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実語教

皆さん実語教という言葉は聞いたことありますでしょうか。
またご存知でしょうか。読んで字の如く「実りある言葉の教え」です。

「実語教」は、平安時代末期に普及し始めた初学者向けの教科書です。
江戸時代には寺子屋で手習や素読の教科書として広く用いられていました。
古くから日本人に親しまれてきた古典です。

私はこの実語教を昨年知りました。よく見るYouTubeチャンネルで紹介されていてその中身が本質を得ていて感銘しました。その日から寝る前にはこの実語教に書かれていることを音読することが日課になっています。
その大切な心得、人としての本質を突いた内容はいつの時代も変わることなく、読む度に自分自身を引き締めてくれます。


今回皆さんにも知っていただきたいと思い全文紹介させていただきます。
日々の中で見返して役に立つことを願っております。

では参りましょう。



実語教


山高故不貴 以有樹為貴 人肥故不貴 以有智為貴 
山高きが故に貴(たっと)からず。木有るを以(もっ)て貴しとす。人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しと為す。
(訳)山は高いから尊いのではく、木々が生い茂っているから尊いのである。人も恰幅が良いから尊いのではなく知恵が備わっているから尊いのである。

富是一生財 身滅即共滅 智是万代財 命終即随行
富は是(これ)一生の財(たから)。身滅すれば即(すなわ)ち共に滅す。智は是万代の財。命終われば即ち随って行く。
(訳)財産は一生の宝であるが、自分が亡くなってしまえば同時に失われる。しかし知恵は永遠の宝でありその人が亡くなってしまってもなお後世へ受け継がれていく。

玉不磨無光 無光為石瓦 人不学無智 無智為愚人
玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦と為す。人学ばざれば智無し。智無きを愚人と為す。
(訳)宝石は磨かなければ光り輝くことはない。光り輝いてない宝石を石瓦という。人も学ばなければ知恵が備わることはない。知恵が備わっていない人を愚か者という。

倉内財有朽 身内才無朽 
倉の内の財は朽つること有り。身の内の才は朽つること無し。
(訳)倉庫の中にある家財道具や金銀財宝は朽ちてしまうことがあるが、身に備わる才能や知恵は朽ちてしまうことがない。

雖積千両金 不如一日学 
千両の金を積むと雖(いえど)も。一日の学に如かず。
(訳)たとえ多くのお金を蓄えたとしても、一日学問を学んだことに及ぶことはない。

兄弟常不合 慈悲為兄弟 
兄弟(けいてい)常に会わず。慈悲を兄弟と為す。
(訳)兄弟は常に仲が良いとは限らないので、互いに思いやりの心を持って接する者を兄弟とする。


財物永不存 才智為財物
財物は永く存せず。才智を財物と為す。
(訳)財物はいつまでもあるとは限らないので、身に備わる才能や知恵を自らの財物とする。


四大日々衰 心神夜々暗 幼時不勤学 老後雖恨悔 尚無有取益
四大日々(しだいひび)衰え、心神夜々(しんしんやや)に暗し。幼(いとけな)きときに勤め学ばざれば、老いて後に恨み悔ゆと雖(いえど)も尚益する所有ることなし。
(訳)心身は次第に衰えていく。若い時から学問に励まなければ、年老いてから後悔しても何ら益する所がない。

故讀書勿倦 学文勿怠時 除眠通夜誦 忍飢終日習
故に書を読みて倦(う)むことなかれ。学文に怠る時なかれ。眠りを除きて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ。飢えを忍びて終日(ひねもす)習え。
(訳)故に書物を読んでも途中で飽きてしまうことがあってはならない。学問を怠ることがあってもならない。寝る間を惜しんで一晩中書物を誦(しょう)み、お腹が空いても一日中勉強せよ。


雖會師不学 徒如向市人 
師に会うと雖(いえど)も学ばざれば、徒(いたづ)らに市人(いちびと)に向かうが如し。
(訳)立派な先生に出会ったとしても自分に学ぶ気持ちがなければ、それはただ町に住む見知らぬ人と向かい合うようなものである。

