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「逃げてもいいんだよ」を綺麗事にしないために-現代の「逃走論」を考えてみる-
目次
・はじめに
・前稿のあらすじ
・博打とは逃走
・二つの博打
・勉強とは何か
・勉強の例
・家庭菜園と創造
・「努力の結果がでる」と「努力が報われる」の違い
・まとめと結びにかえて
はじめに
本稿は、以前書いた「人はなぜ生きるのか?」という王道の哲学テーマについての所感|koten.book (note.com) こちらの試論(以下「前稿」と略)の続きという立ち位置です。
ですが、前稿を読ん
[小説を読む意味について]-哲学者はどう考える?-
「小説を読む意味って何ですか?」って質問に対する回答は巷で溢れています!
この質問に対するインフルエンサー的な回答はだいたい、「好きだから読む、あくまで個人の好みで、好きじゃないなら別に読まなくてもいい」みたいな感じですね!
なるほどなるほど、確かに嫌々読んでも仕方ないですからね~、間違った主張ではない
だけどぶっちゃけこの回答、「小説を読む意味をちゃんと考えてない、無難な回答に逃げてるだけ
論破ブームが続いた方がマシなのかと、ほんの少しだけ思う自分がいる
前々から恐れてたことが少しづつ起こり始めてるんじゃないか
そんなことを思ったので、ここにしたためておき、皆さんと問題共有が出来たらなと思います
なお今から話す点は以前に少しだけ触れておりますので良ければそちらもどうぞ
https://note.com/sibaken1999/n/n2a6656cdca88
事の発端は、Threads(インスタのXバージョンのようなもの)を見てて、偶然発見した
埼玉県虐待禁止条例改正案は何が問題だったのか?
最近、世間を賑わせていたニュースとして埼玉県の虐待禁止条例の改正案をめぐる問題がありました
下記リンクがその改正案です
https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/242395/gi_dai25_gou_joureian.pdf
ニュースではだいたい同じように下記のような形で報道されており、そして本日10月10日に取り下げが行われました
さて、この一連の騒
読書会も普及していきたい自分に悲しいニュース
日々、哲学や文学といった古典的名著の普及に勤しむkoten.bookです!
古典の普及に勤しむ傍ら、フォロワーさんとちょくちょく「読書会はいいですよー!仲間見つけてやってみて下さい!」と読書会の普及もやってたりします笑
というのも、古典的な著作という難解な本を読んでいくうえでは、個人プレイ(一人で読む)だけでなく、複数のプレイヤーと一緒に読んでいくのがかなり役立つからです!
(もちろん難解本に
読書遍歴を綴る -難解本に挫折した方へ送る言葉-
ある日、「koten.bookさんの読書遍歴が気になります」、と言わたのをきっかけに読書遍歴を書き始めました、koten.bookです笑
なんの需要があるかは不明ですが、ワンチャンこれを機に「古典チャレンジ」を促せるのではと思い、適当に書いてみることにします。
お付き合い頂ければ幸いです。
国語の時間に面白味を感じたことは無かった
まず私は、幼い頃から読書に慣れ親しんでいたわけではございま
日本人は頑張り過ぎる?ベトナム人から見た日本の労働
最近、ベトナム人の方と一緒にお仕事する機会があったのですが、
「ニホンジンは、ガマンシスギ〜」
と、やや片言の感じで言われました笑
詳しく、聞いてみると、ベトナム人は(勿論全てそうではないが)今の仕事環境が嫌になったら、すぐ辞める。
辞めて、色んなところを転々として、そのこと自体を良しとする、だとのこと。
「浅田彰か!?」っていうマニアックなツッコミが出そうになりましたが、それはさておき、
バランスってどう取るんでょうね?
今回は、結論も何も無い相当雑なブログですので、ご無理なさらず読み流して下さい笑
バランスを取るのって大切ですよね?単純な例だと体重でしょうか。あり過ぎても、無さ過ぎても不健康です。
この例の場合、健康に害が出ないのなら、バランスが取れていると言えます。
しかし、世の中の問題はそう分かりやすいものでは、ありません。
例えば、コスパ・タイパが良いとされる現代社会。
最近、流行りの書籍や学者達がこ
反ワクチン派という概念の整理から
一時期と比べて、「反ワクチン」という言葉は、聞かなくなりましたが、まだまだ「反ワクチン」を訴えている人は、いるのが実情だと思います。
しかし、この「反ワクチン」を主張する人(或いは、そうレッテルを貼られる人)の中にもいくつか分類わけができそうです。
今回はその分類分けを考えてみたわけですが、鋭い方はとっくに気づいているような事だと思うので、そういう方は、ブラウザバックで大丈夫です👍🏻
①
意識高い系の脱構築的試み
最近、「意識高い系」という言葉が蔑称の意味で使われているという現象があるみたいですね。
この驚くべき事態に対して、はたまた考えてみようかなと思っております。
まず、「なぜ意識高い系が蔑称され始めた?」という疑問ですが、一要因としてあげられるのが、嫉妬・妬みの感情でしょう。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉を借りるなら「ルサンチマン」です。
意識高い系と言って相手を蔑む言動は、せい