hiro75
「敵は本能寺にあり!」 天下取り目前の男、それを支える男、それを阻もうとする男、次の天下取りを狙う男、その流れに乗ろうとする男たち、そしてただ無邪気に男たちを弄ぶ少年………………その中で、ひとりの男を愛する少年は、その愛を昇華していく………………『本能寺燃ゆ』はついに佳境へ!!
愛する男のために、他の男の胸に抱かれる少年。その前に、現れた美少年。無邪気な彼の行動が、彼らの人生を狂わせていく………………。武士の野望と、少年の純愛、そして男たちの欲望が、渦を巻いて絡み合う。「燃える」三部作『本能寺燃ゆ』第四章「偏愛の城」、いま幕を開ける!!
御山が燃える……、愛しい男に再開するための代償は、多くの命であった。それでも少年は、全てのものを犠牲にして、男に仕えようとする。心に晴れない何かがありながらも………………。男の野望と、少年の愛、そして武将たちの欲望が渦を巻いて絡み合う。「燃える」三部作『本能寺燃ゆ』第三章「寵愛の帳」、いま幕を開ける!!
男は村を去った、「天下を取りに……」という言葉を残して。少年は、男のあとを追って、村を出る、男への愛を求めて。だが、彼の前に、幾多の困難が………………。武士の野望と、少年の純愛、そして男たちの欲望が、渦を巻いて絡み合う。「燃える」三部作『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」、いま幕を開ける!!
権太の村にひとりの男がやって来た。男は、干からびた田畑に水をひき、病に苦しむ人に薬を与え、襲ってくる野武士たちを打ち払ってくれた。村人から敬われ、権太も男に憧れていたが、ある日男は村を去った、「天下を取るため」と言い残し……男の名を十兵衛といった。 ーー 『法隆寺燃ゆ』に続く「燃ゆる」三部作のひとつ『本能寺燃ゆ』 男たちの欲望と愛憎の幕が遂に開ける!
太若丸は、早速これを殿に見せた。 「家中軍法とな? 十兵衛が?」 殿は、興味津々でそれに目を通した。 ひとつ、戦場において、武士は役を与えられたもの以外…
翌朝登城すると、近習や小姓らが慌ただしく走り回っていた。 近習の長谷川秀一をつかまえ、何事かと訊ねると、 「殿が、昨夜にお帰りになられたのですが…………………
殿は、乱を筆頭に小姓五、六名を連れて長浜へ、そこから舟で淡海の竹生島に向かった。 太若丸は、留守番である。 片道十五里(約六十キロメートル)だから、今夜は…
三月十二日に、越中にあった佐々成政と神保長住らが、その様子を報せるためにと、献上品の馬九匹を引き連れて安土にやってきた。 柴田勝家率いる越前衆は、いまだ京に…
十日に安土に戻ると、馬揃えに招待いただい礼にと、再ヴァリニャーノらが訪れた。 此度は、安土にできた南蛮の寺とセミナリヨという就学の場所を見学し、 「上様には…
二月二十八日、快晴である。 当然だ、この日のために祈祷させたのだから ―― 太若丸も、殿から当日雨が降らないようにしろと、また無理難題を課せられ、見よう見ま…
それから坂本は、上へ下への大騒ぎである。 すぐさま使いが京都所司代村井貞成(さだなり)もとに遣わされた。 貞成は貞勝の嫡男であるが、貞勝が歳明けて出家し春…
「……とはいうものの、あいつは当面、東を見ることになろう、伊予だけでは不安じゃからのう」 「徳川殿は?」 「ん? んん……」、殿は盤上を見つめながら、「伊予だけ…
明けて天正九(一五八一)年、武将らの新年の挨拶は免除となり、近々のものだけで正月を過ごした。 殿は、酷く陽気で、 「よし、馬駆けをするぞ、仕度をさせろ」 …
同じ頃、花隈では動きがあった。 荒木村重らが立て籠る最後の砦 ―― 花隈を取り囲んでいた池田恒興・元助・照政(輝政)親子であったが、照政の先兵が偵察として進…
七月二日、大坂和睦の勅使である近衛前久、勧修寺晴豊、庭田重保が、本願寺の前門跡顕如の使いとして藤井藤左衛門(ふじい・ふじざえもん)、矢木駿河守(やぎ・するがの…
元親の〝四国切り取り〟の件は、十兵衛が何度も登城し、説得を試みた。 はじめは首を横に振っていた殿であったが、十兵衛の説得が効いてきたのか、徐々に考え直すよう…
ただ、ただ時が過ぎ、夜が明けていくのではないかと思ったが、ようやく目を開き、 「庄兵衛、武器や兵糧は如何ほどに?」 と、十兵衛が問うた。 庄兵衛は慌てて十…
