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記事一覧
「NOを言える人」になりたいひとへ
ひょんなことから「メンタルヘルス」「生きづらさ」「自己肯定感」というテーマにライフワーク的にかかわっているのだけど、クリニックをやるようになって、もっともっと面白く感じられるようになってきた。
(もちろん、全く笑えない時もそこそこあるのだが、総じて面白い。)
さまざまな事情で他人の人生を生きさせられているひとが、人生を「回復」していく過程はとてもロマンティックなものであり、そういうのを間近で拝め
「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。
「パーソナリティ障害」というものがある。
以前はこういう状態のことを「人格障害」という言い方で表されていた時期もあるようですわ。今は基本的にパーソナリティ障害と呼ぶらしい。確かにそう言い換えた方が鼻つまみ感は軽減されるような気もする。
ちなみにこの障害は不治の病でもなんでもないようだけれど、だからといって「パーソナリティ(性格)が悪いと感じる人」のことを勝手に「パーソナリティ障害だ」と呼
関わりと存在について
アイドルをアイドルにしているのはファンの存在なんだなと思う。
ライブに来てくれる、特典会に来てくれる、ライブの帰りが被ったら電車をずらしてくれたり、外で会ったら挨拶だけして「無銭接触は良くないからね」とスマートに去ってくれたり、イベントで会って話したら「この前お話しちゃったから」ってチェキ撮りに来てくれたり。
貴方と私の間には境界線がありますよ、これはリスペクトの境界ですと扱い方で示してくれる
自己肯定感という言葉について(最終回)
こんばんわ〜
このマガジンが始まったのがもう2年くらい前なのだけど、その時よりも「自己肯定感」ということばを耳にする機会が多くなってきたなあとおもう。
それと同時に、「自己肯定感」という言葉になんとなく息苦しさを感じているひとがいる、という話も聞こえるようになってきた。
言葉が多く使われるようになってきて、いろんな人がいろんな定義で個別に使っているからだろうな。
今日はマガジンの最後のまとめ
痛みと、回復と、コミュニティについて
ハロー。
きょうも、「コミュニティ」についての仮説を述べたい。
テーマは「痛み」と「回復」についてだよ。
サディのコミュニティ本 「We Are Lonrly, But Not Alone」に
コミュニティにおける熱狂とは「成長することか、成長を見守ること」
と書いてあった。
これは、ものすごい好きな仮説で何度も何度も引用している。
じぶんが相似形をみつけられることができる誰かの「成長」
「自己肯定感」的な人間関係をつくる(エピローグ)
きょうはエピローグ的なはなし。
「自己肯定感」というのは、自分の生き方が楽になるためのガイドとして使っていければいいよね、というまとめ話をこないだしたんだけど、そうした感覚というのは基本的に「他人とのつながり」の中で得られるものである、ということについて、もうちょっと考えたいのですね。
要は、「安心できるつながり」を得るということなんだけど、それはどうしたらいいんだろうねってのを、いま時点での
日本人は「共依存」をやめたら幸せになれそう
100年ぶりにノートの更新でもしようかと、自分の書いた記事を見直してた。共依存についてこんなこと書いてたんだとしみじみ。有料漫画についてるおまけ記事だけどネ。
私は「世話して必要とされる喜び」なんてなくても、世話をやめられなかった経験があります。
制作裏話:心に穴が空いてなくても、世話はしちゃうもんです(有料記事)
この記事を書いた頃、まだはっきりと共依存と言うものが実際どういうものなのかわ
大きなマシュマロを探して
マシュマロはそんなに好きではない。
ただの真っ白なマシュマロなら、一個でいい。
もらってもあんまり嬉しくない。
チョコの入ってるマシュマロは好きだ。
アガる。
学生のときにはよく買って、全部ひとりで食べていたような気もする。
一個10円のやつなら、なおよし。
だけど今回は、
大きいマシュマロだ。
私が会社で働くと、いつもなぜか、
「私は何も悪くないのに、モヤモヤする」
ようなことが起こる。
「生活の主観化」について
鈴木大拙が著書のなかで使っていた「生活の主観化」という言葉。このフレーズを目にした瞬間、あらゆる思考がこの言葉に収斂していく感覚を得た。
私が掲げてきた「知性ある消費」とはこのことかもしれない。