出亜江ノイト

小説が、束の間の、でも生きていくために大事な何かを与えてくれる、夢のようなものなら、も…

出亜江ノイト

小説が、束の間の、でも生きていくために大事な何かを与えてくれる、夢のようなものなら、もしあなたといくばくかでもそれを共有できれば、とても嬉しいです。 平日の、夜が移り変わる明け方に、毎日、更新します。

記事一覧

現代日本霊異記 五

これは、雷神だ。 風神雷神の屏風絵。対になった風神の左側で、バチを持った手を踊るように振り上げて、体の周りの太鼓を鳴らそうとしているあれだ。 僕の驚きに同意するよ…

出亜江ノイト
4時間前

現代日本霊異記 四

 僕は注意深く意識を集中する(白い意識は、何も言わない。夢の中で意識を集中するなんてできるのかい、そんな皮肉もない。)  その夢は、見慣れたトランプの絵札ではな…

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現代日本霊異記 三

 ベッドを仕切るカーテンから覗き込んだのは、長身の痩せた看護師の女性。僕の目線は、ツンと上を向いた鼻に二重の大きな黒い瞳にぶつかる。ナースキャップから短い黒髪が…

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現代日本霊異記 二

 美人とは言えなくとも、明るく人つきあいの良い母には、人生のパートナーとして、他の選択肢もあったような気がするーもちろん、他の選択が選ばれていれば、もちろん僕は…

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現代日本霊異記 一

1 雷男降臨  僕―軽部小平、カルベショウヘイ 「カルベ」、それにしても不思議な名字だーの父は、世の中がバブルに浮かれた時代にさえ縁のない弁護士だった。  父は、…

『痛みと悼み』 あとがき

最後に、お礼を述べたいと思います。 ・作家檀一雄氏とご家族 ・NHK ETV特集「“孤独死”を越えて」(初回放送日: 2021年6月19日) ・NHK ハートネットTV「“生…

『痛みと悼み』 四十四

 死者には、何をしてあげることもできない。  生きている者の、偽りに満ちた身勝手な自己満足かも知れない。  でも、と初めて思う。  たとえ自己満足でも、それが偽り…

『痛みと悼み』 四十三

 この苦しみを終わりにしたい。  母に先を越された今、めぐむの願いは叶えられない。  復讐。  知られないまま、完全に世の中から姿を消して、それを悟られないように…

『痛みと悼み』 四十二

木箱の中で動かないようにきっちりと中心に陶器の壺が入っている。ようやく暑さが緩み始めた夏とは別の冷たい死の世界。季節を無視する木箱の中立的な温度と手触りに、母の…

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『痛みと悼み』 四十一

「その意味でも、兄も寂しい種類の人間かもしれない。ただ、兄は今はまだそんな自分を受け入れて、自分の足で立ち続ける強さを持っている。」 「それは、誰のため、何のた…

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『痛みと悼み』 四十

いつもゆるぎのない自信と温かさと信仰の確信を持って、人を叱り導くのが牧師の仕事で、聡二さんだと思っていた。 「小さい頃から、そうだった。僕にはできない。この家を…

『痛みと悼み』 三十九

「作者は、多分、読者が自分の作品の何を理解しどのように感じるか、思い巡らせながら書いている、とむぐむさんは思うんだね。」 「うまく説明できませんが、そんな気がし…

出亜江ノイト
2週間前

『痛みと悼み』 三十八

聡二さんは、少し照れたように、右手の人差し指を教会の天井に向けて軽く指さす。握られた手の平がめぐむの方に向けられて、その仕草が、ミサの最中の祈りのように、静かで…

出亜江ノイト
2週間前
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『痛みと悼み』 三十七

自分のことを人に話したことが無いめぐむは、壊れやすいガラス細工の王国の孤独な女王なのかもしれない。むぐむが大事に抱えてきた隠された秘密の小国の国境の壁は脆く、長…

出亜江ノイト
2週間前
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『痛みと悼み』 三十六

そう言って、若葉さんは、背中に当てた手で招くように軽く押すと、めぐむを教会の中に導き入れる。めぐむは、作用と反作用の力の微妙な差で進み出し教会に招き入れられる。…

出亜江ノイト
3週間前
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『痛みと悼み』 三十五

なぜだかわからなかった。見たとき、自分が、もう一人の自分を殺したような気がした。それを、さらにもう一人の自分が見ている。人に知られずに姿を消すことを考えていたこ…

