見出し画像

自分史〜②〜

前回の続き


大学入学、1年生

大学入学から私は同じ市内の母方の祖父母宅で過ごし始めました。
実家から離れたかった&一人暮らしを始めるお金がないから。
実家から離れたことで心が軽くなった…と思いきや。祖父母は介護のことで喧嘩が多かったのでその口論が聞こえるとフラッシュバック(父のDV)を毎回起こしていました。結局大学1年の4月〜7月くらいで実家に戻ることに。

同じ年の6月にメンクリ初診。パニック障害(&不安障害)と診断。初診からカウンセリングも受けていました。
今振り返ると、このメンクリは自分には合っていませんでした。主治医はとても冷たい男性だったのですが、鬱の私の言葉だけで治療していました。心理士は女性でとても親身な方でしたが、逆に私はそれが合わなかった(今振り返ると)。

この主治医に「実家から離れなさい」と言われ、秋ごろから一人暮らし開始。しかし両親は反対していたので、実家から徒歩30秒のアパートに住むことに。寝る以外は全て実家だったので意味がありませんでした。(このあともう1回引っ越すのですがそれも実家から徒歩1分の物件でした。)

大学2年生

コロナでオンライン授業が始まった大学2年の4月。正直この大学2年の1年間は本当に記憶がありません。それだけ激鬱でした。
課題に追われる毎日、4月の時点でダメでした。
夏に対面の授業を3回受ける予定があって、でも1回しか受けられず残りの2回は保健室にいました。唯一受けられた初日の1回も授業中ずっと動悸がして涙が流れていた。このまま帰ったら線路に飛び込みそうと思って、18時に閉まる保健室に時間が過ぎてもいました。それもあって結局退学を決めました。
学科長がゼミの先生だったので色々話を聞いてくれました。「2年生まで籍を入れておいた方が将来復学・編入の時、履歴書に書くときに良い」とアドバイスをもらったので籍は2年生の3月末まで。実際は後期から授業を受けていませんでした。
正直休学は全く考えませんでした。コロナがいつ収束していつ完全対面授業になるのか分からないのに、それまでずっとお金払って学生のままでいるのは嫌だった。早く謎のプレッシャーから解放されたかったのもありました。
この年から自傷を始めていました。

3月31日に大学退学。同日にフリーターとして過ごそうと思っていたバイト先が突然倒産。4月1日から急に無職になりました。

無職

急に4月1日から無職となった私は、それから毎日「社会の何の役にも立っていないお荷物人間」だと自分を責めつづけました。同月、ODをしすぎて夜間救急にかかりました。この時「もう絶対ODしない」って思いたかった、なのに思えなかった。退院した日に家帰ってまたODしていました。完全にこの頃にはODの中毒になっていた。

ODがやめられなかったので入院をメンクリの主治医に勧められました。
家族は入院に反対していました。そりゃあそうです、精神科の入院なんていいイメージない。結局入院したけれど。
メンクリは入院病棟がもちろんないので、他の精神科病院に入院。
そこで出会ったのが、今の主治医と心理士でした。


今回はここまで
続きはまた今度

琴音

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?