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震える言の葉

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記事一覧

自分が許可した物の中からしか選択できない

自分が許可した物の中からしか選択できない

自分が当たり前だと思っていることって、わざわざ言葉にはしないものだなぁと思う。当たり前すぎて自分が「それ」を当たり前だと認識していないからだ。
「え?当たり前だと思っていたけど違うの?」っていうような他人の言動や出来事を通して「そうでない選択がある」ことを知る。
そうやって自分の中に選択肢が増えていく・・・と思っていたのだけれども、それすら私の当たり前だったのだということに気がついた。

「そうで

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自分とはそのような一面を持つ存在なのだと受け入れると、区切りというものがあるのは救いだなと思う

自分とはそのような一面を持つ存在なのだと受け入れると、区切りというものがあるのは救いだなと思う

お正月とかお盆とか、新月とか満月とか、あるいは冬至とか夏至、ライオンズゲートでもなんでもよいけれども、区切りというのは救いだ。ゴールがない、終わりがないというのは、一見、永遠をイメージして安心する人もいるかもしれないけれど、永遠に同じ状態が続くというのはある意味疲弊するだろうなと思う。

例えば、お金の心配もなく嫌なことも起きず、日々、波風もたたない。最高じゃないかーと思うけれど、それが永遠に続い

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もう二度と戻らない類のものを失った時

もう二度と戻らない類のものを失った時

あれはいつ頃だったかな
一時期、一緒に仕事をすることが多かった人がいて、バカみたいにそっくりな部分と、一緒に仕事ができるのが謎すぎるほど正反対なところがある人だった。
いろんなアイディアを出し合い、当時、若手と言われていた私たちは夢を語り合い、その夢が叶ったらこうしよう、ああしようと飲んだくれてはよく話した

彼女は、出会った時、会社員で、その頃から近い将来会社をやめて独立したいと言っていた。仕事

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「私は」という主語で話すことの大切さ

「私は」という主語で話すことの大切さ

相手にまったくの悪気がないとわかっていても、いや、むしろ好意ですらあることがよ〜くよ〜くわかっていても「それは嫌なんだ」ということってある。

例えば、お酒を飲まない人に大量のビールを贈るとか。そういう「お気持ちは嬉しいのですが、本当にお気持ちだけでけっこうです」というようなことだ。
愛情や好意とはわかっていても、「それはちょっと」というようなことというのは概して愛情や好意を示す側に「よかれと思っ

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大切なのは「やりきった」と言えること

大切なのは「やりきった」と言えること

先月から1年以上寝かし続けたスタエフを稼働した。先日、型について話した回で数稽古と口にして、そういえば、稽古量が遥かに減ったなと思うことがひとつある。

それが「書く量」だ。フリーランスで編集やライターをしていた時期から比べると明らかに減った。一番、「書く」量が多かったのは、ライターを続けながらカウンセラーの仕事をしていた頃だろう。

ライターをするかたわら、カウンセリングスクールに通っている間も

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自分の現在地を知らないと迷うし、ゴールを間違うとさまよう

自分の現在地を知らないと迷うし、ゴールを間違うとさまよう

わりと悩み事を聞くことが多いせいなのか、そう言ったときによく聞くフレーズというのがある。その中のひとつが「言えない」というフレーズだ。

「NOと言えない」
「本当の気持ちが言えない」などなど、おなかにある言葉を相手に言えないと自覚がある人もいれば、自覚がない人もいる
中には「なんでも言えます。っていうか余計なことを言いすぎて怒られます」という人もいる。でも、余計なことは言えるけど本当の気持ちは言

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また生まれることも楽しみになる

また生まれることも楽しみになる

しばらく東京を離れていたのだけど、その間に宮崎駿監督の最新映画「君たちはどう生きるのか?」を観た。賛否両論あり、いろんな解釈がなされているようで、解釈については熱心な映画ファンやジブリファンの方の考察がおもしろい。ミステリ作品を読んでいるような気持ちになる(笑)

