#大東亜戦争
⑦日本から大東亜戦争という言葉が消えた?
昭和20年12月8日から17日にかけて、日本の新聞各社に『太平洋戦争史』が掲載されました。
この記事は10回に渡り全国の全新聞に掲載され、文章はCIEのスタッフがまとめました。
この文章では日本人であれば当然、大東亜戦争というべきところを全て太平洋戦争と言い換えました。
つまり、日本人の意識にある『大東亜戦争』をCIEがこしらえたアメリカの物語である太平洋戦争というものに置き換えようと企図されたの
⑧朝日新聞は以前は素晴らしい新聞であった
GHQの新聞への事前検閲が制度化されたのは昭和20年10月8日からです。
それ以前に同盟通信が9月14日に業務停止命令を、朝日新聞が9月18日から20日まで発行停止を命じられました。
なぜ、朝日新聞が発行を禁止されたのか見ていきましょう。
処分対象となったのは9月15日付と17日付に掲載された5つの記事で、理由は『公安を害する』という理由でした。
その対象となった記事のうち3つを紹介します。
1
最終回 朝日新聞を再び考える
アメリカの占領政策が企図したことが日本に浸透し、維持されるように“ご奉仕”しているのが現在のマスコミということになります。改めて朝日新聞を素材にそれがどのようになされたか。180度転換したそがたを論説を見る事で考えていきましょう。
まず、昭和20年8月15日付の『一億相哭の秋』と題する社説です。
(前略)畏くも、万邦共栄の大方針の下、帝国の自在と東亜の安定とを、庶幾しつつ、陸海将兵の勇戦、