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目標も何もなかった私の転機 インテリアの仕事との出会い
若い頃の日記が出てきました。インテリアの仕事に興味を持ち始めた20代前半のもの。
インテリアの仕事に転職したきっかけは、今思い出しても特別大きなことはなく、自然な流れだった。「縁と運」だとつくづく思う。若いなりに色々考え行動してはいたが、大きな目標などまして野心などなかった。ただ何となくきれいな光の方向を探していました。自分のため、また誰かのために役にたてる何か、喜び、やりがい、生きがいみたいな何
インテリアの仕事での大きな転機はミラノから
続きになります。
インテリアの仕事、私の仕事のキャリアで最初の大きな転機となった1990年ミラノ出張でのこと
前回とちょっとダブってしまいますが、いくつかを
遠い記憶が消えないうちに残します。
マッダレーナ・デパドヴァ邸でヴィコ・マジストレッティと共にディナーをご一緒できたわけですが、その時の私はまだインテリアの仕事を初めて3年目で、CassinaJapanでチーフコーディネーターと肩書きは最初
インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に
1990年
大昔ですが昨日のことのようなすばらしい経験で古くならない思い出です
インテリアの仕事に就て約2年目に仕事では初めての海外出張でミラノへ
パリからミラノ わずか6日でしたが実に多くの感動がありました
ここは滞在最終日に行ったマッダレーナ・デパドヴァ女史の家
取材と打ち合わせに若い私は同席したような形でしたが
VMD MDなど営業の企画の仕事も兼務していたので興味深く多くを得ることできま
インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家
代官山に行くたび当時を思い出してしまう
昨日のことのように鮮明に
私はこの住宅のインテリアを担当した
設計したヴィコ・マジストレッティ の指示を受けながら
始まりは1987年のこと
Cassina Japan に転職した3日目(研修中)からの大仕事で数年とても苦労したけれどすばらしい家だった
今はもうないここにいた人たち
ワンちゃんたちもういない
設計したイタリアの建築家デザイナー ヴィコ・
坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出
坂本龍一さんが亡くなってから、毎晩寝る前には最後のアルバム「12」を聴いています。遺された文や追悼番組など見ています。まだいなくなった実感が未だもてない。
追悼番組は多く続いています。少し前のNHKの20年位前のもとてもよかった。そして色々懐かい思い出。
私のCassina カッシーナジャパン時代の仕事の一つにVMD MDがあり、後半、上場して役員になっても続けた仕事。20年毎日たくさんの家具や
インテリアの仕事の始まり ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い
1987年にCassina Japan (カッシーナ) という当時とても小さな家具インテリアの会社に、2年半の三井不動産R.から転職しました。
インテリアという当時はまだ早く新しい業界に夢を感じていたものの、大きな志はなく、漠然と2、3年くらい美しいものに関わるきれいな仕事をしてみたいという若い憧れだけでした。
たまたま良く知らずに受けた、Cassina Japan カッシーナ。
1次筆記と面
インテリアの本 お勧めの1冊 「魂のモダンデザイン」
インテリアが好き、インテリアの仕事を目指す人、インテリアに関わる多くの人に読んでほしい本です。
カッシーナ Cassina Japan 創業者が亡くなる前に書き遺した1冊。
最もらしいものや人、情報が溢れる時代、’本当のこと’を見る力は大切だと今改めて実感しています。日本でモダンなインテリアのスタイル、形がどのように始まったのか、どんな思いで始めたのか、本当のことを正直に書かれたこの1冊を一人で
インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代
なつかしい人に会いました
久しぶりの仕事をここで共に過ごした人と
Cassina Japan カッシーナ ジャパンに転職した1987年から私が最初にいたところ
Mario Bellini マリオ ベリーニのデザインで
何とも秀逸で美しいこのショールームは六本木
飯倉片町の交差点近くのAXISビル3F にあった
