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真の「カーボンニュートラル」とは何かIIーCO2排出削減の道のりー
前回では「カーボンニュートラル」の概念をざっくばらんに紹介した。
内容を抜粋すると、
「カーボンニュートラル」とは…
社会システムにおける「正味炭素排出ゼロ」を表しており、「ネットゼロ」と「カーボンリサイクル(炭素循環)」の両方を達成する必要がある。
そういった中で、「カーボンニュートラル」達成への順当な道のりは、「CO2排出ゼロ」→「カーボンリサイクル」といえる。
特に最近重要視されて
真の「カーボンニュートラル」とは何かIー「ネットゼロ」と比較してー
ハイライト
・CO2排出の大部分は、エネルギー(電力、蒸気)生産によるものである。
・「ネットゼロ」の実現には、エネルギー生産手段の転換とCO2回収・貯留が本質的に重要。
・「カーボンニュートラル」の実現には、社会で利用される炭素分を循環する「カーボンリサイクル(炭素循環)」が不可欠。
・「カーボンニュートラル」達成への道のりは、「CO2排出ゼロ」→「カーボンリサイクル」。
地球温暖化、気候変動
半年間経済学を趣味にしてみた。
博士課程に進学してから近くにいる同期の数が大分減り、人と過ごす時間がそれとともに減った。研究する時間は勿論増えたが、それ以上に人と過ごした時間の減少分のほうが大きく、暇な時間が修士の時より増えた(と思う)。
そして、何か趣味を増やそうと思った。
私は学際的な研究をしており、応用可能性を考えた結果、元々興味のあった経済学を学習してみることにした。
最近、現代経済学の直観的方法を立ち読みしたが、
差別や疑似科学は自由なのか
つい最近、特殊な性嗜好に関する表現に関しての議論が活発だった。
そのトレンドはもう何もなかったかのように、世界は勢い良く回る。
リアリティーショーと化した現代において、派生的な議論はなかなかされないし、そういう議論自体が大衆の興味から大分離れたものになってしまったかのようだ。
下らない前置きはこの辺にして、本題に入る。
差別的な発言や疑似科学を基にした行動は、思想・信条または表現の自由とし
常にないものを欲しがる
私は常に自分にない、あるいは持っていないものを欲しがる。
人間は欲を持つのだから当たり前なのかもしれない。
しかし、ないものを得るには結構時間が必要とされるため、余裕を持たないと今あるものの維持がおろそかになってしまう。
特に衝動的な性格をしているため、余裕があるかに関わらず新しいことを始めては自分の能力の限界を知り、続けることがおろそかになってしまう。
そういえば、このnoteは今続けて
同じ時間軸に十人十色の時間の使い方がある。
暫く投稿が止まってしまった。
書くようなことがここ最近なかったというのが理由である。
現在23歳で、特に有事がなければ今年中に24歳を迎える。
ここ数日間は同世代の人間と話す機会が多かった。
話を聞くと、同じ時間軸を共有しているのにかかわらず、これほどまで時間の使い方が異なるのかと驚愕したのである。
どのような時間の使い方が最適なのかは、人生を終えた時にしかわからない。更にはどの要素を優先
母国語を一番難しいと感じたい
自分のしゃべっている言葉が世界で一番難しかったら、なんて甘ったれんな。この世にある言語はすべて死ぬほど難しいんだよ。