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私が好きな詩

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正岡子規 明るさのなかの寂しさ

正岡子規 明るさのなかの寂しさ

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

正岡子規にすごくひかれていた。図書館で全集があり、この俳句と、それに付随する随筆で、お寺に入らなければならない小坊主と幼なじみの恋愛が描かれていた。それで小学校のころ大阪から法隆寺に行った。

今回、調べてみると正岡子規は法隆寺に行ってないそうだ。
その時もちょっと陳腐だなって思ったけど、小坊主の恋愛もまるきりの嘘だ
東大寺まで行ったが、結核が悪化して奈良旅行を引き上

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母として 和泉式部

母として 和泉式部

百人一首に小式部内侍の和歌として

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立

という歌がある。大歌人の和泉式部の娘でまだ10代である小式部内侍がある貴族にあなたの和歌はお母さんの代筆でしょうとからかわれたとき歌った和歌だ。

丹後の任地に夫とともに向かっている母は今、京都の端っこの大江山を越えて福知山の生野あたりでしょうか。まだ、便りはありませんが。丹後の天橋立辺りまで行ってないでしょうが

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詩人の希望

詩人の希望

悲歌(エレジー)

濠端の柳にはや緑さしぐみ

雨靄につつまれて頰笑む空の下

 水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる

すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

原民喜は詩人としては原爆小景の数編が残っている。
水ヲ

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実朝さん

実朝さん

世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも

師匠の藤原定家が百人一首に取った歌です。
この歌は小舟が流されて遠くいくの悲しむ漕ぎ手を描いているのですけど、世の中は平穏に動くことが少なくて、むなしいことを歌っていると思っています。世の中のありさまを歌う、こういう感覚が当時でもめずらしい。ものすごい虚無感も感じます。

ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ

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詩を読むこと

詩を読むこと

詩人の伊藤比呂美の本を読んでいたら「どうしようもなくなったら詩人になりなさい」とあった。瀬戸内寂聴さんも「小説家になりなさい」って言うらしいから半分冗談だと思っている。

それぐらい生活が大変だった時代、アートに生きることは無頼だったと思う。今回、好きな詩についてちょこっと書きたいなって思ったって、つい、調べ物をしたら、作品と作者の人格は違うと頭の中で強調しないとならなかった。でも、調べていくと、

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悲しみ

悲しみ

夏の夜の博覧会は、かなしからずや
中原中也

夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

女房買物をなす間、
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲(しやが)んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしか

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棄てられない

棄てられない

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

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詩は生きてうずく

詩は生きてうずく

3.11が近づき、震災関係の報道が続いている。そのとき、ふらちにも頭にうかびあがってくるのは中原中也のこの詩です。

汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふな

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新しい明治のころ

新しい明治のころ

初恋

まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実(み)に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかづき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に

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言葉のみが残る

言葉のみが残る

甃(いし)のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしあと)空にながれ
をりふしに瞳(ひとみ)をあげて
翳(かげり)なきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ

桜が散るころ、必ずこの詩を思い出す。コーラスをや

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春の発見

春の発見

その子 二十歳 櫛にながるる 黒髪の おごりの花の うつくしきかな
みだれ髪
与謝野 晶子

歌集みだれ髪の名前の元になった短歌。

自分の中の官能を堂々と歌ったナルシズムが心地いい。

明治の大きな特徴は思春期の発見じゃないかと思っている。それまでは16歳ぐらいになると結婚と子育てが始まってしまっていた。高等教育がはじまって青春を楽しむようになったと思う。

夏目漱石なんか読んでると、娘義太夫に

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感じることの重さ軽さ

感じることの重さ軽さ

 山本周五郎の戦前の千葉県浦安の生活をえがいた「青べか物語」に貧しい女給にだまされるインテリ青年が出てくる。
原民喜も同じようなことをした。不幸な女性を助けることで自分を助けると錯覚した。そのことは恥ずかしくて一生黙っていたそうだ。小林多喜二も、似たようなことをしたらしいし、あの頃の青年のひとつの行動パターンなんだろうと思う。

それぐらい、立身出世する青年の幅は狭まっていて非人間的だったのだろう

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モノローグ 独白

モノローグ 独白

 モノローグという言葉で思い出すのが、萩尾望都のポーの一族だ。

新作も出て新しいファンを獲得しているのもあって、今、素晴らしい配役でのミュージカルが演じられている。

 何年か前、銀座でやっていた「ポーの一族展」に行った。子供のときに、ボロボロになるまで何度も読んだからか、全部セリフが入っていたのに驚いた。いまでも、ラスト「アラン。君もおいでよ。ひとりでは寂しすぎる」というセリフと、エドガーがア

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あまりっ子と芸術

あまりっ子と芸術

蛸壺(たこつぼ)や はかなき夢を 夏の月
松尾芭蕉

芭蕉がタコ漁の名所、明石を訪ねたとき作った俳句。

日持ちするタコは夏のごちそう。タコつぼに入ってのんびりと夏の月夜に寝ているけれど、朝には引き上げられて食べられてしまう。

弟子の杜国とともに明石に遊んだ時、吟じられた俳句。芭蕉門下の句集である「猿蓑」初出。死後、弟子によってまとめられた紀行文、「笈の小文」の最後をかざる句。

杜国は豪商の跡

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