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エピローグ 200313
まだ通院や薬の服用は続くものの、腎生検が終わった事で、去年夏から続いていた「余談ならぬ日々」は一先ずの終焉を迎えた。
3月13日のお昼は母のバースデーを祝い、夜は入院中見舞いにも来てくれた上海フレンドの誕生日会で、多くの上海フレンズと久しぶりに同じ時間を共有した。
再び一緒に母の誕生日を父と共に祝い、上海フレンズとは他愛もない話で馬鹿笑い。
手術当時は全く実感が無かったが、時間を経れば経るほど
ぐらんま 200309
父が生まれた昭和20年は終戦の年。
その母である祖母が生まれた大正12年は関東大震災の年。
という事でこの親子の生まれた年は覚え易い。
その祖母が昨年2月に転倒して後頭部をぶつけて以降、起き上がれなくなった。
「そのつもりでいておくように」
と言われてから早一年以上。
祖母はあの時のまま病院のベッドに寝たままだ。
「そうすけ君は友達が沢山出来るのは良いんだろうけど、友達に拘りすぎて次の1歩を中
池江さん 200219
報道ステーションの池江璃花子のインタビュー見たけど、
一度も痛いとか辛いとか弱音は吐かなかったって本当偉いな。。
俺なんか手術の後ずっと「痛い辛い」連発してたわ(^_^;
そして白血病と知って、真っ先に親に迷惑を掛けたくないと思ったって話してたのも俺の100万倍素晴らしいよ…。
でも生きる為の明確な目標やモチベーションがあればポジティブになれる的な話は120%同意ですね。
去年12月に退院した
美食解禁 200203
今日は江ノ島の話題の磯料理屋に初めて行ってみたら噂通り美味しかったの巻@小屋
手術までは減塩、低蛋白、カリウム禁止と言う
じゃあ一体何食えばええねん状態だったが、もう大丈夫なのだ。
2月に入り、昨年11月から始まった病気療養もいよいよ最後の1ヶ月。
この間に美味しいもん出来るだけ食べるっぺよ(`✧ω✧)キュピ-ン
つづく
>>実際この時期はまだ刺身のような生魚はNGだったのだが、一時期のよ
腎移植の効果 191230
退院から5日が過ぎました。
いつの間にか朝に
「あらー小林さんいい血管してるわねぇw」
と言われながら看護婦から採血されるのが日常となっていたのだが、そんなのももう無いのかと思うとそれはそれで若干寂しい(^_^;
退院後もまだ暫くは要安静なのだが、我が身体は手術前とだいぶ変わってしまった。
1.肉が食べれるようになった
→実は入院前まではタンパク質を沢山摂ることを禁止されていたのだが、手術後は
鶴×1000 191220
今日は会社の同僚が見舞いに。
勤務中の頃から既に食事制限中だったことを知っていながら、差し入れ品はチョコとお菓子とプリンにアイス…。
「こいつらやっぱり馬鹿なのか…」
と思ったところに「あとこれも」と紙袋から出されたのはなんと千羽鶴=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)
会社の皆で休み時間や空いてる時間を使って作ってくれたんだそうな(°д°)
こんなキメ細かいもの一体何日かけて作ったんだ??
つか皆ちゃ
14000cc 191213
今年3度目の手術。
全身麻酔が点滴の場所から注入されると、例の如く一瞬で眠りに落ち、、
→腹部の激痛と共に目が覚める。
よっぽど痛そうだったらしく、普段は俺に対して無関心な弟から昨日「必要なものがあれば何か買っていくよ」とLINEが入るほどw
しかし一夜明けて見ると
あれ?
先月の肺の手術の方が痛かったんじゃね?
という事実に気付く。
そう。あの時は背中と肺肋骨の間にドレーンを付けられ