イタリア文化コーディネーター | Maki Yoshida Marinello
卒業旅行で魅せられたイタリアに惹かれ、移住。20年間水の都・ヴェネツィアで暮らし、現地…
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ヴェネツィア、フランク王国の大軍をやっつける
476年の西ローマ帝国消滅後、ゲルマン諸国とビザンティン帝国が、豊穣なイタリア半島をめぐって領土の取り合いを繰り返していました。
687年に今のベルギーのあたりからピピン1世が登場し、750年のピピン3世の時にフランク王国の支配が強まり、その息子カール大帝(シャルルマーニュ)は、812年西ローマ帝国を復活させるまで領土を広げます。
810年、カール大帝の息子はヴェネツィアを征服しようと大軍を送
アルメニア人のサン・ラザロ島 2/2
1/2の続きです。
見つかれば即逮捕という中、彼は女装で身を隠し修道院を出、まずカプチン会の修道院でかくまわれます。それからフランス大使館経由で、なんとか当時のヴェネツィア領モドーネ(現ギリシャ、ペロポネソス半島の南西部)へたどり着いたのでした。
そこで、1701年9月8日25歳のメキタルは、弟子達とともに新たな修道会をたちあげます。修道院と教会の建設、運営のための借金をようやく返済し、貧しい
アルメニア人のサン・ラザロ島 1/2
ヴェネツィア本島南東のラグーナ上、リド島の手前にある「アルメニア人のサン・ラザロ島」は、島全体が、アルメニア教会のメキタル会の修道院です。
18世紀の初めに、アルメニア人の修道院になる前は、9世紀頃からハンセン病患者や、巡礼者、貧しい人々のための病院がありました。
ハンセン病の原因となる細菌は、古来から湿度の高いアジアにあり、中東を超えアジアへも行き来していた、ヴェネツィアの商人たちが感染するこ