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エッセイ

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古川のエッセイをまとめました。
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引っ越しの夢

引っ越しの夢

この家に引っ越して9年になる。 当たり前だが私もここで9年歳をとった。早い。前に住んでいた家には10年ほど居て、ほぼ同じくらいの時間なのに、最初の10年のほうがずっと長く感じる。年をとればとるほど時間の感覚が短くなるとはよく聞く話だが、それはやっぱり本当だ。

 以前住んでいた家は街に近くて便利だったが、とにかく手狭で、物作りをしている夫は広い仕事場を欲しがっていた。古くてもいいから車を買

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ラーチャプルックの熱風

ラーチャプルックの熱風

 体感温度45度を越える熱風を受けながら、片側3車線の端っこをバイクで走っている。通常の暑さなら、バイクで走れば風を受けて少しは涼しく感じるものだが、4月の酷暑期は、いくらスピードを出して走ろうが、まるでドライヤーの熱風を受け続けているかのような熱風地獄である。停まっていても、強烈な日差しとアスファルトの照り返しを受け、背中をつーっと汗が流れる。特に今年はエルニーニョ現象の影響で例年以上に暑く、つ

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瀬戸正夫さんに会いに

瀬戸正夫さんに会いに

渋滞のスクンウィットで年季の入ったタクシーを拾った。瀬戸さんに教えてもらった通りの名前と番地を伝えると、運転手は軽くうなずいた。
 なにしろバンコクの土地勘はほとんどゼロなので、渋滞もあるし遅れないようにと早く出てきてしまったら、約束の時間より40分も前に着いてしまった。
 空を見上げると薄っすらと青空が見えていて、PM2.5でこのごろは世界最悪の空気汚染を誇るチェンマイより、ずっと澄んでい

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土鍋

土鍋

3年ぶりに帰国したら、実家の台所の片隅に、妙に大きな段ボール箱があった。
土鍋が入っている、と母は言う。

なんでも、姪っ子の結婚式の引き出物に、母が自分で選んだらしい。たまたまテレビで見た、土鍋で炊いたご飯がなんともいえず美味しそうで、一度でいいから味わってみたいと思っていたところへ、姪っ子から送られてきたカタログに、この、ご飯用の土鍋を見つけたのだという。
 
しかも、母が選んだのは、2合や3

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初詣

初詣

 この寺が有名になる前は参拝客もまばらで、古い回廊が取り囲むひなびた雰囲気と、国立公園を望む寺からの眺めがお気に入りだった。今ではすっかり変わってしまい、いつ行っても混雑している。うっかり仏教の祭日に行ってしまったときには、境内に混み合う参拝客と白く立ち込める線香の煙に酔ってしまいそうになったほどだ。とはいえ、何しろ家から近いので、参拝客の少ない裏山の参道を、運動不足解消や気分転換に時々ふらっと上

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祖母の黒い服 #1

祖母の黒い服 #1

 祖母は年中、黒い服を着ていた。

 黒と決めておけば楽だからと、ブラウスもセーターも、スカートもパンツもショールも手袋も靴もカバンも、何もかも黒一色だった。
 例外的に、夏の薄手のブラウスに柄物があったが、それだってモノトーンの小さな水玉模様で、限りなく黒に近かった。
 冬になって駅前の繁華街へ外出するときは、真っ黒な毛皮のコートにふわふわの起毛の帽子を深く被った。それでいて、髪は白が潔し、と一

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祖母の黒い服 #2

祖母の黒い服 #2

小学校に入学する直前の、ある春の日曜日のこと。 私は祖母の買い物のお供でバスに乗って出かけた。祖母は対面式に向き合った長い座席の真ん中に空いていた席に座り、私もその隣にちょこんと座った。バスは、すっかり春らしくなった街の中をしばらく走り、大きな四つ角の信号で停車した。すると祖母は、黒いロングスカートの膝の前に私を立たせてから、私の名をフルネームで言ったかと思うと、「4月から小学1年生に

