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【書評】 『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』 梶田昌史、田渕浩久・共著

読了したのは1年半ほど前なのだが、何度も読み返していながら書評を残していなかった。

あまりにも有名な松田聖子«Sweet Memories»(作曲編曲)、八神純子『みずいろの雨』、山口百恵『謝肉祭』、岸田智史『きみの朝』、渡辺美里«My Revolution»、大沢誉志幸『そして僕は途方に暮れる』、小泉今日子『水のルージュ』(以上編曲)など数多くのヒット曲に携わり、我が国にプロデューサシステムが確立されるよりはるか前に実質プロデューサを務めてきたといえ、我が国の音楽シーンに多大な影響を及ぼしているにも関わらず、その存在が大きくは知られていない大村の足跡を、関係者のインタビューを軸に丹念に追う。

筆者たちは、大村が平成8年(1996)に亡くなって時間も経っていることから、通史的な本にならざるを得ないと考えており、高校時代~ネム音楽院(現在のヤマハ音楽院)~上京してすぐさまヒットメーカーになってゆく過程が描かれてはいる。
が、ゆかりのある人たちに取材を申し入れてみたところ「大村さんのためなら」とインタビュー受諾の返事がドシドシ舞い込み、関係者の思い出から故人の人柄や仕事を追える一冊になっている。

松田聖子作品を通じて、いわば黄金時代を築いた松本隆には、筆者がダメモトで取材を打診したとあるが、全面協力でロング・インタビューに応じてくれ、大村との合作«Sweet Memories»の詞の直筆原稿(英語パートの元となった日本語詞入り!)の写真までもが収録されている。

そして肝心の松田聖子自身のインタビューは、書面での回答であったらしく、関わり合いの深さに較べてあっさりとした内容になっているが、故人との思い出は人前でひけらかすものではないという彼女なりの美学なのかも知れないと思えた。
本書には出てこないが、親と夜中に喧嘩して家を出た聖子が当てもなく向かった先が大村のアパートだったとか、深夜のレコーディング中に煮詰まった聖子を見てとった大村がドライブに連れ出して、ふたりでマクドナルドを食べに行ったなどといった挿話はとっても微笑ましいし、アイドルというお化粧をせずに話の出来る、同じ福岡出身の兄貴分の存在が、彼女にとってどれほどの支えになっていただろうか、と思ってしまう。

1990年代半ば、小室哲哉・小林武史のダブルTKがいわゆるプロデューサとして名を上げてきた時に、フリーランスからレコード会社専属のプロデューサに転身して新たな一歩を踏み出そうとしていた頃、大村は病に倒れる…… あまり世間に馴染みのない病気であったらしく、ある種の大人の事情があるのか最晩年の様子は本書でもあまり詳らかにされてはいないのだが、それは大村の残した音楽とは無関係といえばその通りでもある。

それにしても、享年46……
大村は松任谷正隆と同年なので、もっともっと、活躍しつづけるはずだった……

おしまいに、僕の世代にガッツリ関わってくる以下2名のインタビューの一部を引用しておきたい:

渡辺美里
「今回、大村さんについてのインタビューということでお話をいただいて、お受けすることにした理由は、«My Revolution»といえば私の代表曲でもありますけど、小室さんの最初のヒット曲という印象というか、言われ方をいろんなところで見たり聞いたりするじゃないですか。もちろんそうなんですけど、大村さんがいてくれたからこその曲なんですとなんとしても言いたかったんです」

「時代の匂いというか、時代のエッセンスをちゃんと入れながらも普遍的なんですよね」

「大村さんと小室さん、もっと言えば詞を書いてくださった川村真澄さん、それと時代の匂い、あともしかしたら私という新人の女の子が『レヴォリューション』っていう言葉を歌ったインパクト。そんないろんな要素が組み合わさって、今もみなさんに愛される曲であり続けられるのかなって思います」

