希望も夢も抱けない日々のなかで
希望も夢も抱けない日々のなかで何ができるのだろうか。
恵まれた人しか「笑えない」社会を変えるためには
希望も夢も抱けない日々のなかで生き続けて証明するしかない。
本当に必要なのは「自分自身」であることを。
春だからと言って、何もかも希望や夢を抱けるほど簡単な世界ではない。
世界では戦争が起こり、貧困が加速し、病に倒れる人々が溢れている。
もちろん、自国でさえ「苦しみ」が広がっているものの、この季節は見えにくくなる。
多くの人が希望に夢を膨らませて
恵まれたなかでの努力が実って輝く門出を駆け抜けていく。
多くの人は希望と不安を両手に抱えて
幸せのなかでの行動で実った次のステップへと駆け上がっていく。
テレビには、一流企業や公務員として働く人々を称賛する。
また、有名大学などへ通う生徒に注目ばかりしてしまう。
新しい職場、新しい仕事先、新しい役職・・・
たくさんの新しいが溢れている暖かい世界を横目にみながら
暖かさを享受できない人々は
自分の置かれた状況に絶望を感じながらも社会に踏み出さなければならない。
しかし社会は、
「希望も夢も抱けない日々を生きる人たち」に目を向けることはなかなかしない。
まだ、素晴らしい人のみにスポットライトを当てることに疑問を感じられない世界である。
そうした中で行われる「偽善的行為」の網の目からこぼれる「本当にしんどい人々」は、より混沌として世界に落とされていく。
明るく新しい世界に先陣を切って進んでいく人たちや
偽善的なものに恵まれた人しか参画させない人だけが注目されて
“本当”ではない人ばかりが登用されてしまう事実を目の当たりにする季節でもある。
そうした人々や物事に出会うたびに
希望や夢を抱くことができなくなるのは当然のことである。
何も知らない人たちが、まるで経験者として語ること
目の前の人を見ることもできないのに将来を語ろうとすること
恵まれているから成功しているのに、自らの努力と勘違いをしていること
その恐ろしさに、より絶望していく。
春という「新しさ」が、より重点に置かれる日々だからこそ。
確かに、それは本当に怖いことであるし、社会は何一つ進歩していない証拠かもしれない。同時に、自分自身が救われることがない事実を飲み込んでいかなくてはならなくなる。
どうして何も知らない人が?
どうして人を傷つけている人だけが?
どうして寄り添えない人なのに?
春になると現れる真っ黒な微笑みを持つ悪魔のような人々。でも僕らは、立ち向かうことはできないし、過ぎ去ることを待つしかできない。
いつの世界も恵まれた人しか「笑えない」社会である。だからこそ、立ち向かう必要があるが、立ち向かえるのは「少し笑えた」恵まれた人だけで。
「笑えない」人はどこにもいないことに、
希望も夢も抱けない日々のなかで理解していくことになる。
自分たちは、どうしたらいいのだろうね。
自分たちは、いつまでこうなのだろうな。
だからできることとしたら生き続けることしかできない。
必ず来る勝機を逃さないように、
必ず来る味方を受け入れることができるように。
本当に必要なのは「自分自身」であることを証明するために。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。