介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護…
十薬の白きクルスの墓標めく 蕺菜(どくだみ)と十薬。この二つの名前をもつ草は、この世のものが相反するものを内包しつつ存在していることを教えてくれているようだ。…
なめくじは伸びられるだけ伸びるのかそれとも手を抜くこともあるのか 2日連続なめくじがテーマである。なめくじの体長とは、どの状態をいうのだろう。冬に植木鉢の裏で…
なめくじの伸びしろ豊か朝ぼらけ 梅雨の季節も近づき、なめくじを見ることが多くなった。わが家ではプランターで苺を作っているのだが、毎年いくつかはなめくじの被害に…
花なすび母は亡き人ばかり呼ぶ 母は以前ほど誰かを呼ぶことはなくなった。以前は、たとえば眠っていて目を覚ますと傍に誰もいないとき、手や足が痛むとき、あるいはふい…
戦前を生きる子どもたちへⅢ 銀河の果てから宇宙人が攻めてくる 地球の人々は互いに争うことをやめ 一致団結して宇宙人と戦う 君はこの物語をすてきだと思うかい? 私は…
しつかりで形容できる事柄が減りゆく母よ しつかり老いて 老いの価値をどう考えるか。世の中の流れは、アンチエイジングなのかも知れないが、老いを否定的にとらえる限…
風そら音蛍袋の揺れぬめり 峠の途中に湧水があり、ときどき水を汲みに行く。誰が名付けたのか「雨山の湧水」という木の札が掛けられている。 その近くに蛍袋が咲いて…
卯の花や逝きても祝ふ誕生日 公開するつもりもなかった句だが、今日の俳句を何にしようかと考えていたら、昨年も季語を変えただけの同じ句を詠んでいることに気づいた。…
人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし どんな生き物も子どもは大切にする。では、老いたものはどうだろうか。そもそも自然界の生き物には、いわゆる老…
転んでも転んでいない天道虫 「俳介護」は、介護の日々のなかで俳句を読むことで、ひと息ついたり、気持ちが整ったり、楽しみとなったりしている私の生活を名付けたものだ…
鳩飛べる五月の空をまもるなり 原句は「鳩飛べる五月の空を仰ぐなり」だが、平和は憧れのように見上げるものではなく、同じ目線の高さで見つめるものでありたいと思った…
戦前を生きる子どもたちへⅡ 声をあげるということは いつの時代もむずかしい 早過ぎれば杞憂だと一笑に付され 早ければ現実を知らぬ夢想家だと批判され 遅ければ空気を乱…
食べたとか便が出たとか笑つたとかサプライズなく喜ぶ暮らし ここ3年ばかり母の病状は安定している。と言うか、私は母が病人だということを意識していない。糖尿病でイ…
潮風のここまで届く花みかん 記憶とは不思議なものだ。「みかんの花咲く丘」の歌詞は、なぜか私の中では谷内六郎の絵と結びつく。実際にそんな絵を見たのかどうか定かで…
母の日来真夜中母を怒鳴りつけ またやってしまった……。この言葉を私はもう何百回くり返しただろうか。 昨夜はたまには早めに母の傍にいこうと、いつもより早くベッ…
@haikaigo
2023年12月1日 16:52
介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護」(http://haikaigo.com)というブログを立ち上げておりますので、今日からはnoteでの作品はブログの作品と重複しないよう、ブログには掲載していない俳句や文章、短歌、詩などを発表していくことにいたします。すでに発表した4句は
2024年5月26日 12:13
十薬の白きクルスの墓標めく 蕺菜(どくだみ)と十薬。この二つの名前をもつ草は、この世のものが相反するものを内包しつつ存在していることを教えてくれているようだ。じめじめとした湿地に生える陰気さと白い花(実際は苞というものらしい)の清らかさ。強烈な臭いと愛らしいハート形の葉。これほど対照的な要素を併せもつものも珍しい。だからこそ、「毒と薬」という背中合わせのものを名前に含むのだろう。 裏庭の花
2024年5月25日 10:23
なめくじは伸びられるだけ伸びるのかそれとも手を抜くこともあるのか 2日連続なめくじがテーマである。なめくじの体長とは、どの状態をいうのだろう。冬に植木鉢の裏で丸まっているときか。それとも夏の早朝に庭を這っているときか。伸縮自在のなめくじの伸びても縮んでもいない状態はどれなのか。どなたかご存じないですか? それにしても、ほそなが~く伸びているなめくじを見ると、よくぞここまで……と感心してしまう
2024年5月24日 09:48
なめくじの伸びしろ豊か朝ぼらけ 梅雨の季節も近づき、なめくじを見ることが多くなった。わが家ではプランターで苺を作っているのだが、毎年いくつかはなめくじの被害にあう。今年も10個はやられた。なめくじ除けを撒いているのに効果なしだ。俳句を始める前は、敵のように憎んでいた生き物だったが、俳句を始めてからは憎めなくなった。数ある生き物の中でも俳句の題材として、とても魅力的だと思う。 野菜をかじられ
2024年5月23日 09:30
花なすび母は亡き人ばかり呼ぶ 母は以前ほど誰かを呼ぶことはなくなった。以前は、たとえば眠っていて目を覚ますと傍に誰もいないとき、手や足が痛むとき、あるいはふいに、誰かを呼ぶことがしばしばあった。たいていは「おとちゃん」と父を呼び、返事がないと「ねえ」と姉を呼び、「洋子」と妹を呼び、「お父さん」「お母さん」と祖父母を呼ぶ。みんなあの世で暮らす人ばかりである。 以前はそのたびに父や祖父母がもう