「そんな馬鹿げた話があるか!」と、内蔵助は己の膝を怒気を含んでどんと叩く、「あれほど〝四国切り取り〟を約しておきながら、それを反故にするだけなく、三好や河野に肩…
内蔵助がすっきりとした顔で戻ってくると、また酒を飲み飲み、赤子の自慢が始まった。 そこに、伝五や左馬助がちゃちゃを入れたりしている。 終始和やかな雰囲気で…
六月の終わりになって、刑部の屋敷から赤子の泣き声と、男の野太い声が聞こえてきた。 「おお、よしよし、どれどれ襁褓かな? お乳かな? 襁褓は大丈夫、おお、これは…
2024年4月29日 09:11
太若丸は、早速これを殿に見せた。「家中軍法とな? 十兵衛が?」 殿は、興味津々でそれに目を通した。 ひとつ、戦場において、武士は役を与えられたもの以外は大きな声をださず、雑談をしてはならない。 戦が始まった場合は、陣容や鯨波(威嚇として大声を出す)は下知に従うこと。 ひとつ、先鋒は、旗本侍の到着を待って、その下知に従うこと。 ただし、先鋒のみで行動する
2024年4月27日 09:10
翌朝登城すると、近習や小姓らが慌ただしく走り回っていた。 近習の長谷川秀一をつかまえ、何事かと訊ねると、「殿が、昨夜にお帰りになられたのですが………………」 やはり、帰ってきたか。 それで、無事にお迎えできたのですか? 秀一は首を振った。「殿のことだから、必ず夜にはお帰りになると、女房衆にはきつく申しておったのですが………………」 鷹がいなくなって、大空を舞う雀のよう
2024年4月22日 09:03
殿は、乱を筆頭に小姓五、六名を連れて長浜へ、そこから舟で淡海の竹生島に向かった。 太若丸は、留守番である。 片道十五里(約六十キロメートル)だから、今夜は泊まりか? いや、殿のことだから、日帰りだろうな。 その間は殿から解放されて、羽を伸ばせるか………………というわけにもいかず、殿が〝神〟になるための方法を探るために、セミナリヨまで出向いた。 院長となったニェッキ・ソルド・オ
2024年4月15日 08:53
三月十二日に、越中にあった佐々成政と神保長住らが、その様子を報せるためにと、献上品の馬九匹を引き連れて安土にやってきた。 柴田勝家率いる越前衆は、いまだ京にあり、久々の都を楽しんでいた。 その隙をつかれた ―― 上杉景勝が越中に侵攻し、小井手を囲んだ。 報せを聞いた殿は、すぐさま勝家らに出陣を促し、勝家と越前衆、成政、長住らはすぐさま北上。 織田勢の引き返しがあまりに早かったので
2024年4月7日 09:14
十日に安土に戻ると、馬揃えに招待いただい礼にと、再ヴァリニャーノらが訪れた。 此度は、安土にできた南蛮の寺とセミナリヨという就学の場所を見学し、「上様には、過分のご高配を賜り、まことにありがとうござりまする」 と、ヴァリニャーノらは礼を述べた。「うむ、あれで少しは教えを広げやすくなるかな。なんぞ不便なことがあれば、遠慮なく申されい。ばりの(ヴァリニャーノ)殿らとは、末永く仲良くや
2024年3月31日 09:11
二月二十八日、快晴である。 当然だ、この日のために祈祷させたのだから ―― 太若丸も、殿から当日雨が降らないようにしろと、また無理難題を課せられ、見よう見まねで祈祷してみたが、まあ、それが効いたのか、はたまた他の僧侶や陰陽師たちの祈祷に効果があったのか、とりあえず、晴れてよかった ―― 晴れなければ、今頃全員三途の川を渡っていただろう。 内裏の東に、南北八町(約八百八十メートル)ほどの馬
2024年3月24日 08:51
それから坂本は、上へ下への大騒ぎである。 すぐさま使いが京都所司代村井貞成(さだなり)もとに遣わされた。 貞成は貞勝の嫡男であるが、貞勝が歳明けて出家し春長軒(しゅんちょうけん)となり、当主の座を貞成に譲った。 まあ、貞勝も、信盛や秀貞らの追放を見て、色々と考えるところがあったのだろう、息子に席を譲ったのだが、仕事自体はまだまだ彼の手にあり、公家衆らの折衝は彼にしかできない。 公
2024年3月11日 09:00
