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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話 月・霜」
連歌はおもしろいものである。前の句と次の句が連なって、しかも各章は自然に流れて、意(おもい)は変わり言葉変わるといえども、情景に通じ合うものがあり、彼より此れを生じ、甲より乙に行き、或いは直に行き、或いは横に流れて、転々と遷(うつ)り移って窮まることが無い。
この巻は私が庵の閑な折々に、取り止めない雑談を多少の因縁の糸の牽くに任せてそれこれと記したもので、題して聯話と云う。ただ古人の独吟
幸田露伴の随筆「無題」
無題(無題で出来ました。無題にして置いて下さい。)
〇
むかしは朱引きの内外(うちそと)と云った。今は市部と郡部とを分けて市中と郊外とに区別するが、江戸から東京になり、東京から大東京になって、住民は日々に多く、住居は月々に増えて、朱引きの区分はとっくにその実質を失い、市と郡の境界もすでに名だけのものとなった。昨日の柴垣は今日のなまこ塀に変わり、ハンノキに霞のかかる野原も煙突から黒煙を吐く
幸田露伴の随筆「潮待ち草49・50」
四十九 戦
人間界における戦争は自然界における雷雨のようなものである。陰陽の調和が破れて上昇と下降の吊り合いを失えば必ずこの上もない大雷大雨が起って、そしてその後に初めて天は澄み、地は潤って、草木は佳気をおび鳥獣に喜色の現われるのを見る。利害が相反して情理の通ずるところ無ければ必ず忿戦忿争の一場面があって、そしてその後に、初めて文明の光が布かれて和らぎ親しむ光景の生じるのを見る。自然界に雷雨は無
幸田露伴の随筆「潮待ち草44」
四十四 たけくらべ
一葉女子の晩年の作には何れも愚作は無いが、特にこの作品は筆も美しく趣も深くて、少しは出どころの分かる文句や、古くさい書きようなども無くはないが、全体のすばらしさは私等の眼をくらませ心を酔わせ、次から次へと展開する筋に対応するのに精一杯で、無論欠点などを挙げようなどと少しも思わせない。近頃は世の中の好みなのか、批評家の好みなのか、作者の好みなのか、不思議な小説が流行しているが、
幸田露伴の随筆「潮待ち草40・41」
四十 銭範
詩を作るのに、起句は正にこのようにあるべき、承句は正にこのようにあるべき、転句は正にこのようにあるべきと云い、抒情詩は正にこのように作るべき、叙事詩は正にこのように作るべき、劇の詩は正にこのように作るべきと云って、自分が予(あらかじ)め想っている通りに詩を作るようなことは古人の為さないところであった。今の人はともすれば詩を作るのに銭を鋳(い)るようにする。胸中にマズ一ツの範型を用意し
幸田露伴の随筆「潮待ち草36・37」
三十六 雑草
雑草と云うものはおもしろい。百坪の庭には百坪の雑草が生え、千坪の庭には千坪の雑草が生える。世がもし穀物だけで、雑草と云うものが無いのであれば、富貴な者は永久に誇り、貧窮の者は食を失う。雑草と云うものが生えるために、庭園の驕りにも限界が有るのである。そうでなければ百万坪二百万坪の庭園を造って、無駄に自分の驕りのために国土を塞ぐ者が一代に三人四人は必ずあるであろう。雑草は人間の驕りに課
盛山大臣を即時更迭して、自らが兼任して統一教会問題に当る。
と云えば支持率も上がるのだが、
岸田さんには緊急対応力が不足しているようだ。
・・・
岸田さんの答弁はアベちゃんのように揶揄することなく、
スガちゃんのように素っ気なく無く
誠実で宜しいのだが、
首相がグズではいけない。
幸田露伴の随筆「潮待ち草32・33」
三十二 髭鬚剃り
何事によらず手前へ手前へと理詰めに順序良く考える人がいる、事を行って過失少なく生まれついた人である。或いは先へ先へと心のおもむくままに考える人がいる、事を行って失敗多い人だが十に一二は意外な成功を収める人である。或いは傍(はた)へ傍へと逸れて入り込む人がいる、一生苦労して苦労の仕甲斐の無い人である。
手前へ手前へと順序良く考える人は、自ら髭鬚(ひげ)を剃ろうと思うと、マズ剃刀