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結婚 (バブル初期の時代の極み) その3.06 2次会 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

鼻につく内容が続いてすいません。
事実を残すということで赤裸々にかつ丁寧に紡ぎます。
今回のキーワードは…

ラジャコート

経緯
 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。

 その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。

 ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。

 硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)

だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

とか

「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」

などと、受取りようによっては際どいネタを…
硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…

 その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。

 バブル初期の披露宴は兎に角明るい。

 会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
 まぁ当時20歳の吾妹に

Love “in” at First Sight


(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)


 その3.05はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題でした。結婚披露宴が明るく楽しい… 

 最早単なるパーティー

となったというオチ。 

 閑話として、呆れる程“ドラ息子”の私の顛末を赤裸々に綴らさせて頂きました。どうやら読者の方々にはドン引きだった様ですが… (それでも残そうという趣旨)

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 今回は、そして披露宴の後の

2次会たるや凄いことに…

ということでバブル初期のノリを引き続き…

 結婚披露宴は遅れに遅れ、予定より1時間半遅れて高輪クラブから2次会の会場にタクシーで移動。  

 その会場として、実は人生で今のところ最初にして最後の…思いっきり背伸びしてリーチした相対的に若年の大人の遊びの最先端、六本木のど真ん中のディスコを選びました。

 ディスコの語源、そしてクラブと同義語ということを今回の事前調査で初めて知りました。

 その解説をご紹介しますね。

「ディスコ」の語源となったのは、フランス語の "discothèque"(ディスコテーク)であり、マルセイユの方言で「レコード置き場」の意味であった。第二次世界大戦中に生バンドの演奏が困難となったナイトクラブで代わりにレコードをかけるようになったのが始まりであり、第二次大戦後にパリに「ラ・ディスコテーク」と呼ばれるクラブが出現したことにより定着した。

ディスコ(disco)、または、ディスコテーク(discothèque)は、音楽を流し、飲料を提供し、客にダンスをさせるダンスホールである。1990年代以降はクラブ (club) と呼ばれることが多い。

出典

 選んだ店。その名は六本木ラジャコート。

 当時の六本木は大分庶民的になった今の六本木に比べると少し秘境的な面が有って、東京大学生産技術研究所や防衛省(当時はまだ有った…)、

海外の大使館等

エッジの立った施設が織りなす何とも不可思議な街でした。
 そんな六本木にラジャコートはありました。

 その後全国制覇するマハラジャの原型になったノヴァ21グループの系列店です。

 こちらも私の勝手な印象としては“正統派”ディスコ。六本木のホテルアイビスにあった“高級”ディスコです。そうです。ディスコという選択肢でも”高級“、”正統派“を選ぶ私でした。この辺りの機微はこちらもお楽しみ下さい…

 勿論お立ち台なんてものはありませんでした。

 当然、参加して頂いた方々も私達の世界の住人ですから、未知の世界に呼ばれた感じ。勿論ハードウェアや音楽といった部分のソフトウェアは最先端ディスコですが、参加者は至って普通の人々という構成でした。

 半分以上は吾妹の学生時代の友人や会社の先輩、同期、後輩で正常なお祝いを一寸背伸びしたしかも変化球の大人の空間で楽しむ感じ…

 一方、私の方は大学の研究室の人達は、まぁ苦笑いという世界。一方会社関係は吾妹のファンが殆どで、腹癒せにヤケクソで軽く罵声を私に浴びせたりと混沌とした感じでした。それもまた楽しそう…まぁ吾妹に比べると圧倒的な人徳のなさを思い知った(笑)感じ。

 2人で会場を巡回して、各テーブル毎に挨拶をして周りました。勿論主役は吾妹。丁寧にお祝いを受けながら楽しい歓談が続きました。私は添え物ってところだったかなぁ…

 とても騒がしい、しかし至って明るい2次会…

これが面白かった。

 日曜日なので、貸し切りは21時まで。以降は残っても良いものの一般のお客さんも入ってこられる通常営業。それでも殆どの方は終電までには解散という流れでした。しかし翌日お休みを取った方々もチラホラ居て人間模様…。勿論男女でお近づきになった方々も…
 それも狙いの1つのだったのですが…

 この時は研究所の表面物理学や物理解析を担当していて、10年後に丸の内の鉄鋼会社本社の電子デバイスのセールス&マーケティングとして六本木の交差点の反対側、アマンドの裏のカラオケスナックで接待をするような生活が待っているとは知る由もありませんでした。

 只々、眩しい六本木の街の中に吾妹と身を置いていたのみ…

つづく


 

 


 

 
 
 
 


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