「……とはいうものの、あいつは当面、東を見ることになろう、伊予だけでは不安じゃからのう」「徳川殿は?」「ん? んん……」、殿は盤上を見つめながら、「伊予だけでは……、まだまだ不安じゃからのう」 徳川家康は、昨年末に高天神城を囲んでいた。 高天神城は、遠江と駿河の国境近くにあり、遠州灘の港を抑える要所である。 海のない武田にとっては、喉から手が出るほど欲しい城である。 天正二
2024年3月9日 08:44
明けて天正九(一五八一)年、武将らの新年の挨拶は免除となり、近々のものだけで正月を過ごした。 殿は、酷く陽気で、「よし、馬駆けをするぞ、仕度をさせろ」 と、唐突に言い出し、馬廻りの連中が慌てていたが、結局雨が降り出してこれは取り止めとなり、「うむ、仕方がない、酒でも飲むか」 と、宴会になった。「久右衛門(菅屋長頼)、久太郎(堀秀政)、竹(長谷川秀一)、飲め飲め! 無礼講じ
2024年3月7日 09:04
同じ頃、花隈では動きがあった。 荒木村重らが立て籠る最後の砦 ―― 花隈を取り囲んでいた池田恒興・元助・照政(輝政)親子であったが、照政の先兵が偵察として進み出ると、これを城方が追い払い、そこに元助、恒興が助力に入り、最後の一戦と火ぶたが切られた。 大手門前で、一進一退の戦闘が繰り広げられたが、池田の別動隊が搦手を突破し、城内に侵入、大手門を開いて城方を挟撃、ここに後詰めの織田方についた
2024年3月2日 08:50
七月二日、大坂和睦の勅使である近衛前久、勧修寺晴豊、庭田重保が、本願寺の前門跡顕如の使いとして藤井藤左衛門(ふじい・ふじざえもん)、矢木駿河守(やぎ・するがのかみ)、平井越後守(ひらい・えちごのかみ)を連れてきた。 雑賀へと無事下向できたことと、金子のお礼に、との挨拶らしい。 取次ぎは、松井友閑と佐久間信盛である。 信盛は、あいも変わらずむすっとしている。 そんな顔で殿の前に出た
2024年2月28日 08:37
元親の〝四国切り取り〟の件は、十兵衛が何度も登城し、説得を試みた。 はじめは首を横に振っていた殿であったが、十兵衛の説得が効いてきたのか、徐々に考え直すようになって、『分かった、十兵衛、おぬしがそれほどまでいうのならば、その方が良いのであろう。だが、いまの織田家の当主は勘九郎じゃ。明日、あれが登城してくるので、その意見も聞きつつ、最後の決裁は明日言い渡す』 と、あと一歩のところまでき
2024年2月27日 08:48
ただ、ただ時が過ぎ、夜が明けていくのではないかと思ったが、ようやく目を開き、「庄兵衛、武器や兵糧は如何ほどに?」 と、十兵衛が問うた。 庄兵衛は慌てて十露盤を弾き、「兵糧は、坂本と亀山に、それぞれ半年分ほど。だが、無理をすれば、さらに半年分を積める。刀や槍は三千、銃も三千ほど」 と、口早に答えた。「少ない、三年は戦えるほど積みあげてくれ」 庄兵衛は驚いた顔をしていたが
2024年2月26日 08:42
「そんな馬鹿げた話があるか!」と、内蔵助は己の膝を怒気を含んでどんと叩く、「あれほど〝四国切り取り〟を約しておきながら、それを反故にするだけなく、三好や河野に肩入れするつもりか? あの〝うつけ〟が!」 安土中に響き渡りそうな大声だ。 刑部は、しっと人差し指を口元にもっていった。「大殿のお膝元だ、あまりけったいなことを口にするな」「これが黙っていられようか!」「まこと内蔵助の申す
2024年2月25日 08:59
内蔵助がすっきりとした顔で戻ってくると、また酒を飲み飲み、赤子の自慢が始まった。 そこに、伝五や左馬助がちゃちゃを入れたりしている。 終始和やかな雰囲気であったが、庄兵衛が徐に口を開いた。「十兵衛殿、何事がありましたか?」 庄兵衛だけ、沈んだような顔の十兵衛に気が付いていたようだ。「ん? うむ……」 と、深刻そうな顔をする。「どうした十兵衛?」 と、左馬助が訊ねる
2024年2月24日 09:08
六月の終わりになって、刑部の屋敷から赤子の泣き声と、男の野太い声が聞こえてきた。「おお、よしよし、どれどれ襁褓かな? お乳かな? 襁褓は大丈夫、おお、これはお乳か」「何やってるんですか、あんたが胸を出してどうするんですか!」 大騒ぎである。 安に遅れて、内蔵助もやってきた。 太若丸の屋敷では、刑部の妻らに用意させた肴で濁酒を飲みながら、騒ぎを聞いていた十兵衛らが笑っていた。