私自身は「ああ、私もこういう成り立ちかたで世界を見てるところがあるな」と思いながらみていた。時間と夢と思想と愛情と罪悪感との混じり合い

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日常の切れ端の隅っこに宿る恩恵

日常の切れ端の隅っこに宿る恩恵

静かな雨の日に10人くらいの男子高校生の集団とすれ違った。その中に一人松葉杖をついた子がいて、その子を囲むようにゆっくりと向こうから彼らは歩いてきた。激しい降りではないけれど、小雨とは言い難い中、ゲラゲラ笑いながら歩いている。誰も傘をさしていない。駅につくころにはみんなけっこう濡れるだろう。
たまたま制服のシャツが薄いブルーだったせいか、大きな紫陽花の花が雨に揺れているみたいだった。

そんな彼ら

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「めんどくさい」と口について出た時は

「めんどくさい」と口について出た時は

散歩を再開した
去年の夏頃は少し歩いていたのだけど、その頃は健康によい最低ラインの8000歩歩くのも決死の覚悟で、1万歩など精神的にもめんどくさいし、体力的にも無理という感じだった

それが秋になり冬になり寒くなってめんどくさくなり散歩をほとんどしなくなった。

この「めんどくさい」という言葉は使い勝手のよい言葉だ
「考えたくない」あらゆる案件に対して適応され、その考えたくないことについて蓋をする

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傷ついたと思ってしまうことの罪悪感

傷ついたと思ってしまうことの罪悪感

昔、知り合いの人から仕事のことでわけのわからない絡まれ方をしたことがある。私がまとめていたとあるプロジェクトのやり方について、突然、感情的な電話がかかってきた。直接その人が絡んでいないプロジェクトだったのだけれど、その人の知り合いのスタッフを何人か入れた。そのことについて「私になんのことわりもなく、勝手にスタッフに仕事を発注した」というような趣旨のことを電話口でまくしたてられた。スタッフは全員フリ

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「違うレイヤーに立って話をしている」ことが理解できれば、人間関係はもっとシンプルになるのではないだろうか?

「違うレイヤーに立って話をしている」ことが理解できれば、人間関係はもっとシンプルになるのではないだろうか?

さて、ちょっと時間が空いてしまったけれど、前回の続き

前回の記事の最後に「そんなわけで定期的なメンテナンスのひとつとして、かかりつけ医に血液検査をしてもらっているのだけど、それがね、コミュニケーションについて考えさせられるおもしろい人体実験になっている」と書いた。
そう、先生とのコミュニケーションの話を書きたかったのだ。ということは、前回の記事、読まなくても大丈夫な気がする、たぶん。(じゃ、書く

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酔うだけに飲むお酒はおいしくないし、どれだけ飲んでも酔わないっていうのも虚しい

酔うだけに飲むお酒はおいしくないし、どれだけ飲んでも酔わないっていうのも虚しい

2022年の夏に潜在性甲状腺機能低下がわかり、それ以来、薬を飲んでいる。

この記事がその時のものだけど、この時から定期的に血液検査をしていて、甲状腺ホルモンだけでなく、基本的な栄養状態もチェックしている。
甲状腺のほうは服薬のおかげで正常値内をキープし続けているので、夏をめどに服用をやめる方向で先生と話をしているところ。

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ところで私は自分なりの健康の定義を設け

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「わからない」という余白

「わからない」という余白

私は編集時代、そして今の仕事を通して「この人が本当にいいたいことは何か?」とか「この話の本質とは何か?」とか、そういうことを考える機会が多いほうだと思う。

だけれども、わからないことのほうが圧倒的に多い。たぶん1日の中の大半を「わからないなぁ」と思って生きている。この「わからないなぁ」には「知識や情報が足りなくてわからない」こともあれば、自分とは考え方や受け止め方が違いすぎていて「わからないなぁ

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違和感

違和感

ちょっと前のことなのだけど、不思議な夢を見た。不思議というのは夢見の触感という意味でだ。
こんな触感の夢を見るのは久しぶりだ。

夢って日中の出来事から得た情報を整理する過程で見るものもある。例えば、アクション映画を見た日に、その映画のシーンが出てくる夢をみたりとか。そういうやつ。
ほかに東洋医学では、血虚や気滞だと眠りの質が悪くなり夢を見がちになるともいう。そういう体調からの影響による夢というも

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