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長らくタイ・バンコクシリーズが続いておりました💦
バンコクでの生活では、タイ語にフランス語、そして仕事では英語と、様々な言語に触れながらの2年を過ごし、言語マニアな私としては大変充実した時間を過ごしました。

そして2010年秋、日本へ帰国。
その後も、リスキリングへの熱量は減ることなく、日々何かしらを学んでおりました。そんな私の心の中にずっとあり続けた、フランス・パリの大学院での”MBA留学”への想い。20代最後の大勝負に向けて、今立ち上がりました・・。(はじまりはじまり👏)

なお、
✔そもそもなぜ、パリの大学院で、しかもフランス語でMBA?
✔実際のMBA留学はどのような感じだったの?

というお話は、大変な額なるので・・後日、別投稿にて綴っていきます^^


29歳の挑戦~パリでのフランス語でのMBA留学~

ずっと心にあった、MBA留学への想い

大学時代からずっと知っていたMBAプログラム。必ず行こう!と決めていました。けれど、社会人になり何度も応募チャンスをうかがうも、海外駐在などの状況に翻弄され、気づけば2011年秋となりました。

しかし、チャンスは必ずやってくる。
そして無事、パリに到着しました。

パリにて14か月、フランス語漬けの日々

ところで、海外MBAといえば、今も昔も、英米圏でか、英米圏でなくても英語でのMBAが、日本の方々には主流かと思います。日本でのMBAでも、英語のプログラムがあったりしますよね。それくらい、英語でやるのは”よくあるパターン”かと思いますが、私は気づけば、

✔フランスの大学の大学院、で
✔フランス語、で
✔モロッコ人やロシア人、ブラジル人やトルコ人、ルーマニア人、と
✔いわゆる、MBAの科目(戦略・財務・マーケティング・IT等)、を
✔試験・授業のプレゼン・卒論・卒業プレゼンなど、フルコースで
修行僧のように乗り越えることに・・。

フランス語に関しては、大学時代の留学以降、バンコクや東京のフランス語学校に定期的に火曜等、ある程度の語学力は準備していたつもりです(DELF B2程度)。
しかし、気づけば周りは、
✔ほぼネイティブレベルのモロッコ人などアフリカ勢に加え
✔同じラテン語つながりで、特にフランス語に問題なさげなブラジル人やルーマニア人
✔フランス語教育で育ってきたと語るトロッコ人やロシア人 等で
かなりアウェイな少数派な日本人は、私と友人のたった2名。

しかも、彼らのフランス語はなかなかの訛りがあり・・。訛りを容易に乗り越えられるほどの語学力のない私は、理解するのが大分厳しい状況で、当初は完全に疲弊していました。。

それでも必死で食い下がろうと頑張るものの、当初の科目が、私が全く知見・経験のなかった、ITとマーケティング・・。
そもそも日本語でも理解が必要な内容を、フランス語で、しかもエンジニアであるモロッコ人やトルコ人たちとプレゼン準備をする等、お手上げ状態な日々に、”宇宙語”だ・・と思う日々でした・・。
(とはいえ、ITもマーケティングも、無事単位取得しております!)

インターンはフランス自動車会社のルノー社

留学の期間は、2012年9月~2013年5月頃が前半、5月~10月が後半と分かれていて、
✔前半は主に、二つの大学院での授業(と試験・プレゼン等)
✔後半はフランス大手自動車会社であるルノーにて、

不動産戦略グループにてインターンを行いました。

卒論はフランス語で90ページ

そして結構大変だったことは、卒業論文と卒業プレゼンでした。

卒論はフランス語で90ページ・・を書き上げ、当時はやや鼻血が出そうになっておりました💦そしてプレゼンは、15分きっかり

短すぎてもダメだけど、一秒でもオーバーしたら減点、というシビアなルールに、プレゼン資料に落とし込んだ後は、カンペを作り、何度も何度も、自分史上一番速い速度でフランス語を話し、無事良き点をとり、卒業できました。

フランスMBAのお話は、なぜフランスMBA?という疑問や体験談について、内容が膨大となるため、後日綴っていきます^^

次回:留学を終えて、また留学~ご褒美留学の旅へ~

14カ月のMBA留学を終えた私からの私へのご褒美は・・これまた留学!
大好きなスペイン語の留学
をずっとしたかったので、南スペインの楽園、マラガ/Malagaへ飛び立ちました。そしてその後はロンドンへ・・。

語学の疲れは、語学で癒す が私流^^(病気?)

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