出亜江ノイト
3週間前
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現代日本霊異記 五

現代日本霊異記 五

これは、雷神だ。
風神雷神の屏風絵。対になった風神の左側で、バチを持った手を踊るように振り上げて、体の周りの太鼓を鳴らそうとしているあれだ。
僕の驚きに同意するように口を開けて頷くと、雷男は、囲んだ人に向かって右手を突き出す。
初めて与えられたおもちゃで遊ぶ子供みたいに、無邪気だ。
雷男が動くと人混みが崩れる。でも磁場から離れられない砂鉄のように、また彼を中心に新たな人の輪が広がる。
僕は、固定さ

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現代日本霊異記 四

現代日本霊異記 四

 僕は注意深く意識を集中する(白い意識は、何も言わない。夢の中で意識を集中するなんてできるのかい、そんな皮肉もない。)
 その夢は、見慣れたトランプの絵札ではなかった。
 周りの景色が、映画館のスクリーンで、映画泥棒のあの追いかけっこのあとのように、ゆっくりと立ち上がる。
 凪の海面にゆっくりと現れた鯨の背中のようだ。なめらかに盛り上がり、暗い海面をしずかに大きく波立たせる。
 
 そこは、人混み

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現代日本霊異記 三

現代日本霊異記 三

 ベッドを仕切るカーテンから覗き込んだのは、長身の痩せた看護師の女性。僕の目線は、ツンと上を向いた鼻に二重の大きな黒い瞳にぶつかる。ナースキャップから短い黒髪が、半袖の白衣から白い腕が、見えた。すっとベッド脇に来る。改めて僕という存在を確認するように、目を覗き込む。
 はいはい、ちゃんと起きて、存在していますよ、多分。
 反応の鈍い僕に、彼女はポケットから体温計のセンサーを取り出して、僕の額に向け

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現代日本霊異記 二

現代日本霊異記 二

 美人とは言えなくとも、明るく人つきあいの良い母には、人生のパートナーとして、他の選択肢もあったような気がするーもちろん、他の選択が選ばれていれば、もちろん僕はここにいないわけだがーが、父を放っておけなかったのだろうか。
 父の司法試験浪人中、母が会計事務所のパートで生活を支えていたと聞いた(なんと、涙ぐましい美談。)。
 結果、合格する直前に、僕が生まれたらしい。つまり、僕が生まれた年に、父は司

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現代日本霊異記 一

現代日本霊異記 一

1 雷男降臨
 僕―軽部小平、カルベショウヘイ 「カルベ」、それにしても不思議な名字だーの父は、世の中がバブルに浮かれた時代にさえ縁のない弁護士だった。
 父は、そのときの熱狂に気付いてなかっただけかもしれない。
 父は、市民派弁護士と言われ、そう言われる弁護士さんがそうであるように(多分)、朝は僕が起きるより早く出かけ、夜は僕が深夜ラジオを布団の中で聞いているころ帰ってくる。
 そんな父は、当然

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『痛みと悼み』 あとがき

『痛みと悼み』 あとがき

最後に、お礼を述べたいと思います。
・作家檀一雄氏とご家族
・NHK ETV特集「“孤独死”を越えて」(初回放送日: 2021年6月19日)
・NHK ハートネットTV「“生きる”ことを教わった~ホームレス支援の若者たち~」(初回放送 2021年9月7日)
あなたの誠実さが、どの宗教にも属さない私に、この物語を書く何かを与えて下さいました。

つらいこと、なっとくできないこと、いきにくいことのある

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『痛みと悼み』 四十四

『痛みと悼み』 四十四

 死者には、何をしてあげることもできない。
 生きている者の、偽りに満ちた身勝手な自己満足かも知れない。
 でも、と初めて思う。
 たとえ自己満足でも、それが偽りだとしても、死者は自分を弔うことができないように、弔いと悼みは、生きている者のためなのかもしれない。
 そして、めぐむの仕事も、そんな弔いと悼みなのかも知れない。
 生きている残された者の、死者への捧げ物と死者を死者として終わらせないため

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『痛みと悼み』 四十三

『痛みと悼み』 四十三

 この苦しみを終わりにしたい。
 母に先を越された今、めぐむの願いは叶えられない。
 復讐。
 知られないまま、完全に世の中から姿を消して、それを悟られないように一人暗い世界で暗く微笑む自分を夢見ていた。
 もう叶えられない。
 終わりにしたい。
 のたうち回りながら白い腹を見せる何十ものヘビから、降り続く雨で薄く光る堤防に空ろな視線をやる。
 誰もいない。
 頭に過ぎる甘美な誘惑を感じる。
 こ

