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【短編】『ベイエリア・トライアングル』(後編)

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ベイエリア・トライアングル(後編)


 その日は運よく霧が晴れており難なく海岸へと辿り着いた。目の前に小型ボートがいくつも停められており、その先には岩で固められた細い道が海の上にひっそりと続いていた。道を歩いていると、停められた小型ボートが目に入っては、どれがハリウッド俳優の所有物だろうかと目を輝かせて眺めながら、友人もこの中の一隻を持っていたのだろうかとふと思った。道の終点まで来ると海を隔てて目の前にかの有名な監獄島、アルカトラズ島が見えた。すぐ道の脇には何やら凸凹の階段のようなものがあった。銘板にウェーブオルガンと書かれていた。パソコンで調べた画像の通りの場所だった。岩からは巨大な血管にも見えるパイプ状のものがいくつも突き出しどこか歪な形をしていた。説明にあった通り波が岩にぶつかって奏でるハーモニーとやらをパイプに耳を当てて聞いてみることにした。すると、どのパイプからも、ドゴゴゴゴン、ググガガガゴゴゴン、ドゴゴゴゴンと悪魔が囁くような音が聞こえてくるのだ。友人がなぜわざわざぼくをこんなところに連れてこようとしたのか。そもそもランズエンドやツインピークスで見たような絶景と呼ばれるような眺めはどこにも見当たらなかった。彼の言った「きっと驚くよ」という言葉は何に対するものなのかぼくにはまるでわからなかった。強いて言うならば、驚くべきものはトライアングルそのものであった。ぼくはもう一度地図アプリを開いてその正三角形をじっくりと観察した。何かしら意味があるのかと、それぞれの名所の名前を読み比べてみたがこれと言って共通点は見つからなかった。ぼくはアルカトラズ島を眺めながら心の中で唱えた。トライアングル。トライアングル。トライアングル。

 トライアングルと言えば、都市伝説で有名なフリーメイソンのシンボルである真実を見る目があった。咄嗟にそのマークが頭に浮かんだぼくは地図を見返した。もしかするとこの正三角形の中心にあたるところになにか秘密があるのかもしれないと、まるで財宝のありかを地図から読み解く若い海賊のような心持ちになった。すぐにウーバーを呼び、正三角形の中心にあたる場所へと向かった。

 車を降りてしばらくあたりを散策していると道行先に、ゴシックやヴィクトリアン様式の綺麗な家々が連なっていた。友人の家と全く同じ色と形をした家さえあった。一瞬、死体が床に転がっているあの時の光景が蘇った。あれは本当に現実に起こったのだろうか。彼が死んでしまったということが今でも信じられなかった。唯一トライアングルという謎めいたメッセージだけが彼の死を決定付けようとしたが、それは同時にぼくの中で友人を生かし続けるための箍となっていた。気づくとぼくはすでに正三角形の中心から遠ざかっていた。来た道を戻っていくと、先ほどは近すぎて目に映らなかった大きな建物がくっきりとその容姿を見せた。テンプルエマニュエルと書かれていた。ユダヤ教の改革派会堂であった。高級住宅街の中核に大きな宗教施設があるこの異様な光景にどこか違和感を覚え、あのトライアングルという謎の真相に一歩近づいたような気がした。

 突然、携帯電話が鳴った。先日事情聴取を受けた警察官からだった。

「もしもし」

「はい」

「君の友人を殺害した犯人を捕らえた」

「今なんて?」

「だから犯人を捕らえたって」

「本当ですか!では今すぐそちらに向かいます」

「だめだ。犯人との面会は許可できない。それにやつはもう何もかも話している」

「じゃあ動機は?」

「強盗殺人だ。犯人が君の友人宅に強盗に入った時たまたま家主に遭遇して殺して逃げたと」

「強盗?そんなはずはありません。必ず裏に何者かがいます」

「なに?誰かが君の友人を殺すよう指示したとでも言いたいのか?」

「そうです」

「残念ながらそれはない。やつは高所得者層を狙った強盗の常習犯だ」

「やつは嘘をついてます」

「嘘ではない。これまで数十軒にもわたって被害届が出ている」

「それは表の顔です」

「いい加減にしろ。とりあえず君の友人を殺した犯人は捕らえた。話は以上だ」

とその言葉を最後に電話は切れてしまった。友人の死因がただの強盗殺人であるはずがないと強く自分に言い聞かせよう試みたが、一方で警察官の言っていることが正しいようにも感じた。友人の死の真相が判明してしまった今、もう何をするにも意味をなさなくなってしまった。何かを掴んだと思った矢先にその自信は一瞬にして砕け散ったのだ。友人を失った悲しみよりも、ただ無力という感情だけが僕の頭の中を駆け巡った。