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祖母の黒い服 #3

祖母の黒い服 #3

 小学生の時のある冬休みの夜のことだ。祖母が古い白黒写真や硝子製のネガを出して見せてくれたことがあった。どこに閉まってあったのかと思うほど、たくさんあった。その内の一枚をそっと手に取ってみた。光沢のない銀塩のモノクロ写真は、斜めに傾けると、表面が金属のように鈍く光った。それから、透明な硝子乾板を窓の明かりに透かして見ると、白黒の反転した、着物を着た人々の物調面が一斉に私に迫ってくるような、奇妙な感

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祖母の黒い服 #4

祖母の黒い服 #4

 祖母には神戸に親戚があり、娘時代はよく船に乗って遊びに行ったという。そんなころ、神戸の駅で偶然見かけた、「白い軍服を着た海軍の将校さん」の姿があまりにも美しくて、思わず同じ電車に乗ってついて行ってしまったことがある、という祖母の昔話に、子供のころの私は心底驚いた。話を聞いたときは恋も知らないほんの子供で、まずはその動機の意味が分からないし、街に電車なんて通らない田舎育ちだから、行先も分からないま

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祖母の黒い服 #5

祖母の黒い服 #5

 祖父は親戚のつてで、遠く離れた熊本の人吉で開業医を始めることになった。お国言葉もずいぶん違う見知らぬ土地で、若い夫婦にとって冒険のような新しい生活が始まったのだ。

 お嬢様育ちの祖母には、最初は慣れないことばかりだったに違いない。それでも、毎朝、熱湯でガーゼを煮沸するなど、夫の診察の準備も怠らず、いずれはきちんと看護師の資格を取る勉強をするつもりでいたのだと、戦後、九州の病院で看護婦になった伯

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祖母の黒い服 #6

祖母の黒い服 #6

 祖母の結婚生活は、たった15年しか続かなかった。

 戦中、病に倒れた祖父は、人吉の自宅で療養中に大量の下血をして、そのまま亡くなった。当時の便所では下血の量が分からず、止血剤の注射を渋って亡くなってしまったらしい。この話になると決まって祖母は、医者のくせに注射ぎらいでどうする、とこぼしていた。
 祖父が亡くなった直後に私の母が生まれた。生まれたばかりの赤子を含む8人の子供たちと戦後直後の混乱期

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雪の蔓

雪の蔓

  11月も終わりに近づき、本格的な寒季が訪れた。まだ20度は切っていないが、昔ながらのタイ式木造2階建ての我が家は寒い。外壁は薄い板張りで、暑い時期は風通しが良く快適だが、この季節になると朝夕はそれなりに冷える。
 明け方、向かいの家の鶏の声が薄い壁を突き抜けて、まるで枕元で鳴いているかのようにけたたましく響いた。不思議なもので、毎朝の鶏の声にはすっかり慣れてしまって、うるさいと感じなくなってい

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わたしの石

わたしの石

 子供時代を過ごしたアパートは4階建ての古い鉄筋コンクリート製で、当時ですでに築40年は経っていて、雨が降れば、建物全体がむっと湿っぽく匂った。
 4棟が集まる団地の敷地は決して広くはなかったが、それこそ猫の額ほどの花壇にも植物好きの住人が丹精した季節ごとの花が咲き、やはり花が好きだった祖母との散歩のたびに目を楽しませてくれた。  
 春ほどの華やかさはないが、秋になればコスモスが風に揺れ、紫式部

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なんでも屋さんの鶏

なんでも屋さんの鶏

 いろいろなことがコロナでがらっと変わってしまった2020年だった。でもそのおかげでチェンラーイ県のカレンの村に行く機会にたびたび恵まれたことは、私にとってうれしいことだった。

 その村には電気は通っていない。家によっては小さなソーラーパネルが1枚あって夜の数時間は明かりが使えるが、テレビや冷蔵庫はなく、昔ながらの暮らしや風習が色濃く残っている。村人は土着の精霊信仰と仏教を信仰していて、いつも宗

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