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『痛みと悼み』 四十二

『痛みと悼み』 四十二

木箱の中で動かないようにきっちりと中心に陶器の壺が入っている。ようやく暑さが緩み始めた夏とは別の冷たい死の世界。季節を無視する木箱の中立的な温度と手触りに、母の死との奇妙な違和感を感じて混乱する。
鶴見の警察署で、太田さんが、優しくめぐむに言う。
「埋葬許可証はここに入っているから、埋葬するときはこの書類を一緒に渡してね。」
 大田さんが小さな封筒に入った薄い書類を骨壷と一緒に木箱に入れてくれる。

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『痛みと悼み』 四十一

『痛みと悼み』 四十一

「その意味でも、兄も寂しい種類の人間かもしれない。ただ、兄は今はまだそんな自分を受け入れて、自分の足で立ち続ける強さを持っている。」
「それは、誰のため、何のためでしょう。」
「分からないなあ。だって、儲けたってその金の使い方が自分では分からないんだもの。」
聡二さんは、自分についた富永家の何かを確かめるように、両手を額にあててゴシゴシ擦り、そしてその手のひらを見て苦笑いをする。
「兄には、そんな

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『痛みと悼み』 四十

『痛みと悼み』 四十

いつもゆるぎのない自信と温かさと信仰の確信を持って、人を叱り導くのが牧師の仕事で、聡二さんだと思っていた。
「小さい頃から、そうだった。僕にはできない。この家を守ることは、少しではない血が流れるかもしれないと思った。僕には耐えられない。」
「それは、比喩として。」
「そう、資本主義的比喩として。」
めぐむには正確にはその意味は分からなかった。資本主義的に、家産を守るためには、人の血が流れるというこ

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『痛みと悼み』 三十九

『痛みと悼み』 三十九

「作者は、多分、読者が自分の作品の何を理解しどのように感じるか、思い巡らせながら書いている、とむぐむさんは思うんだね。」
「うまく説明できませんが、そんな気がして。」
めぐむにとって、読者はだれで作者はだれなのか。それを多恵さんに託している問いのようにも思う。
「確かに、そうだね。そうでないと、作品は単なる独りよがりになる。」
「お母様のような賢明な読者は、檀一雄と言う作者がどのような読者を思い描

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『痛みと悼み』 三十八

『痛みと悼み』 三十八

聡二さんは、少し照れたように、右手の人差し指を教会の天井に向けて軽く指さす。握られた手の平がめぐむの方に向けられて、その仕草が、ミサの最中の祈りのように、静かで厳かに見えた。
神様と聡二さんとの距離感。
神様とそれぞれの信者の人との距離感。
そして、それぞれの信者の人同士の距離感。
「人同士の距離感について、ついつい、見誤る。入られた人は、それは驚くよね。」
聡二さんが恥ずかしそうに笑う。
めぐむ

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『痛みと悼み』 三十七

『痛みと悼み』 三十七

自分のことを人に話したことが無いめぐむは、壊れやすいガラス細工の王国の孤独な女王なのかもしれない。むぐむが大事に抱えてきた隠された秘密の小国の国境の壁は脆く、長年の攻防で崩れかけようとしている。めぐむが初めて心の中の小国を作り逃げ込んだ幼い日から、かろうじて土山が残るだけの防壁が最後の砦だった。お前が悪い、お前のせいだ、お前さえいなければ。父の声のようでもあり、母の声のようでもあった。度重なる無慈

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『痛みと悼み』 三十六

『痛みと悼み』 三十六

そう言って、若葉さんは、背中に当てた手で招くように軽く押すと、めぐむを教会の中に導き入れる。めぐむは、作用と反作用の力の微妙な差で進み出し教会に招き入れられる。
 朝、まだ、人もいない教会の中は、10月中旬の朝の、高い天井までの冷たい空気に満ちている。ここは日が当たらない分、外より涼しいのだろうか。中に入って教会の涼しさと静かさが、染み込んでくるような気がする。
 教会の奥の部屋から、スーツ姿の聡

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『痛みと悼み』 三十五

『痛みと悼み』 三十五

なぜだかわからなかった。見たとき、自分が、もう一人の自分を殺したような気がした。それを、さらにもう一人の自分が見ている。人に知られずに姿を消すことを考えていたこと、完璧に一人の中で完結すると思っていたことが失敗したと、そのとき、頭の中に衝撃のようなものが走った。完全犯罪を見破られ、先を越された。そして、自分の失敗を見せつけられた。
人間は、完全にいなくなることなんてできないんだ。

 遺体は、痛み

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