迷路のような だまし絵のような 幻想的な光の空間
ここにはわたしはCassina前半
フランク・ロイド・ライト 復刻家具の展示会の思い出とニューヨークの旅と本
30年前の初ニューヨーク旅でスーツケース半分は購入した本をつめて帰国した
オキーフやフランク・ロイド・ライトをたくさん
今だったら情報は瞬時に入るが当時は本しかなかったし日本に洋書は少なかった。
1988年ころ
フランク・ロイド・ライトの家具が未だ権利がありイタリアのCassinaで復刻され発表展示会を行い担当した。
わたしはカッシーナCassinaJapanでイベントの仕事も兼務していて20
シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと
シャルロット・ペリアン最後の来日イベントが、カッシーナジャパン時代に数千件は担当したイベント企画の、最初の仕事。1988年のこと。(その時のことは以前に書いています)
そして、それを機に、シャルロット・ペリアンとパリ時代からご友人だった、画家の堂本尚郎さんには、大変お世話になった。ペリアンの上記の来日イベントにもご協力いただいた。
堂本さんは、フランスでも多くの勲章など、日本でも紫綬褒章や文化
シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本
前回から続きます。これからも次世代に見てほしいすてきな本。
そして、多くの偉大なインテリアデザイナーのように、
シャルロット・ペリアンも、
今以上に、
実物によく触れたことがない評論家やスタイリストなどが名や役を得るために、
またはファッションを売るための、ファッションの 広告のように扱われることがないよう願います。
シャルロット・ペリアン本人に実際会えたの時、ペリアンは80歳過ぎの最晩年でし
シャルロット・ペリアン1988年最後の来日イベントから 20年後
1963年のシャルロット・ペリアンと娘ペルネット・ペリアン。すてきです。
わたしは大手不動産会社のOLから転職して、インテリアの仕事を1987年から始め、2007年まで20年間は、Cassina Japan カッシーナ ジャパン という会社に在籍しました。まだ小さな会社で、経営はイタリアのCassina カッシーナファミリーがいて、伊日ともに創業者の時代、外資で合弁会社だった時代です。
37歳
インテリアの仕事 続き シャルロット・ペリアン最後の来日とその20年後のこと
前回、(随分あいてしまいましたが) 書いたように、運よくわたしは、1988年 Charlotte Perriand ペリアン最後の来日の仕事に関わることができました。インテリアの最初のイベントの仕事でした。
ペリアンは今では、ル・コルビジェと同じくらい、ペリアンは日本でも有名になりましたが、当時はごく一部の建築家やインテリアに関わる、または(その頃あった)文化人と言われる先に進んでいる人たちしか
インテリアの仕事 シャルロット・ペリアン最後の来日イベントを担当して
前回の続きです。忘れられない1988年。
シャルロット・ペリアンの最後の来日。亡くなる約10年前ペリアン86歳のとき。この古い写真は、私がペリアンに許可をいただき撮ったもの。こんな近くで。今思い出してもどきどきします。
ル・コルビジェ Le Corbusier 、ピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret とも仕事していた、今では多くが知る、世界的な建築家デザイナー。
有能な先輩
インテリアの仕事 シャルロット・ペリアンの最後の来日イベントを担当 そして20年後に繋がる縁
忘れられない1988年。
ル・コルビジェ、ピエール・ジャンヌレとも仕事していた世界的な建築家デザイナーのシャルロット・ペリアンが最後来日した年。
亡くなる約10年前、ペリアン86歳のとき。
わたしは、そのイベントを担当した。
カッシーナ・ジャパンCassina での、VMD,MD チーフコーディネーターとしての、最初のイベントの仕事。
当時はまだ日本では、ル・コルビジェほど、ペリアンは、
インテリアの仕事で大切に思うことを
noteからは、はじめまして。
約35年と長い間のインテリアの仕事の経験から、見たこと、人のこと、街のこと、インテリアという仕事や業界の思うこと、
また、インテリアの仕事を始めた87年から90年代の、仕事場があった六本木や街の思い出、そこに居た人たちとの思い出、
そこから今日の暮らしまで、noteでは正直な気持ちのまま書いていきたいと思います。
インテリアという小さな業界の中で、激動期を