2024年5月22日 07:27
戦前を生きる子どもたちへⅢ銀河の果てから宇宙人が攻めてくる地球の人々は互いに争うことをやめ一致団結して宇宙人と戦う君はこの物語をすてきだと思うかい?私はすてきだと思うもし宇宙人が烏賊や蛸のような奴らだったらそいつらを地球人の撃った弾丸が貫くのを痛快とさえ思うだろうだが、このすてきな物語には描かれていないことがある彼らが私たちと同じく家族や友人を愛する様子・・・・・・
2024年5月21日 07:34
しつかりで形容できる事柄が減りゆく母よ しつかり老いて 老いの価値をどう考えるか。世の中の流れは、アンチエイジングなのかも知れないが、老いを否定的にとらえる限り、結局アンチエイジングの試みは空しいものではないかと私は考えている。私の母は、もうほとんど自分で自分のことを出来なくなってしまったし、話すことも半分以上はよく分からないが、それでもなぜか尊敬出来てしまう。あえて、そう思おうとしているので
2024年5月20日 08:09
風そら音蛍袋の揺れぬめり 峠の途中に湧水があり、ときどき水を汲みに行く。誰が名付けたのか「雨山の湧水」という木の札が掛けられている。 その近くに蛍袋が咲いている。風の感じられない日だったが、花がかすかに揺れたような気がした。と同時に誰かの声が聞こえた気がした。蛍袋は声だか風だかに応えるように揺れたように思われた。 文語助動詞「めり」は、「目の前の事実について推量する意を表わす」と辞書に
2024年5月19日 10:03
卯の花や逝きても祝ふ誕生日 公開するつもりもなかった句だが、今日の俳句を何にしようかと考えていたら、昨年も季語を変えただけの同じ句を詠んでいることに気づいた。「冷酒や逝きても祝ふ誕生日」今年がこの句で、掲句は昨年。 五月十五日は亡き父の誕生日で、今年もまた父が好きだった『上善如水』という酒を供えた。というより、結局は自分が飲みたいから、父の誕生日にかこつけているだけだ。普段紙パックの酒しか
2024年5月18日 09:57
人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし どんな生き物も子どもは大切にする。では、老いたものはどうだろうか。そもそも自然界の生き物には、いわゆる老年期そのものが存在しないかも知れないが、弱肉強食の世界では、老いたものを労るゆとりはないであろう。少なくとも私は、人間以外に老いを労ることのできる生き物を知らない。 数年前にある議員が「生産性のない人たちは税金で支援する必要がない」と
2024年5月17日 08:59
転んでも転んでいない天道虫「俳介護」は、介護の日々のなかで俳句を読むことで、ひと息ついたり、気持ちが整ったり、楽しみとなったりしている私の生活を名付けたものだが、俳句のテーマを「介護」に限定しているわけではない。曲がりなりにも親の介護をする者、俳句を詠む者として、一句でも多く介護の句を詠みたいという思いはあるが、「俳介護」生活のなかで詠まれる俳句のテーマはなんでもいいし、あえて言えば駄句・凡句
2024年5月16日 06:59
鳩飛べる五月の空をまもるなり 原句は「鳩飛べる五月の空を仰ぐなり」だが、平和は憧れのように見上げるものではなく、同じ目線の高さで見つめるものでありたいと思った。古語「まもる」には「目を離さずに見る」の意味もあるらしいので、この形に変えた。 「五月」を、「さつき」と読むか、「ごがつ」と読むかで、句の印象がかなり変わるような気がする。「さつき」と読んだほうが響きはさわやかなのだが、昨今の世界情
2024年5月15日 13:42
戦前を生きる子どもたちへⅡ声をあげるということはいつの時代もむずかしい早過ぎれば杞憂だと一笑に付され早ければ現実を知らぬ夢想家だと批判され遅ければ空気を乱す者として叩かれ遅過ぎれば国賊として捕らえられるしかし君たちにはどんな時にも声をあげる権利があるいまの状況をまねいたのは君たちではなくにもかかわらずその影響をもっとも強く受けるのは君たちだからだおそらく私のことばは
2024年5月14日 08:50
食べたとか便が出たとか笑つたとかサプライズなく喜ぶ暮らし ここ3年ばかり母の病状は安定している。と言うか、私は母が病人だということを意識していない。糖尿病でインスリン注射をうっているし、不整脈で血をさらさらにする薬も飲んでいるし、脊椎間狭窄症の痛みもあるし、そのうえ認知症だから病人には違いないのだが、それらは私の意識の中ではすでに日常に組み込まれてしまっている。 もちろんこの3年程で足は衰
2024年5月13日 08:44
潮風のここまで届く花みかん 記憶とは不思議なものだ。「みかんの花咲く丘」の歌詞は、なぜか私の中では谷内六郎の絵と結びつく。実際にそんな絵を見たのかどうか定かでないのに、海辺の小学校の風景が浮かんできて、懐かしい思いにひたる。私は山間の町で育ったので、海辺の小学校などには通ったことがないのに……。 私の住む和歌山は、愛媛と並ぶみかんの産地である。おいしいみかんが出来るためには、充分な日射しと
2024年5月12日 11:30
母の日来真夜中母を怒鳴りつけ またやってしまった……。この言葉を私はもう何百回くり返しただろうか。 昨夜はたまには早めに母の傍にいこうと、いつもより早くベッドの隣に布団を敷いて横になった。と、ここまでは良かった。 一時間ほど母と脈絡のない会話を続けていたのだが、そのうちに眠りに落ちた。だが、一時間もしないうちに、母の痛みが始まってしまった。この就寝後一時間ぐらいのタイミングで起こされるのが