きしもとたかひろ
保育をしたり絵を描いたり文章を書いたりしています。自身の保育論の追求だけでなく、いまの…
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文章とはなにかを寝起きに考えている
早く起きてしまったので、なにか書こうかと思ったけれど思いつかず、みんな、日常で文章をどれくらい書いているんだろうなどと考えている。
全く書かない人は全くだろうし、何かを書き写すような仕事をしている人ならも四六時中書いているんだろうな。なかなか大変な仕事だろう。逆に文筆家は書く時間より考える時間の方が多いんだろうか。それもまた大変だ。
例えばメールの返信をしたり、LINEでやりとりをしたりをする
ぼくたちは、いじめっ子が許せないのか。いじめが許せないのか。
ことが起きてから考えるのは手遅れかもしれない。けれど、次に同じことが起きないように考えていないと、ぼくたちはずっとこのままだと思う。
いじめについてぼくがどんな風に考えていてどんな方向を向いていたいかをまとめました。※過去のいくつかの記事をまとめて加筆修正したものです。
いじめる側といじめられる側と外野いじめ問題についてしばしば「いじめられる側にも原因がある」という言説を目にする。そんな時に、
「正しく怒る」ということについて考えてみた
正しく怒るってなんだろう。と少し考えてみた。
新型コロナウイルスの問題が起きてから、SNSでは多方で批判と怒りの声が飛び交っている。
そんななか、「正しく怒れ」という言葉を見かけた。「批判する人」と「しない人」で分断が起きているのだ。ぼくはあえて分けるなら「批判しない」派だけれど、それはいい子ちゃんぶっているとか斜に構えているというわけではない。怒らないわけでもない。
というか、ひとよりよく