雖習讀不復 只如計隣財 
習い読むと雖も復せざれば、只隣の財を計(かぞ)ふるが如し。
(訳)学問や読書をしても復習することがなければ、それはただ隣の家の財産がいくら位あるのだろうと推し量るようなものである。

君子愛智者 小人愛福人 
君子は智者を愛し、小人は福人を愛す。
(訳)君子(立派な人柄)は智者を愛し、小人(品性の欠けた者)は福人(金持ち)を愛する。

雖入富貴家 為無財人者 猶如霜下花
富貴(ふうき)の家に入ると雖(いえど)も、財無き人の為には、猶(な)ほ霜の下の花の如し。
(訳)金持ちで身分の高い家に入って多くの財産や高い地位を得たとしても、才能や知恵のない人であれば、ちょうど霜の下の花が萎れてしまうようなものである。

雖出貧賤門 為有智人者 宛如泥中蓮
貧賤(ひんせん)の門(かど)を出ずと雖(いえど)も、智有る人の為には、宛(あたか)も泥中の蓮(はちす)の如し。
(訳)貧しくて身分の低い家に生まれたとしても、知恵のある人であれば、ちょうど泥の中の蓮が清らかで綺麗な花を咲かせるようなものである。

父母如天地 師君如日月 
父母は天地の如し。師君は日月の如し。
(訳)父母は天地のように尊く、師君は日月のように尊い。

親族譬如葦 夫妻猶如瓦
親族は譬(たとえ)ば葦(あし)の如し。夫妻は猶ほ瓦の如し。
(訳)親族は(水辺に生い茂る)葦のように多く、夫妻は(価値のない)瓦のように卑しい(この句は、父母や師君と親族や夫妻とを比較して、前者を強調するために後者を卑下している)

父母孝朝夕 師君仕昼夜
父母には朝夕孝せよ。師君には昼夜仕えよ。
(訳)父母には常によく孝行を尽くし、先生や主人には常によく仕えよ。

交友勿諍事
友と交わりて諍(あらそ)う事なかれ。
(訳)友達と交際しても、喧嘩をしてはならない。

己兄尽礼敬 己弟致愛顧
己より兄には礼敬を尽くし、己より弟には愛顧を致せ。
(訳)自分より年上の者には礼儀正しくしてよく敬い、自分より年下の者には可愛がってよく面倒を見てあげなさい。

人而無智者 不異於木石 人而無孝者 不異称畜生
人として智無き者は、木石に異ならず。人として孝無き者は、畜生に異ならず。
(訳)人として智恵のない者は木や石と大して差が無い。人として孝を尽くさない者は、鳥や獣と大して差がない。

不交三学友 何遊七学林
三学の友に交はらずんば、何ぞ七覚の林に遊ばん。
(訳)三学を修行する友達に交わらなければ、七覚の林で遊ぶことはできない。
三学=仏道を修行する者が修めるべき三つの修行法のこと。
七覚=悟りを得るための七つの修行法のこと。

不乗四等船 誰渡八苦海
四等の船に乗らずんば、誰か八苦の海を渡らん。
(訳)四等の船に乗らなければ、八苦の海を渡ることができない。
四等=仏道を修行する者が持つべき四つの心の在りようのこと。
八苦=人生における八つの苦しみのこと。

八正道雖廣 十悪人不往
八正の道は広しと雖(いえど)も、十悪の人は往(ゆ)かず。
(訳)八正の道は広々としているけれども、十悪の人はその道を進むことができない。
八正道=涅槃(ねはん)の境地。
十悪=身、口、意から出る十個の悪い行いのこと。

無為都雖楽 放逸輩不遊
無為の都は楽しと雖(いえど)も、放逸の輩(ともがら)は遊ばず。
(訳)無為の都は楽しいけれども、放逸の輩は遊ぶことができない。
無為の都=涅槃の境地
放逸の輩=仏道に背いて修行を怠る者のこと。


