そろそろ素直になっていいんじゃないか。

物事を素直に捉え、思ったことを素直に伝えられる人間に
どうしてもなりきれない。

でも、今は なってみたい。



心の奥では、いや、奥ではなくても
とてもシンプルに、好きだとか嬉しいだとか
私は嫌だとか、寂しいとか、本当は会いたいだとか
やっぱり分からないです、とか
物事や人に対するさまざまな感情があるのに
それを伝えるのが「得策ではない」
あるいは「キャラじゃない」からと
なんにも言えないことは多い。

自分が満たされるための言葉を使っていないように思う。
それは ある側面ではいいことかもしれないけれど。


相手の顔色や、関係性をうかがって。


家族に対してもそうだ。


表面的に信頼を表現できてはいるけれど(たぶん)、
もっと愛情はあるのに、と思う。

優しい、とは よく言われる。


その印象もおそらく間違いではないのだろう。
相手がつらそうにしているなら手を差し伸べたいからだ。


ただ、どこかで自分の言葉を飲み込んでいることも
やっぱりあるのだろう。

もっと正直になれていれば
得たものも、失ったものもあったかもしれない。


ここが皮肉なもので、
素直になれていれば得たものが「多かっただろう」と
すんなりとは思えない。
自分の言葉を飲みこんで得たものも、
失わずに済んだものもきっとある。
それは理解してしまっている。

まあそれが、自分以外の誰かがいる
社会で生きていく、そういうことなのかもしれないけれど─

素直になる、って、そういう話を全部とっぱらって
良い悪い関係なく
「選択をぜんぶ背負う」ことなのかもしれないとも思う。 


選択や素直な言葉を通して、生き方に責任を持つ。


選択を背負えていないんだよな。


どこかで「こっちは自分の選択じゃない」
「成り行きでそうなっただけだから」
「嫌われる前に察してあきらめたから」


気持ちではなく現象を優先している。


素直になるって、怖いことでもあるからね。



見たくない感情に気づかなければいけない。

だけど、その逆も。


自分がいま感じたことをそのまま言うなんて
実際にはものすごくハードルが高いし
現実味が薄いこともわかっている。

でもそれを、少しやってみたい。

それとも、やっぱり大人には許されないのかな。



今年の誕生日が終わった。


身内以外には祝われないかと思ったけど、
いつもの友達みんながおめでとうのメッセージやプレゼントをくれた。
本当はそういうこと、涙が出るほど嬉しい。

家族が私になんにも言わないで受け入れてくれるだけで嬉しい。


会いたいと言われるだけで嬉しい。

予定をはぐらかされると寂しい。

でも察した振りをしてしまう。


未来がわからなくても、私は会いたいんだけどな。


本当はみんなのことが大好きだし
今のままで幸せだけれど、
すべての願いが叶ったらさらに幸せだとも思うよ。


私でも願っていいのだろうか。

そう、面倒くさいし恥ずかしいし 
ずるいんだ。

そういうめんどくささや人間くささを背負うことが
どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。

でも背負っていくのかな、
これからは。

あなたが知らない私、ってこと。



やっぱり大人には許されないのかな。


大人だからこそ、もう素直になっていいんじゃないかって
たまに 思うんだよ。


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