「(引用者註:«My Revolution-第2章-»について)かなり時間をかけて書いてくださいました。実は弦アレンジについてはプロデューサーが小室さんにも声をかけたそうなんですが、『大村さんのオリジナルを超えるアレンジは僕には書けません』と小室さんは言ったそうです(中略)その後、大作曲家の宮川泰先生とNHKの番組でご一緒した際に(中略)オーケストラ・アレンジを宮川先生にお願いしたんですけど、『大村さんが書いたこの第2章のアレンジ以上のものは僕には書けない。このままやりましょう(中略)こんなすごいアレンジはなかなかないよ」とおっしゃってました。それを聞いてあらためて大村さんが苦労して書いたであろう弦アレンジのすごさを思い知りました。それからまたあと(中略)クライズラー&カンパニーの斉藤恒芳さんが(中略)の譜面を見て、『美里っちゃん、これはものすごく愛情深いアレンジだよ。絶対このままやりたい』って。クラシックの世界の人だからこそ、譜面から伝わってくる大村さんの曲に対する思いが私よりもわかるんでしょうね。なので『それほどすごいアレンジを残してくれたんだ』とあとから、時が経った今でも思わせてもらっています」

「あとみんな«My Revolution»って言うけど、«BELIEVE»もすごいです。あんなに短いイントロで«BELIEVE»っていう曲を表現してくれました」

「86年の3月に、«Lovin' you»のギターやコーラスのダビング作業でニューヨークに行ったんですけど、その時に大村さんももちろんいて、私が初めての海外だったこともあって、入国手続きの時にすごく気にかけてくれて、近くで見守ってくれました。そこで私が入国審査官の人に『キミ何やってるの?』って聞かれて、私が片言の英語で『私シンガーなの』、『へぇ ー、グラミーはいつ獲るんだい?』、『来年くらいかしら』ってやりとりしているのを見て、『美里っちゃん大丈夫だね』って言われたことを覚えてますね(笑)」

小室哲哉
「大沢(誉志幸)さんの『そして僕は途方に暮れる』は、大村さんの最高傑作かなと思ってるんですけど、絶妙な組み合わせだなぁと思っていて。『これぞアレンジ』というか、曲を生かすアレンジはすごいなと」

「まさに、僕のそういう感覚というか、新たに提示したいものをいちばん早く理解してくれたのが大村さんだったんですよ。なので大村さんは(中略)、『小室くんならここを生かすべき』っていうような、そういうポイントをちゃんと知ってくれていたんだと思います。だから新しいことを僕が提案するとすぐに気づいてくれたんじゃないかなと」

「衝撃という意味では(引用者註:中山)美穂さんの『JINGI・愛してもらいます』なんですよね。デモテープを作った時は『なんて自分は才能がないんだ』くらいの出来だったのが、こんな風に仕上がるんだっていう落差がすごかったので。プロの仕事ってすごいってあらためて思わせてもらった曲です。この曲はイントロ、Aメロ、Bメロ、サビとコード進行が全部同じなんですよ。同じ4小節が4つ並んでるって言ってもいいくらい。それをクレッシェンドというか、サビに向けて上げていってくれたのは大村さんのアレンジ力のおかげなんですよ。これは詞は松本隆さんですよね?」

「90年代の初めに清水信之に『テクノをやろうと思ってるんだよね』みたいな話をしたことがあったんですけど、その後『小室くんに合ってると思うよ』と大村さんが言っていたということを間接的に聞いて、背中を押してもらいました。その結果 trfを始めたんですよ」

「«SWEET MEMORIES»は当時ほとんどの人が洋楽のカバーだと思ったんじゃないですか?(中略)そこまで日本人の血の匂いがしない曲はないんじゃないかっていうくらい。作曲者として日本人の名前が見えてこないですよ。そう考えると、僕が言われる『洋楽っぽい』っていうレベルの話じゃないですね」

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