20年なんてあっという間だとしたら

20年後にどれぐらい大切なものが残っているのだろう。


考えたら涙が出たんだ、
眠る前にね





1日単位で考えるととても長くて、
まだまだ先とあぐらをかきたくなるけれど
今から「20年前」を思い出すと
「それほど昔の記憶ではない」と感じる。


学生だったけれども、目を閉じればまだまだ手が届きそうなんだ。
昨日のことのように、思い出す。



記憶の出し入れ。
大して変わっていない部分。
そういうことを見つけるのは得意だから。



確実に変わっているのにね。




10年前は20代で、まだまだ大した実感はない。
方向転換も、望めばどうにでもなった。


ただ、望んでいなかった。





ここから10年後はどうあがいても40代だし、
50代もすぐそこにある。



そのとき残っているものって、なんなのだろうな。



もちろん、そのとき生きていられるだけでありがたいし
得ているものも たくさんあるはずなのだけど。




「ちゃんと生きている」として、
そこで、そのとき私は
何を感じて生きているのか。




同世代や年下の仲間だって、たくさんいるけれども
現実的に両親や、愛犬、愛猫のことを考えると
今までのあしあとをなぞるぐらいの年数しか
一緒にいられない可能性もあるのだなと。



当たり前の事実を受け入れるのはできれば後回しにしたいんだよね。


うちは長生き家系だし。



あの頃、すぐ手が届く「昨日のような20年前」
そこにあったもの、全部は今も残っていないけれど
ここから20年後は、ほんとうにわずかしか残っていないかもしれないんだね。



分かっちゃいるけど悲しいね。




ある50代の歌手は、「時間がない」と云っていた。




確かにそれも正解かもしれないけれど
私にとっては、そこから先の
「今あるものがほとんどなくなった人生」の先が長いかもしれないことに

「時間がありすぎるな」
とつぶやくかもしれないんだ。



長生き家系だからねえ。



「今日もよく頑張ったね」
「楽しかったね」
「また明日ね」
と、眠る前に愛犬と愛猫に話しかけている。

(人によってはドン引きしていると思う)



ほんとうはいろんな人に対しても、
自分に対しても思っている。



今日も頑張ったね。
また明日だね。





究極のわがまま、
世界に反する行動、
私はずっと


「また明日ね」って云っていたいんだ。



だから今、会えるだけで。





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