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責任を背負いすぎなくていい
心療内科医の鈴木裕介さんの本、「我慢して生きるほど人生は長くない」。
タイトルが絶妙に素晴らしくて、手にとりました。
本当にそうだよな、と…。
内容も素晴らしかったので、よかったら読んでみてください。
今日はその連想で記事を一つ書いてみることにします。
責任を背負いすぎてしまうことについて。
私自身はもともと責任を背負いすぎてしまうタイプだったと思います。
誰かに頼まれたことを断ることはとて
「私たちは何にでもなれる」イメージの力
「コンフィデンスマンJP プリンセス編」に出てくるこの言葉がとても好きです。
「私たちは何にでもなれる」
信じる力をもらえる、パワーのある言葉だと感じます。
イメージの力はとても大きいと感じています。
たとえば、苦手な人と話すとか、言いづらいことを言うとか、とてもできそうにないことと思うことでも、イメージができればきっとできる。
逆に、イメージもできないことはたぶんまだチャレンジする段階では
自分を責めるのはつらい、でも自分を守っている面もあるのかも
自分が悪い、ああしていれば、この力が足りなかったから、、、
うまくいかないことがあった時に、自分の悪かった(のではないかと思う)ところを無意識に探してしまうことがよくあります。
もはやクセというレベル。
いわゆる「自動思考」だと思います。
こういうことばかり考えていると、とてもつらいし、疲れてます。
頻繁に自分のことを責めているのですから、心が弱ってしまいます。
でも、いつだったか、こういう
メンタルが強いことを目指さなくてもいい
メンタルが強くなりたい、とか、メンタルを強くする方法、とか、よく見かけます。
「強い」の定義にもよると思うのですが、たとえば、動じないとか、気にしないとか、心が折れないとか、そういうことをイメージしているなら、メンタルが強いことが本当にいいのか、私は少し疑問です。
「この人メンタル強いな」と私が思うのは、たいてい悪い意味で、鈍感だな、こちらの言うことにまったく耳を傾けないな、それでも自信満々で
”助ける側”と”助けられる側”ではなくて
ずいぶん久しぶりの投稿となってしまいました。
大学院の課題に物理的にも精神的にも追われていて、何かをアウトプットする精神的余裕がありませんでした。余裕って大事です。
さて、久しぶりに書けそうなテーマが浮かんだので、逃がさないうちに言葉にしてみようと思います。
”誰かを助けたい”という思いを持っている人に出会うと、少しモヤモヤします。
その気持ちは高尚で尊いものだと思っていますし、誰かの力になろ
すべての人が優しい人に出会えますように
ひとりで苦しんでいる人の隣にそっと座る”誰か”でいたい。
”誰か”がすでにいる人は、それでいいと思っています。
そこにでしゃばろうとするほどいい人でもないし、キャパが広いわけでもない。
でも、ゼロとイチの間には天と地ほどの差があって、”誰か”が誰もいない人の心はどんなに苦しくて孤独なのだろうと、想像するだけで胸が締め付けられます。
一人でいい。隣に座って、うんうん話を聴いてくれる人がいること
隣で応援してくれる本とのはじめての出会い/「心をつかむ超言葉術」を読んで
ゆっこさんに紹介していただいた、阿部広太郎さんの「心をつかむ超言葉術」という本。
本と対話するというはじめての経験でした。
まず、とにかく読みやすい。
最近、文章を読んでもなかなか頭に入らなくて(学術論文を読まなければいけない苦痛…)、私のやる気や集中力の問題かも、と不安になることがあります。
もちろんそれもゼロではないのだろうけど、読みやすい文章はそれでも読めるんですよね。
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