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短編小説・自由詩

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改装前に公開していた、軽い読み物をまとめています。おやすみ前や気分転換にぜひ☕
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ちーちゃんとめい[2] 恋に返る

ちーちゃんとめい[2] 恋に返る

「おばあちゃん。こちら、ちーちゃん」
「初めまして。森千尋です」
「まあ、千尋さん。どうも」
 芽衣の祖母──蓉子(ようこ)は、にっこり笑って小首をかしげた。

 千尋は今日、蓉子の家に初めて来ている。芽衣は普段からちょくちょく顔を出しているのだが、先日訪れたとき、蓉子が「組み立て式の椅子を注文した」とふいに言ったのだそうで、あわてて千尋が男手として連れて来られたのだ。あまりそういうことに自信があ

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ちーちゃんとめい [1] 落ちてきた星

ちーちゃんとめい [1] 落ちてきた星

ちーちゃん(千尋)
 ……レコーディングエンジニア。優しくてのんびり。そろそろおじさん。
めいさん(芽衣)
 ……イラストレーター兼会社員。小さくてぽっちゃり。そろそろ大人。

 千尋は、仕事帰りの夜道を歩いていた。もうじき零時を回るところで、自分のほかには深夜運転のタクシーがまばらに行き交うばかりだ。
そのヘッドライトが通り過ぎるせつな、歩いている自分のちょうど真横に、細い脇道がひっそり延び

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カレイドスコープ ───5/5

カレイドスコープ ───5/5

 残されたカレイドスコープを、がらんとした子供部屋の窓から望遠鏡のように差し出し、雪(ゆき)は小さな穴を覗いてみた。
 粗製の玩具が作り出す、簡素な偶然。
 美しく、圧倒的で、神秘的だったカレイドスコープの魔法は、手の中でひどくちっぽけに見えた。
 カレイドスコープが変わったのではない。変わっていくのは、子供たちのほうだ。

 「雪が持ってて、」

 光(ひかる)はそう言っていたのだと、父はあとに

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カレイドスコープ ───4/5

カレイドスコープ ───4/5

 カレイドスコープは今、雪(ゆき)ひとりの手にある。そのことがまだ、胸の中に落ち切っていない。
 幼い時分というのは、なぜエアポケットのように意識のない時間があるのだろう。おかしな夢を見ているときのように、振り向くともう場面が変わっているのだ。

 いつの間にか、光(ひかる)は悪くなっていた。
 気づいたとき、雪はもう光のベッドに近づけず、病室の窓越しにしか会わせてもらえない状態だった。
 透明な

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カレイドスコープ ───3/5

カレイドスコープ ───3/5

 カレイドスコープが作り出す、図像のパターンは無限だ。そして、二度と同じものは見られない。

 「兄さん、僕さっき花火みたいな模様を見たよ」
 「そうか。今は、孔雀の尾の目玉みたいだ」
 「嘘」
 「嘘なもんか。そら」

 光のほうが面白い図像を見ているらしいのが気になって、雪はすぐさま光の手からカレイドスコープを取り、覗いてみた。しかし、どう見ても兄の言うような模様には見えない。そう訴えると、「

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カレイドスコープ ───2/5

カレイドスコープ ───2/5

 ベッドに寝かされていても、雪(ゆき)から見た光(ひかる)は変わらず輝いていた。兄が病気になり、自分は元気でいるというのに、いつもどおり兄のほうが面白く過ごしているように思えるほど、光の様子は堂々として曇りがなかったからだ。

 光は、常の快活さを失わず、病気を恐れも悲観もしていないように見えた。勉強を怠らず、読書をよくし、時折スケッチブックに絵を描き、長い一日を過ごしていた。
 ひとりになるとす

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カレイドスコープ ───1/5

カレイドスコープ ───1/5

 家具がみな運び出された子供部屋は、がらんとしてよそよそしく見えた。素に戻った壁と床ばかりが、主(あるじ)を忘れた飼い猫のように知らん顔をしている。
 雪(ゆき)は、カーテンのはずされた出窓に歩み寄ると、そこに忘れ物のように置かれていた、ひとつの飾り物を取り上げた。
 真鍮製のカレイドスコープ。これは、自分の手で持って行こうと決めていた。
 雪の一家は今日、この町から引っ越す。父と、母と、自分。そ

