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fukushima report 2017

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原子力安全・保安院 平岡英治・元次長 5年余の沈黙を破る  9時間インタビュー(上)

原子力安全・保安院 平岡英治・元次長 5年余の沈黙を破る  9時間インタビュー(上)

 2011年3月に起きた福島第一原発事故当時、原子力安全・保安院のナンバー2だった平岡英治・元次長が、事故後5年以上の沈黙を破って、詳細な証言を公にした。政府・原子力規制官庁の専門家として、住民避難など重要な政策決定の場面に立ち会った当事者である。

 これまで平岡氏の証言は、政府事故調査委員会のヒアリング結果や福島県の地元紙「福島民報」の短いインタビューなどごく少数の例外を除いて、公になっていな

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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破る 9時間インタビュー(中)

原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破る 9時間インタビュー(中)

  2011年3月に起きた福島第一原発事故当時、原子力安全・保安院のナンバー2だった平岡英治・元次長のインタビュー2回目を公開する。平岡次長は、2011年3月11日の地震発生直後から原発対策のための本部に入り、同日午後7時過ぎからは首相官邸に詰めて菅直人総理、海江田万里経産大臣ら政治家職や班目春樹・原子力安全委員長(いずれも当時)と住民の避難策や暴走する原子炉への対応を決めるプロセスに参加した当事

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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

 2011年3月の福島第一原発事故のとき、官界の代表として首相官邸で住民避難政策の策定にかかわった平岡英治・原子力安全・保安院次長(当時)のインタビューの最終回をお届けする。今回も重要な証言が随所に出てくる。

*原子力安全・保安院の職員が福島第一原発から数キロの事務所に7〜8人いた。

*しかし住民避難を手伝うことはなかった。3月15日に福島市へ撤退した。

*住民避難は保安院の仕事ではない。避

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3・11から6年 津波に破壊されたままの姿で 小学校は眠る

3・11から6年 津波に破壊されたままの姿で 小学校は眠る

 2017年2月3日から5日にかけて、福島第一原発事故の影響で放射性物質の汚染を受けた福島県浪江町などを取材に訪れた。

 同原発から4〜10キロ北にある浪江町は、今も高濃度の汚染が残る山側(下地図のC地区)をのぞいて、太平洋沿岸の居住制限を2017年3月末で解除することを宣言している。原発事故直後、浪江町は全町民約2万5000人の避難を余儀なくされた。事故後6年にして、ようやく「ふるさと」への帰

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放射能が6年間封印した街 時計は今も2011年3月11日のまま

放射能が6年間封印した街 時計は今も2011年3月11日のまま

 前回に続いて、福島第一原発事故による放射能汚染のため、6年間ほぼ無人のまま封印されてきた福島県浪江町を訪問した報告をお届けする。前回の海岸部から反対に、国道6号線から西に曲がって、JR常磐線・浪江駅の駅前にある商店街など町の中心部を目指した(2017年2月3〜5日)。

 浪江町は福島第一原発から北に4〜8キロの距離にある。2011年3月11日、原子炉の状態が悪化し、約2万5000人いた町民は地

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福島第一原発から4キロの町 6年ぶりの居住制限解除 住民の半分「もう戻らない」

福島第一原発から4キロの町 6年ぶりの居住制限解除 住民の半分「もう戻らない」

 2017年2月3〜5日にかけて福島県南相馬市南部の小高地区〜浪江町を訪ねた写真レポートの三回目をお届けする。浪江町は同年3月31日で居住制限が解除される。「住民は戻ってきて住んでいいですよ」という政府の決定だ(大高地区は昨年7月に居住制限が解除された)。

しかし、町民9087世帯を対象にした町のアンケート調査では、52.6%が「もう戻らない」と解答した。「戻りたい」と答えた人は17.5%しかな

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桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メートル、阿武隈山地の高原の村である。

除染され土が入れ替えられた田畑の上でサクラがほころび始めた。(2017年4月23日 福島県飯舘村で)

 実はそのちょうど6年前、2011年4月22日にも、私は同じ村にいた。30キロ以上離れた福島第一原発から飛来した放射性物質の汚染のため、全村民約6500人に避難命令が

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フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。

 今春、飯舘村、富岡町、浪江町など、深刻な汚染で住民の自宅への帰還が制限されていた地区で「避難指示」が次々に解除された。「除染は終わったので、帰っていいですよ」という意味だ。では、住民は戻ってきたのか。それを知りたかった。

 その「先例」として、一足早く昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高(おだか)区

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フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

 2017年春、福島第一原発事故の被災地を訪れた取材記録の3回目を書く。今年3月末、政府が「除染は終わった」として「避難指示」を解除し「平時」に戻すことを宣言した、福島県飯舘村、浪江町などを取材して回った。その報告である。

 今回は、飯舘村に最初に帰った村人の一人、愛澤文良さん(75)に話を聞きに行った。3・11直後、現地に知り合いのいない私に、飯舘村についての初歩知識をコーチし、案内をしてくれ

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福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか」

福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか」

 福島第一原発事故で漏れ出した放射線で、健康被害が起きるのか。起きるとしたら、どんな病気が発生するのか。発生以来6年以上「ある」「ない」両面から社会的議論が続いてきた。

 その議論に終止符を打ったのは、同原発の復旧作業にあたっていた作業員二人が白血病(骨髄細胞のがん)になり、一人が甲状腺がんになったことだ。そして、厚生労働省が、この3人の労働災害を認めた。つまり「原発復旧の作業が原因で白血病(甲

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いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった

いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった

 万一、再び福島第一原発のような事故が起きて、放射性物質が周辺に大量に漏れたとき、次回は国は原発付近に住む住民をどう避難させるつもりなのか。これは同事故を発生時から取材し続けている私のような記者にとって、もっとも重要な関心事のひとつだ。同事故では、国の失敗から、23万人が放射性物質に被曝するという最悪の結果を招いたからだ。

 洪水や土砂崩れのような「一般災害(知事や市町村長が避難指示を出せる)と

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放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地域を取材に訪ねた。福島第一原発をはさんで、富岡町は南に約8〜14キロ、浪江町は北に6〜12キロほど。どちらも事故直後に半径20キロ以内の「警戒区域」(全面立ち入り禁止区域)に入り、住民は強制的に避難させられた。

 富岡町の町民に全員避難の政府命令が出されたのは、地震・津波翌日の2011年3月12日で

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今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた

今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた


 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区域」で街が分断された福島県・富岡町の2017年10月の姿を写真で報告した。

 では、その立入禁止境界線の向こう側に家があり、今も帰れないままの人たちは、どうしているのか。どこに住み、どんな暮らしをしているのか。何を感じ、何を考えているのか。それを今回は報告する。

 私が話を聞きに行ったのは、富岡町のJR夜ノ

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津波と放射能汚染で消えた街・JR常磐線・富岡駅前

津波と放射能汚染で消えた街・JR常磐線・富岡駅前

 2011年の東日本大震災後、フクシマに取材に行くと、よく足を運ぶ場所がある。福島第一原発から約15キロ南にあるJR常磐線・富岡駅(双葉郡富岡町)である。同じ場所に何度も行ってみることで「復興」の実像が見える。一種の「定点観測」である。

(冒頭の写真は2014年5月15日に撮影した富岡駅の様子。津波が運んだ自動車がホームで引っかかってそのまま草むしていた)

(2017年9月15日付『河北新報』

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