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【本棚から一冊】一汁一菜でよいという提案

『一汁一菜でよいという提案』
著:土井善晴
出版:グラフィック社  (2016/10/7)

今から十数年前、仕事がひどく忙しい時期があった。終電で帰宅できることはまれで、ほぼ毎日、深夜にタクシーで帰ることが続いた。休みもとれず、食生活が乱れ、寝不足が続き、ある日、左の耳が聞こえにくくなっていることに気がついた。病院に行くと突発性難聴と診断された。ずっと耳鳴りやめまいに悩まされ、最終的には職場を退職した。

しばらく静養を続けるなかで、母が実家で作った食事を何度か差しいれてくれた。豚肉の生姜焼き、厚焼き玉子、ピーマンのケチャップ炒めなど、子供のころのお弁当のメニューと全く同じなのだが、なぜかそれを食べると、心が身体のあるべき場所におさまったような気がした。

それをきっかけに、自分でご飯を炊き、酒粕の入ったみそ汁を作った。酒粕入りのみそ汁とは、わが家が冬になると食べるみそ汁のことで、酒粕のどろっとした食感に、心身の緊張と疲れがほぐれ、お腹がふくれることを、子供のころからなんとなく知っていたので、自分の身体にはいいのではないかと思い、大根や白菜、椎茸などをざっと切って入れた。

それを口にした瞬間、身体が温まるのと同時に、母が差し入れてくれたものを食べたときと同じように、気持ちがホッとした。体調が悪かったから、それ以上のおかずを作ることはできなかったけれど、温かいごはんとこの酒粕入りのみそ汁で十分に満たされた。そんなものを食べ続けているうちに、暖かい季節がめぐってきて、回復しようとする力が身体の底から湧いてきたのを、今でも覚えている。

このような経験と料理のあり方に、「人を幸せにする力と、自ら幸せになる力を育むもの」という意味を与えてくれたのが、この本だった。


生活に一本の筋を通す、生き方としての「一汁一菜」

本書が出版された当初、家庭の献立を「一汁一菜(ここでは、ごはん、みそ汁、つけ物)」とすることで、仕事と家事・育児に忙しい現代の女性の負担をへらす、あるいは料理の経験がない男性でも調理できる献立のあり方として、注目されていた。

著者である土井善晴先生がいくつかのインタビューで、毎日の献立に悩む家庭の人たちに向けて、むしろ毎日のことなのだから特別なことはしないで、シンプルに考えたらどうですかという提案だった、と語っていた。

しかし、最初の数ページを読んでみたところで、それはあくまでも、先生が「一汁一菜」を提唱しようとしたきっかけの一つであり、本来的には、「和食」や「日本の食卓」に対して先生のさまざまな想いや願いが込められた、日本人としての「生き方」そのものの提唱だという気がした。

先生は「一汁一菜」を三つ観点から説明する。

(1)心身を整える型としての「一汁一菜」
(2)家庭料理としての「一汁一菜」
(3)日本人の感性を残し伝える生き方としての「一汁一菜」

この三点は、一つひとつが独立しているのではなく、(1)個人がこの型を実践することで、心や仕事の充実をもたらし、ひいては(2)家族の健康やその暮らしを整え守ることになり、最終的には、(3)「和食」に受け継がれてきた細やかな感性を残し伝えることが、日本人としての「生き方」につながっていくというもので、相互に関連し、影響し合っている。

そして、「一汁一菜」は、次のような考えに基づいている。

「一汁一菜」はごはん、みそ汁、つけ物という必要最低限の献立。この型を徹底的に続けることで、自分の食生活を自分の手で成り立たせる。

・日常の食事は、お正月やお祭りなどの行事に作るものとは別物で、おせち料理のような時間や手間をかけずに、素材を生かして作る。「一汁一菜」は、みそ汁を中心に据えた献立であるが、みそ汁は必ずしも出汁(だし)をとる必要はなく、具材を煮込むことで、そのうまみ成分が出て、出汁となる。たくさんの具材を入れれば、おかずも兼ねる。

・家庭料理は、慎ましく、食べ飽きないことが大切。そのためには、余計な工夫はせず、変化はつけないほうがよい。おいしくなくてもいい。おせち料理のような贅沢さや、外食のような刺激的なおいしさを持ち込まないことが、作り手のストレスを軽減することになり、食べ手を「腹八分目」とし、心身を健やかに保つことになる。

・家族にはそれぞれの生活時間があるので、みながそろって食べることにこだわらない。温めるなど自分で少し手を加えることで簡単に食べられる何かを、用意しておくとよい。家の台所で用意したものが、一人ひとりの家族に自分の居場所はここだという安心感を与える。

・慎ましく必要最低限な食卓を来る日も来る日も続けることで、時節の食材の美味しさやありがたさ、季節の移ろいを感じとり、用意したくれた人(生産者や料理の作り手)の労や心遣いに感謝する。このような感性こそが、日本人が古来持ち続けてきた心のあり方であり、これから先も伝えていきたい日本の文化である。


昨今、「ていねいな暮らし」に憧れながらも、実践できないことにストレスに感じている人がいるというのを、何かで読んだ。限られた時間の中で、生活のすべてを「ていねい」にすることはできないので、何を「ていねい」にするかは、その人の選択による。

そこで、この「一汁一菜」は、食生活をていねいにすることで、生活そのものに一本の筋を通しましょうと提案する。シンプルに続けられるていねいな食生活によって、自分の健康と生活を大切にし、自分の人生を主体的に生きましょうというのである。

暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
『一汁一菜でよいという提案』9ページより

しかし、たしかに、仕事に家事に、育児に、介護にと人生のあれこれで忙しく、さまざまな事情を抱えた現代の個人や家庭においては、このような「一汁一菜」ですら、実践するのは難しいのかもしれない。

また、「食」そのものに興味がないという人、「家庭の味」にいい思い出などないという人、これだけ多様な食べ物にあふれている今の日本において、何も和食にこだわる必要もないという人もいるだろう。

それでも…である。そういった現代の食事情や家庭事情を熟慮したうえで、それでも土井先生は、「食べる」ことは「生きる」ことだと信じ、それには、一定のけじめや秩序が必要だと説く。

「一汁一菜」に手間は必要ないが、「手抜き」はしない。食材を洗う、切る、茹でるなどの調理の基本がどんな料理にも必要であるように、「生きること」に必要不可欠なことは、手を抜いてはならないというのである。

料理番組や料理本で拝見する、先生の穏やかな語り口と笑顔の中に、次のような決意があることを知るとき、先生の料理の世界がまたちがったものにみえてくるのではないだろうか。

持続可能な家庭料理を目指した「一汁一菜でよいという提案」のその先にあるのは、秩序を取り戻した暮らしです。ひとり一人の生活に、家族としての意味を取り戻し、世代を超えて伝えるべき暮らしの形を作るのです。
『一汁一菜でよいという提案』82ページより






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