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嵐の夜に送電線が切れた話

嵐の夜に送電線が切れた話

 嵐の夜に送電線が切れて、しばらくの間、暗闇の中で過ごしたことがありました。
 その時私は、ある人と、偶然に同じ部屋にいたのです。

 その人は、同じ学生寮に住む青年でした。当時の私は、或る国の音楽学校に留学したピアノ科の学生で、彼は指揮科に在籍していました。私たちは、その学校に二人しかいない日本人だったのです。
 お互いの存在に気づいたのは、入学してしばらく経った或る日でした。
 その日は朝から

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梔子と薔薇

梔子と薔薇

 梔子(くちなし)の香りが、閉めた硝子戸の向こうからなお漂う夜。
 寝台に潜り込み、白い襞飾りの上掛けにくるまれながら、濃子(こいこ)はその香りを吸い込んでいた。

 濃子は今、減量中である。食事の量を減らし、砂糖や油を断ち続けている濃子の鼻腔に、甘い梔子の香りは魅惑的だった。アイスクリームやババロアの、濃厚でまろやかな舌触りを思い出す。
 まだずっと小さかった頃、デパートの食堂では、いつもホット

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猫   ───10

猫   ───10



ちょうどあのとき
洗濯物を干そうと出て来たカドベヤの主は
ベランダにいるわたしと彼を見つけて
腰を抜かしたのだった

「そういうことなら、玄関からいらして下されば」

まったく マダムのおっしゃる通りだった

わたしをつかまえたとき 彼は
絞り出すように言った
「ありがとう」

そのとき 決めたの
わたし
受け取りのプロになろうと思う

優しさも 慈しみも あなたから向かってくるものすべて

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猫   ───9

猫   ───9



「おーい。おーい。どこだ」

窓は開いていた
誘うように

「外になんか出たことなかったのに……」

そう
初めての外出だった
だから と言えばいいのか
外というのは予想以上に難所だらけで
実はわたし まだ全然近くにいるの

「お隣のベランダ!」

そう
窓から抜け出したわたしは
ベランダの手すりづたいに
境目を飛び移って
お隣へ進んで来たものの
ここ カドベヤというゆきどまりで
続きの手す

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猫   ───8

猫   ───8



虹のかかるキャベツ畑
春の土の匂いがする
その上を ひらひらと舞う
モンシロチョウを追っていると
遠くにぽつんと 黒い猫が見えた
まるで あなたの髪のような
ちがう
あれはあなただ
あなた 猫になっても背が高いのね
よかった
よかった
待ってて すぐ そこへ行くから

「ただいま」

目覚めるとそこは いつものリビングだった

「いいよ、寝てなよ」

ごめんなさい
わたし 最近 すごく眠い

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猫   ───7

猫   ───7



あなたは 眠っていても優しい
わたしが来ると 必ず
目をつぶったまま
上掛けの端を持ち上げてくれる

甘えていたのは どちらだったのだろう

わたしは その温かなすき間に潜り込み
暗澹たる心とからだを小さく丸めると
暗闇の神様に話しかけた

神様
わたしは 受け取ってばかりで
できることなど 何もないみたい
神様
わたしは 悲しい
なぜ 彼のように
優しく笑える顔がない
抱きしめられる腕がな

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猫   ───6

猫   ───6



なぜかときどき
わざと悪さをしたくなる

気に入らないことなどないのに
むしろ 満ち足り過ぎているほどなのに

いいえ、だから

愛情 信頼 安全
その崖っぷちに立ってみるの

試すなんて 贅沢ね
そのうち ばちが当たるわね
失わないと知っていて 甘えているのね

でも
今のはわざとじゃなかったの
窓辺の額(フレーム)が落ちたのは
わたしのしっぽが当たったせい

けれど
彼は怒らなかった

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