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【短編】『罪ってなんだろう』

罪ってなんだろう


 結論から言うと、罪とは社会が生み出したものである。個人は生まれてくるときには罪意識はない。成熟していくにつれて社会の中で教育を受け、罪というものを知り、そして罪を犯すのである。要するに罪を知らなければ罪は犯せないのだ。

 犯罪という行為は少々チック症や失笑恐怖症などに類似性を見出すことができる。意図せず汚い言葉を発してしまう。あるいは意図せず不謹慎な場面で笑ってしまう。これらは全て認識における定義付けという行為がもたらす副作用である。ある意味で、罪や正義という認識そのものがまんまと人間の機能不全に利用されてしまっているのだ。はたまた、キリストは罪を赦すと言うではないか。つまりは罪を悪として捉えることで、人々から信仰を得ようという目論見がないとも言い切れない。そう言う意味では、罪というのは信仰にまで利用されているということになる。

 ではなぜこの社会では犯罪が起こるのか。先ほども申したように、それは人々が犯罪を定義付けるからである。犯罪という概念がなかった時代、例えば原始時代にはもちろん犯罪めいたことは行われていたに違いない。しかし今みたく犯罪行為に過敏に反応することはなかった。むしろ彼らは不条理こそ自然であると信じていたのだ。しかし、人間は大きな社会を構成していく中で、一つの共通する定義を必要としてきた。それは罪に限らず、ありとあらゆる概念が該当する。

 罪そのものを創ってしまった人間は、皮肉にもその罪という概念によって人が罪を犯すことを助長してしまう。この社会において犯罪者と言われる者たちによって、彼らが自己実現をする上で、自分の行いを正当化(言語化・神聖化)するために使われているだけのことなのだ。つまり、罪や正義という概念は犯罪撲滅の何の役にも立っていないのだ。

 しばしば犯罪は狂人によって行われる。ではなぜ人間は狂ってしまうのか。それは信仰心が強い生き物だからだ。その信仰が間違っていたと知った時、あるいは信仰心を失ってしまった時、生きるという最低限の目的意識すら揺らいでしまい、人生を取り戻すための復讐に転じるのだ。彼らは傷つけられた者以外に社会そのものに復讐心を抱く。社会こそが自分の身を脅やかすものと認識してしまうのだ。そしてそれは間違っていないのだ。犯罪という概念はある意味では、人間の本来の性質を否定するものであり人工的に作られた社会のルールなのだ。つまり、罪をなくす方法はただ一つである。人間を社会という監獄から解放することである。

 では初めの議題に戻ろうと思うがそれは何であったか。ああ、罪とは何かだ。詰まるところ、それは、この社会そのものである。とここでボケてみる。


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