 ぼくは数日間ホテルの中にこもった。特にこれといってすることもなくただ呆然と放心したまま一日を過ごした。友人のことさえ考えなかった。しかしそれは嘘だった。ぼくは何度も、友人がぼくになにかを伝えようとした途端に目の前で死んでしまうという夢を見た。これはいくら友人を忘れようとしても深層心理では忘れられないということの現れであった。ぼくは何もかもを忘れて残りの休暇の間サンフランシスコを満喫しようと考えた。ゴールデンゲートブリッジや、コイットタワー、アルカトラズ島、サンフランシスコ市庁舎など市内のあらゆる観光名所をレンタカーで巡った。その中でも一際ぼくの目を引いたのがトレジャーアイランドであった。トレジャーアイランドは、サンフランシスコとオークランドを繋ぐ橋の真下に人工的に作られた埋立地だった。橋を渡る最中バックミラーに映るサンフランシスコが徐々に小さくなっていく光景にどこか寂しさを覚えた。

 いざ島に来てみたはいいものの特にすることはなかった。駐車場のすぐそばに小さな公園があり遊具が風に吹かれて揺れていた。島を一周してみたが人通りが少なく不気味な印象を与えた。海岸沿いまで歩くと、目の前の情景にぼくは目を奪われた。海に浮かぶサンフランシスコベイエリアの夜景はまさに絶景だった。ぼくはふと友人とともに行ったランズエンドやツインピークスで見た綺麗な景色を思い出した。ぼくは今いる場所の名前をなんとなく知りたくなった。真っ暗な中、海外沿いを歩き進めるとちょうど中間地点に看板を見つけた。そこにはニューポート、新たな港と書かれていた。近頃気が沈んでいたこともあって、その言葉はなんだか時代の始まりを予感させ微かに希望を与えた。とその時、ぼくはランズエンドで日の入りを見た時も同じ感覚を抱いたことを思い出した。ランズエンドが意味する地の果て、そしてニューポートが意味する新たな港。どちらもその場所にふさわしい名前が名付けられていた。そしてぼくにはどうしてもそれらの言葉がお互いを補完し合っているように感じられて仕方がなかった。風が強くなってきたためぼくはすぐに車に戻った。ひとまずヒーターの電源を入れ車の中が暖まるのを待った。その間、この場所を記録しておこうと地図アプリを開いた時だった。ちょうど地図上にウェーブオルガン、そしてランズエンドのピンが等間隔に置かれているのである。ぼくはそれに何か違和感を覚えたと同時に、ランズエンドとニューポートという対照的な名前の場所がウェーブオルガンを中心に意図的にこの位置に置かれているように思えた。その瞬間、友人が残したトライアングルというメッセージがぼくの脳裏に再び焼き付いた。それと同時にこれまで訪れたいくつもの名所が地図上で存在感を放ち、それらの点と点が線でつながりかけた。

 ぼくはすぐにホテルに戻り、紙の地図を床一面に大きく広げた。隣でパソコンを開くや否や無心になってサンフランシスコ中の有名な観光名所、そして歴史のある史跡を調べ上げ、まるで連続殺人鬼ゾディアックの正体を探る刑事になったかのように地図目掛けてペンを動かし始めた。北には、ベイエリアから少し離れたエンジェル島にあるドリュー砲台の史跡。すると、ニューポート、ドリュー砲台、ウェーブオルガンの正三角形ができあがり、そのちょうど中心部にはアルカトラズ島がくる。北西には、戦時中に作られたベイカー要塞とバリー要塞を繋ぐベイカーバリートンネル。これもまた、ランズエンドとベイカーバリートンネル、ウェーブオルガンを結ぶと正三角形ができあがるのだ。そのちょうど中心部にあたるのがサンフランシスコの象徴として有名なゴールデンゲートブリッジである。さらに、先ほどのドリュー砲台とベイカーバリートンネル、そしてウェーブオルガンのちょうど中心部にあたるのが、ハンクイーソムの浮標という史跡。南東には、かつて穀物ターミナルとして盛んだった小さな島であるミッションロック。今度はそのミッションロックとツインピークス、ウェーブオルガンを結ぶ。すると正三角形ができあがる。そのちょうど中心部にあたるのがサンフランシスコ市庁舎である。東には、ニューポート、ミッションロック、ウェーブオルガンの中心にベイエリアを一望できるコイットタワーがくる。南西には、ツインピークス、ランズエンド、ウェーブオルガン。そしてそれらの中心部にはすでに承知の通り、ユダヤ教改革派の会堂テンプルエマニュエルがくる。これで必要なピンは全て揃った。それぞれの地点を結んで地図を俯瞰して見た。すると、ウェーブオルガンを中心にベイエリアを覆う巨大なダビデの星が浮かび上がるのである。

 ぼくはようやく我に返り、今し方わかったことを客観的に見てみようと試みた。つまり、友人の残したメッセージであるトライアングルというのは、ランズエンド、ツインピークス、ウェーブオルガンを結ぶ正三角形ではなかった。むしろ彼の伝えようとしていた真のトライアングルとは、ベイエリアを囲む二つの大きな正三角形であったのだ。ぼくは自分が計り知れないものを発見してしまったことにひどく動揺し足がすくんでしまった。ふと外を眺めるとすでに空は明るくなっていた。窓からは始発のケーブルカーの鐘の音が聞こえてきた。そのままベッドで眠りたい気持ちは山々だったが、すぐにシャワーを浴び新しい服に着替えてウェーブオルガンへと再び向かった。


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