイのありかたをどう考えるか、精神をどこに置くか、といった方面の話題だ。

神様や魂の存在を信じるかどうか、という話でもある。

「信じる」側と「信じない」側が出会うと、もう宿命的に、どちらかが正

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岡本太郎の日本(2)

岡本太郎の日本(2)


『日本の伝統』が面白かったので、前作の『今日の芸術』(同じく光文社、初版は昭和29年)も読んでみた。

芸術はバクハツなのか
この本での太郎さんの主張の要は、芸術とは人の精神を自由にするものであり、誰もが芸術をもつ生き方をすべきだ、なぜならそれが人間の根源的喜びだから、ということ。

いわく、芸術とは常に先駆的で、「見るものを圧倒し去り、世界観をくつがえし、生活を変えてしまう力をもつ」ものである

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岡本太郎の日本 (1)

岡本太郎の日本 (1)

岡本太郎の『日本の伝統』(光文社)を読んだ。

「近ごろ世の中がチンマリ落ちついてきました。新しいものにぶつかって前進していくというよりも、一種の無気力さから、すべてが後もどりしているのではないか、という感じです」
(『日本の伝統』光文社 35P )

序文からいきなりこれである。
この本が書かれたのは1956年、昭和31年。
敗戦からたったの11年後。『三丁目の夕日』よりも前の時代だ。

「チン

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くだんの話

くだんの話

「顔が人で身体がウシの動物の夢をみた」

と、朝、息子が言った。

うちではよく夢の話をする。うちの息子(25歳)はたいへん良く眠る。幼稚園児かと思うくらいよく眠る。さっきまでデスクに向かって仕事をしていたかと思うと床に突っ伏して寝ていることもある。そしてよく変な夢を見る。

人の顔をした牛は、内田百閒の短編にでてくる。「件(くだん)」という名で、生まれて三日目に予言をして死ぬという運命の動物であ

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地霊に恋する

地霊に恋する

『東京の地霊』というタイトルをきいて、『ムー』系の話だと思った人はいないだろうか。

わたしも思った。

でも著者の鈴木博之さんは工学博士で、東京大学名誉教授だった建築学史家。(2014年に亡くなっている)

この本は、東京にある13か所の土地や建物について、その場所とそれを所有していた人々、そこで生活していた人々が江戸期から明治・大正・昭和をとおして経験してきたドラマを掘り下げている。すんごく面

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わたしがわたしに気づくには

わたしがわたしに気づくには

前回、ちょっとながながと『意識と自己』を読んでの要点と感想を書いてみたのだけど、意識がどこから生じるかっていう部分の仮説についてはスルーしてしまったので、その部分だけもう一回まとめてみました。

進化の中で生まれた意識:チェシャ猫の笑い
意識はどこに宿るのか。

大昔からいろんな賢人たちが頭を悩ましてきた問題だけど、脳神経学者のアントニオ・ダマシオ教授が『意識と自己』(講談社、Kindle版、20

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時間のなかの動的な存在&まとめ (『意識と自己』その5)

時間のなかの動的な存在&まとめ (『意識と自己』その5)

ダマシオ教授は、「原自己」が生まれるのに必要なシステムは、脳幹核、視床下部と前脳基底部、島皮質、S2皮質、内側頭頂皮質などだと考えているが、ただし、これらの箇所に原自己が宿っているのではなく、原自己は「脳幹から大脳皮質までの多くのレベルに、神経経路により相互に結ばれたいくつもの構造の中で」多種多様の信号から、「動的に、継続的に生み出されている」と考える。(『意識と自己』Kindle の位置2674

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わたしの中のわたしの雛形(『意識と自己』その4)

わたしの中のわたしの雛形(『意識と自己』その4)

人間の身体には、細胞内の化学的特性と変化を感知してホルモンを分泌したり、腸、心臓、皮膚、血管などの平滑筋を収縮させたりして、身体を生存に適した一定の状態に保つための無数のシステムがあり、絶えず微細に連係しあっている。

ひとつひとつは「ほとんどがゲノムにより先天的にさだめられた」はたらきをする部品からなる、いわば複雑な交通システムみたいなものだ。

そしてその全体が脳と連絡をとりあっていて、脳内に

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意識の三層。
(「意識と自己」その2)

意識の三層。 (「意識と自己」その2)

ダマシオ教授は、人間の意識は大きく分けて

原自己(proto-self)
中核意識(core consciousness)
【ここに中核自己(core-self)と
自伝的自己(autobiographical self) がある】
拡張意識(extended consciousness)

にわかれている、という説を提唱している。

「私は、意識も注意もさまざまなレベルで起きていて、一枚岩で

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認識が感情? (『意識と自己』その3)

認識が感情? (『意識と自己』その3)

ダマシオ教授の説で一番面白いのは「認識は感情である」と喝破しているところだと思う。

そもそも情動・感情とは何か。

ダーウィンやフロイトは19世紀に情動を進化の文脈でとらえ、基本的な情動がいろんな生物のあいだに共通して見られることを指摘したが、それ以降、哲学でも科学でも情動はまともな研究対象として見られてこなかった、とダマシオ教授は指摘する。

哲学の世界でも神経学や認知科学の世界でも、情動とい

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わたくしという現象:アントニオ・ダマシオの「意識と自己」(その1)

わたくしという現象:アントニオ・ダマシオの「意識と自己」(その1)

意識や思考は重箱構造
意識や思考というのは、ミルフィーユみたいに、何重にも重なった構造になっている。

自分で自分の状態に気づいていなかったことに気づく、ってことは誰にでもわりとよくあるのではないかと思う。

イライラしたり急に不安になったとき、その原因を正確に特定できないのはふつうだし、自分が何かの強い感情に圧倒されているのにぜんぜん気づかずに生活していることだって珍しくない。

自分の感情や、

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シュタイナーの神智学

シュタイナーの神智学

スピリチュアル系で安直に引用されてる感の大きい、シュタイナーの神智学。

古書店でふと目にとまったので、この際読んでみようと思った。

ちくま学芸文庫、高橋巌訳。

原書の初版は1904年に書かれ、ヨーロッパで版を重ねたもの。1922年の「第9版のまえがき」もこの文庫版に掲載されている。

もっと難解な本なのかと思っていたが、意外にとても読みやすかった。

前半は「人間の体の本性」「人間の魂の本性

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