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noteの方向性を変えてみます。
みなさま、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。
これまでこちらのnoteでは、哲学思考ゼミのレポートを中心に書いていたのですが、ここらでちょっと趣向を変えて、日常的な事柄や、日々の雑感、考えていることなどについて書くようにしようかと考えています。
日常的な事柄といっても、ソトのガクエンに関しては、哲学入門講座と哲学思考ゼミが繰り返されるばかりで、さほど変動のある日々ではないのですが、今月から
(10/3)『公共哲学入門』ゼミレポート#5-第4章「功利主義の公共哲学」(前半) @ソトのガクエン
みなさま、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。
10月3日(火)に実施されました、『公共哲学入門』ゼミのレポートです。今回は、Yさんをリーダーに、第4章「功利主義の公共哲学」の前半部分を読みました。ここでは、功利主義の定義と分類について確認された後、功利主義の古典理論としてベンサムとミルが紹介されます。
功利主義と聞くと、一般に、利己的でお金の計算ばかりをしているという印象がありますが(と本書
(9/30)ジェイムズ『純粋経験の哲学』ゼミレポート#4- 純粋経験は、なぜ事物と意識に同時に属し、なおかつ同一であることができるのか?@ソトのガクエン
みなさま、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。哲学思考ゼミ、ジェイムズ『純粋経験の哲学』第四回目です。今回は、『純粋経験の哲学』(岩波文庫)19頁~21頁まで読み進めました。本文の内容理解と参加者の方々との議論に多くの時間をかけたため、分量はそれほど進みませんでしたが、とても有意義な時間となりました。以下、今回読んだ箇所の内容です。
今、椅子に座り、私の周りを取り囲んでいる部屋は、物理的事物で
(9/26)『公共哲学入門』ゼミレポート#4-第3章「公共哲学の歴史Ⅱ」(ハーバーマス編) @ソトのガクエン
こんにちは、ソトのガクエンの小林です。9月26日(火)に行われました、公共哲学入門ゼミのレポートです。今回は、前回の続き、第3章のハーバーマスの部分を読んでいきます。
ハーバーマスはフランクフルト学派の第二世代に位置づけられます。第一世代のホルクハイマーとアドルノが、近代理性を主観中心的理性として全面的に批判したのに対し、ハーバーマスは、近代理性には間主観的な理性、「コミュニケーション的理性」と
(9/19)『公共哲学入門』ゼミレポート#3-第3章「公共哲学の歴史Ⅱ」(アーレント編) @ソトのガクエン
みなさん、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。
9月19日(火)『公共哲学入門』ゼミのレポートです。今回は、第三章「公共哲学の歴史Ⅱ」を、Mさんをリーダーに読み進めました。今回は、前半部分のアーレントの公共哲学の箇所を読み終えました。
アーレントの議論のポイントは、公共領域について理解するには、意見を交換し相互に吟味し合う複数性が不可欠であるというところにあります。これは、ナチズムやスターリニ
(9/16)ジェイムズ『純粋経験の哲学』ゼミレポート#2-第1章「「意識」は存在するのか」 @ソトのガクエン
こんにちは、ソトのガクエンの小林です。
ウィリアム・ジェイムズ『純粋経験の哲学』ゼミ、第2回目のレポートです。今回からいよいよ本文読解に突入いたしました。大体、1パラグラフほどを音読し、その内容を確認していく形で進めています。今回から読んでいくのは、第1章「「意識」は存在するのか」です。
まず、タイトルにある「意識」という語に、あえて括弧が付されていることに気がつきます。ジェイムズの意図は、意識
【基礎ゼミレポート】ラ・ボエシ『自発的隷従論』#06 閑話休題的に、ほとんど映画の話をしていました。【ソトのガクエン】
こんにちは、ソトのガクエンの小林です。
前回、7月4日(火)基礎ゼミは、『自発的隷従論』の33ページ「習慣としての隷従」から読み進めました。が、1パラグラフだけ読んで、あとは映画の話を中心に、雑談し続けてしまいました。一応、話に出た話題についてお伝えします。
以前、僕が最近みて面白かった映画として、「ロブスター」を参加者のMさんとともに紹介したところ、参加者のYさんが興味を持たれ「観てみます!