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狩撫麻礼との邂逅・・・追悼
19歳の時、所属していた文芸サークルで、20枚くらいの短編を制作する課題が出た。その時まで小説など書いたこともなく、実は書く気もなかった。
ともあれ原稿用紙を買ってきて、23枚書いて提出した。たぶん自分でガリ版刷りしたと思う。サークルメンバーに配った。
その晩、私のアパートに1本の電話がかかってきた。
電話の相手はMさんーー後の漫画原作者、狩撫麻礼だった。
口下手な彼はいきなり、
「あな
【随筆】お茶漬け屋のみっちゃん
みっちゃんは小学校4年生の時のクラスメートで、一番の仲良しだった。
転校生で、なぜかすぐ隣の小学校から転入してきた。小柄だけど、とても可愛い顔立ちの女の子だった。私と同じ一人っ子。お父さんがとても可愛がっていた。
みっちゃんの家は「お茶漬け屋」だった。
【疑惑のカルテ Ⅰ】⑫政治献金
高市早苗氏の政治献金が話題になっている。
何を今さらの感。
ロッキード事件からすれば子供の小遣い。
さて、同じく新大臣の「政治献金報告書」がこちら。
衛藤晟一議員の平成29年度分、収支報告書。
なぜここに出すかと言うと、大分県内の個人病院がズラリと献金名簿に並ぶ、つまりは衛藤議員に政治献金しているからである。
問題の病院は最高額を献金している。
通常1万円のところ、4倍の4万円を毎月
【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑩
『南海コレクション』のコレクター Dr.緒方保之氏の肖像
2019年6月7日~8月6日まで、大分県立美術館OPAMで開催の『エコパリと竹展』会場に貼られた案内。
前副館長の加藤康彦氏が、南海コレクション図録のために書き下ろした文章が掲げられました。
終わりに
OPAMコレクション展示室に貼られた、上の案内を見つけた瞬間、私は嗚咽を抑えることができなかった。
日曜夜の会場
【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑨
「火のような人」
『南海コレクション』のコレクターである緒方保之院長を知る人が、先生の印象を表現する時に、必ず使う言葉だ。
まさに「火のような人」だったと、私も思う。
ただし、普段は物静かで、ダンディな紳士。
俳優の宇野重吉に、風貌も喋り方も声も、よく似ていた。
が、ひとたび怒ると、まさに烈火のごとく、である。
そういう場面に、二度遭遇した。
一度めは、直接私に関わる出来
【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑧
とにかく「熱い人」というのが、今や日本を代表するエコール・ド・パリの蒐集家にして、私の父いわく「ヤブ医者」こと、緒方保之氏の印象である。
時は過ぎ、私は東京の大学に進学した。当時、女の子の入る学部と言えば、文学部と決まっており、何の疑いもなく日本文学科を選んだ。
誰も反対しなかった。
唯一人、烈火のごとく怒った人がいた。
緒方先生だ。
「何とまあ! 食っていけないじゃないか!」
【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑦
当時、南海病院の1階左手に、小さなカフェがあった。
その頃、佐伯の町にあったのは喫茶店であるが、南海病院のそれは、院長の趣味を反映し、銀座並木通りにあるような、小洒落たカフェだった。
焦げ茶色の籐のテーブルセットがいくつか、周囲に背の高い観葉植物が並んでいた記憶がある。
前にも書いたとおり、私は院内を歩き回るのを禁止されていたから、そのカフェに入ったのは一度だけ。
私の母、院長秘書
【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑥
「ピカソが欲しいんだよね!」
いつもどおりの昼下がり。
ガラステーブルの上には、ほうじ茶とチップスターが20枚ばかりのった小皿。
カリポリ。
いつものように、私がチップスターを囓る音だけが、無音の院長室に響く。
「でも高いんだよね。こんな小さいのが、1000万以上する! 買えないねえ」
緒方院長は、足下に転がっている、ローランサンだか誰だかの、50cmくらいの油彩を指差して言う