敬老如父母 愛幼如子弟
老いたるを敬うは父母の如し、幼(いとけな)き愛するは子弟の如し
(訳)お年寄りに対しては自分の父や母を敬うように接し、幼い子に対しては自分の子や弟を可愛がるように接せよ。


我敬他人者 他人亦敬我 己敬人親者 人亦敬己親
我他人を敬えば、他人亦(また)我を敬う。己人の親を敬えば、人亦己の親を敬う。
(訳)自分が他人を敬えば、相手もまた自分のことを敬う。自分が他人の親を敬えば、相手もまた自分の親のことを敬う。

欲達己身者 先令達他人
己が身を達せんと欲する者は、先ず他人を達せ令(し)めよ
(訳)自分自身の目的を成し遂げようと思う者は、先に[同じ目的を持つ]他人が成し遂げられるようによく助けよ。

見他人之愁 即自共可患 聞他人之嘉 即自共可悦
他人の愁(うれ)いを見ては、即(すなわ)ち自ら共に患(うれ)うべし。他人の喜びを聞きては、即ち自ら共に悦(よろこ)ぶべし。
(訳)他人が憂えているのを見たならば自分も一緒になって憂えてあげることである。他人が喜んでいるのを聞いたならば、自分も一緒になって喜んであげることである。

見善者速行 見悪者忽避
善を見ては速やかに行い、悪を見ては忽(たちまち)ち避けよ。
(訳)善い行いを見たならばすぐにこれを行い、悪い行いを見たならばすぐにこれを離れよ。

修善者蒙福 譬如響応音 好悪者招禍 宛如随身影
善を修める者は福(さいわい)を蒙(こうむ)る。譬(たとえ)ば響きの音に応うるが如し。悪を好む者は禍(わざわい)を招く。宛(あたか)も身に影の随(したが)うが如し。
(訳)善いことを修める者は身に幸福をもたらす。例えば響いた音が帰ってくるようなものである。悪いことを好む者は身に災難をもたらす。まるで影が付いて来るようなものである。

雖富勿忘貧 雖貴勿忘賎 或始富終貧 或先貴後賎
富むと雖(いえど)も貧しきを忘るること勿(なか)れ。貴(たっと)しと雖も賤(いや)しきを忘るること勿れ。或いは始め富て終わり貧しく、或いは先に貴くして後に賤し。
(訳)自分の生活が豊かになったとしても貧しい生活を送る者のことを忘れてはならない。自分が高い地位に就いたとしても身分の低い者のことを忘れてはならない。ある場合は、最初は裕福であっても最後には貧乏になることがある。ある場合は、最初は高い地位に就いていたとしても最後には身分が低くなることがある。

夫難習易忘 音聲之浮才 又易学難忘 書筆之博藝
それ習い難く忘れ易きは、音声の浮才。また学び易く忘れ難きは、書筆の博藝(はくげい)。
(訳)音楽は習うのは難しく忘れ易いものであって、日常生活ではあまり役に立たないものである。読み書きは、学ぶのは易しく忘れ難いもので、色々な方面に応用が効いて大いに役立つものである。

但有食有法 又有身有命 猶不忘農業 必莫廢学文 
但し食有れば法有り、また身あれば命有り。猶ほ農業を忘れず、必ず学文を廃することなかれ
(訳)しかし食物があれば、そこには法がある。また身体があれば、そこには命がある。そして農業を忘れず[食物の根本]、決して学問[人道の根本]を疎かにしてはならない。

故末代学者 先可按此書 是学文之始 身終勿忘失
故に末代の学者は、先ず此の書を按(あん)ずべし。是(これ)学文の始め、身終わるまで忘失(ぼうしつ)することなかれ。
(訳)故に後世の初学者は、先ずこの書物をよく読んで思案すべきである。これは学問の始まりであり、この書物に書かれていることは死ぬまで忘れてはならない。



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