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元気になりたいときに。過去の私から今の私へ、今の私から未来の私へ。
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記事一覧

「NOを言える人」になりたいひとへ

「NOを言える人」になりたいひとへ

ひょんなことから「メンタルヘルス」「生きづらさ」「自己肯定感」というテーマにライフワーク的にかかわっているのだけど、クリニックをやるようになって、もっともっと面白く感じられるようになってきた。
(もちろん、全く笑えない時もそこそこあるのだが、総じて面白い。)

さまざまな事情で他人の人生を生きさせられているひとが、人生を「回復」していく過程はとてもロマンティックなものであり、そういうのを間近で拝め

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「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。

「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。

 「パーソナリティ障害」というものがある。

 以前はこういう状態のことを「人格障害」という言い方で表されていた時期もあるようですわ。今は基本的にパーソナリティ障害と呼ぶらしい。確かにそう言い換えた方が鼻つまみ感は軽減されるような気もする。

 ちなみにこの障害は不治の病でもなんでもないようだけれど、だからといって「パーソナリティ(性格)が悪いと感じる人」のことを勝手に「パーソナリティ障害だ」と呼

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精神修養は己のためのもの

精神修養は己のためのもの

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである──。

フランクル『夜と霧』に出てくる有名な一節だ。
私たちは生きることによって何かを得ようとするのではなく、自分が生きることでどんな価値を創造できるのか、自分の役割とは何かを認識しなければならないという彼の考え方は、今なお多くの人に影響を与えている。

私もこれまで何度か読んで

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関わりと存在について

関わりと存在について

アイドルをアイドルにしているのはファンの存在なんだなと思う。

ライブに来てくれる、特典会に来てくれる、ライブの帰りが被ったら電車をずらしてくれたり、外で会ったら挨拶だけして「無銭接触は良くないからね」とスマートに去ってくれたり、イベントで会って話したら「この前お話しちゃったから」ってチェキ撮りに来てくれたり。

貴方と私の間には境界線がありますよ、これはリスペクトの境界ですと扱い方で示してくれる

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「ひとの安心をつくる」技術

「ひとの安心をつくる」技術

少し前に、大切な友だちを、とある先生に紹介することになった。

ぼくには、自分の大切なひとが心を病んだとき、絶対にこのひとに診てもらいたいな!と絶対の信頼を寄せているドクターがいる。だけど、その先生は普段は、ぼくらの母校である地方の大学病院にいるので、数年前ぼくが上京してきてから、こっちで仲良くなったひとを診てもらうことができない。それで、すごく困っていた。

そのことを相談してみたら、関東にいる

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自己肯定感という言葉について(最終回)

自己肯定感という言葉について(最終回)

こんばんわ〜

このマガジンが始まったのがもう2年くらい前なのだけど、その時よりも「自己肯定感」ということばを耳にする機会が多くなってきたなあとおもう。

それと同時に、「自己肯定感」という言葉になんとなく息苦しさを感じているひとがいる、という話も聞こえるようになってきた。
言葉が多く使われるようになってきて、いろんな人がいろんな定義で個別に使っているからだろうな。

今日はマガジンの最後のまとめ

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痛みと、回復と、コミュニティについて

痛みと、回復と、コミュニティについて

ハロー。

きょうも、「コミュニティ」についての仮説を述べたい。
テーマは「痛み」と「回復」についてだよ。

サディのコミュニティ本 「We Are Lonrly, But Not Alone」に

コミュニティにおける熱狂とは「成長することか、成長を見守ること」

と書いてあった。
これは、ものすごい好きな仮説で何度も何度も引用している。

じぶんが相似形をみつけられることができる誰かの「成長」

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「自己肯定感」的な人間関係をつくる(エピローグ)

「自己肯定感」的な人間関係をつくる(エピローグ)

きょうはエピローグ的なはなし。

「自己肯定感」というのは、自分の生き方が楽になるためのガイドとして使っていければいいよね、というまとめ話をこないだしたんだけど、そうした感覚というのは基本的に「他人とのつながり」の中で得られるものである、ということについて、もうちょっと考えたいのですね。

要は、「安心できるつながり」を得るということなんだけど、それはどうしたらいいんだろうねってのを、いま時点での

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日本人は「共依存」をやめたら幸せになれそう

日本人は「共依存」をやめたら幸せになれそう

100年ぶりにノートの更新でもしようかと、自分の書いた記事を見直してた。共依存についてこんなこと書いてたんだとしみじみ。有料漫画についてるおまけ記事だけどネ。

私は「世話して必要とされる喜び」なんてなくても、世話をやめられなかった経験があります。

制作裏話:心に穴が空いてなくても、世話はしちゃうもんです(有料記事)

この記事を書いた頃、まだはっきりと共依存と言うものが実際どういうものなのかわ

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大きなマシュマロを探して

マシュマロはそんなに好きではない。
ただの真っ白なマシュマロなら、一個でいい。
もらってもあんまり嬉しくない。

チョコの入ってるマシュマロは好きだ。
アガる。
学生のときにはよく買って、全部ひとりで食べていたような気もする。
一個10円のやつなら、なおよし。

だけど今回は、
大きいマシュマロだ。

私が会社で働くと、いつもなぜか、
「私は何も悪くないのに、モヤモヤする」
ようなことが起こる。

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結婚していない理由を求められても……。「未婚・子なしコンプレックス」その後 

結婚していない理由を求められても……。「未婚・子なしコンプレックス」その後 

世の中は変わった。では、私は……。

私自身の、未婚・子なしコンプレックスについて書いた
「42歳で独身、子どもはいない。隠しきれなくなったコンプレックスと向き合った」。

このコラムを書いたのは、2019年7月のことでした。
かれこれ、5年近くが経ち、私は今年、47歳になります。
年は重ねましたが、未婚・子なしであることは変わっていません。

変わったのは、世の中やメディアで、未婚や子どもがいな

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「生活の主観化」について

「生活の主観化」について

鈴木大拙が著書のなかで使っていた「生活の主観化」という言葉。このフレーズを目にした瞬間、あらゆる思考がこの言葉に収斂していく感覚を得た。

私が掲げてきた「知性ある消費」とはこのことかもしれない。

人の死は、「わりきれなさ」でできている #PLAN75

人の死は、「わりきれなさ」でできている #PLAN75

75歳以上の国民は、自らの生死を選択できる制度が可決した──。

まさにディストピアそのものでありながら、起こり得そうな設定で注目を集める映画「PLAN75」。

最近もTwitterで「#国は安楽死を認めてください」というハッシュタグがトレンド入りしていたり、オランダにおける安楽死の現状について医師の視点から解説したツイートが話題になったりと、安楽死について考える機会が増えた。

社会全体が疲弊

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自分の人生を背負う力

自分の人生を背負う力

チェーホフの名作「かもめ」に、こんなセリフがある。

この一節を読んだ瞬間、現代を生きる私たちにこそこの物語が必要なのではないか、と強烈に感じた。