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江戸城大奥を目指して歩く
先日、江戸城大奥について調べる機会があったので、思い立って久しぶりに江戸城の大奥跡を見に出かけました。現在の皇居東御苑です。江戸城の中心部だった本丸・二の丸・三の丸が無料で見学できるのですから、ありがたいことです。
ちなみに江戸城中心部の西側、西の丸・山里曲輪・的場曲輪・吹上曲輪が皇居エリアで、原則立ち入り禁止ですが、一般参観を申し込むか、一般参賀の日などには、宮殿のある西の丸に入ることができ
姫路城大天守最上階に現れる「おさかべ神」の伝説
純白の壮麗な姿で世界に知られる、国宝姫路城。その大天守の最上階に、小ぶりな社があることをご存じでしょうか。祀られているのは、「おさかべ神(刑部、長壁とも)」。今回は歴代城主の前に姿を現し、畏怖されたといわれる、おさかべ神の謎を追った記事を紹介します。
姫路城の3つの怖い場所親戚が姫路にいたので、私は子どもの頃から何度か姫路城を訪れる機会がありました。
小学生の頃は、まだ城の構造も歴史もよくわから
新書『もしも戦国時代に生きていたら』の監修を務めました
この度、私が監修をお手伝いした書籍が出版されました。
とはいえ、メインの監修者は畏れ多くも、静岡大学名誉教授の小和田哲男先生で、私は本当に、お手伝い程度なのですが……。
小和田哲男・辻 明人監修『もしも戦国時代に生きていたら』(ワニブックス【PLUS】新書)、です。
表紙のコピーに、「武将から市井の人々の暮らしまでリアルシミュレーション」「本能寺の変当日までの150日間を追体験」「中世から近世
われに策あり! 智謀で家康を支えた男・本多弥八郎正信
徳川家康の家臣で、本多姓の者は少なくありませんが、まずその筆頭に挙げられるのが、徳川四天王の一人・本多平八郎忠勝でしょう。その次が、家康の謀臣として知られる本多弥八郎正信ではないでしょうか。
「蜻蛉切」の槍をかついで戦場を駆けた平八郎忠勝のイメージを陽とするならば、家康の傍らで謀略を仕掛ける弥八郎正信のイメージは陰。かつてテレビドラマの『関ヶ原』で、三國連太郎さんが演じた弥八郎も、まさに謀略を得
先祖は鬼を斬った男! 家康の切り札「槍の半蔵」がゆく
徳川家康の家臣で、槍のつかい手といえば、誰を思い浮かべるでしょうか。多くの人は本多平八郎忠勝かもしれません。なにしろ愛用の槍「蜻蛉切」は、天下三名槍の一つ。忠勝自身も徳川四天王の一人に数えられ、生涯戦場で傷一つ負わなかったという、家康家臣きっての名物男です。
一方、槍のつかい手は「槍の○○」という異名で呼ばれることがあります。たとえば「槍の又左」こと前田利家や、「槍の山三」こと名古屋山三郎などは
【どうする家康・家臣列伝5】身代わりとなって家康を救った男・夏目広次
合戦において、味方が敗色濃厚となり、主君を戦場から脱出させなければならない……。そうした危機的状況のとき、家臣が身代わりとなり、主君の名を名乗って敵の攻撃を一身に引きつけ、その隙に主君を逃がすことがありました。ある意味、とっさに家臣が主君の「影武者」となるわけです。
戦国時代の合戦で有名な例としては、賤ヶ岳の戦いで、討死を覚悟した柴田勝家を諫めて身代わりとなった毛受勝照や、関ヶ原の戦いで、島津義
【どうする家康・家臣列伝4】「鬼」と呼ばれた武将は伊賀忍びの頭領? 服部半蔵
JR四ツ谷駅から西へ。住宅街の細い道を上って行った先に、浄土宗西念寺(東京都新宿区若葉2丁目)があります。台地の縁に建つ寺院の開基は、徳川家康の家臣・服部半蔵正成。忍者の頭領として一般に知られる人物です。境内には本堂の隣に半蔵の墓、そのすぐ近くに家康の嫡男・松平信康の供養塔がたたずんでいます。
西念寺はもともと半蔵が信康の菩提を弔うため、文禄2年(1593)に麹町清水谷に開いた寺で、江戸城外堀を
【どうする家康・家臣列伝3】 金の揚羽蝶を背負った「情」の猛者・大久保七郎右衛門
徳川家康の有力家臣に、大久保一族がいます。大久保忠世、忠佐兄弟は「徳川十六神将」に数えられていますし、二人の弟の忠教は『三河物語』の作者として、また「天下のご意見番・大久保彦左衛門」としても名を知られています。一族こぞって勇猛果敢な三河武士であり、個々の印象よりも大久保一族という括りでのイメージの方が強いかもしれません。
そんな家康を支えた大久保一族の中でも、筆頭に挙げられるのが大久保七郎右衛門
【どうする家康・家臣列伝2】息子2人の後見を託された誠実な側近・平岩七之助
徳川家康の家臣というと、まず名前が挙がるのが本多平八郎忠勝や、井伊直政、酒井忠次、榊原康政の、いわゆる「徳川四天王」と呼ばれる面々でしょう。四天王の筆頭は年長の酒井とされますが、一般的な知名度は本多や井伊の方が上であるように感じます。
この4人にさらに12人を加えた、「徳川十六神将」(「徳川十六将」)という括り方もあります。鳥居彦右衛門元忠や大久保忠世、忠佐兄弟などが名を連ねますが、今回取り上げ
【どうする家康・家臣列伝1】 「三河武士の鑑」と呼ばれた鳥居彦右衛門の真実
最期の姿を伝える「血天井」
大学生のときのことですので、今から40年近く前の話です。京都の養源院(東山区)で、「血天井」を拝観しました。
血天井とは、ご存じの方も多いと思いますが、戦国時代に武将らが自刃した際の血痕が残る床板を、供養のために寺の天井に張ったものです。養源院のそれは、関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城の戦いの折、守将である徳川家の鳥居彦右衛門元忠らが自刃した際のものでした。
板には手
都内にあった上杉氏、北条氏の知られざる最前線・東京都葛飾区の葛西城
戦国時代、扇谷上杉氏、相模の北条氏、越後の長尾氏らが奪い合い、古河公方が在城し、最後は徳川勢に攻め落とされた城が、東京23区内にありました。さて、その城はどこか? そう問われて、即答できる人はあまりいないかもしれません。
答えは葛飾区の「葛西城」です。
しかし、その名を聞いても、「?」と思う方も少なくないでしょう。葛西城の知名度は決して高いとはいえないからです。
私も以前、23区内に残る城跡