記事一覧
来年2024年令和6年の運気の易占結果&九星気学で九星別の運気予報
占的(占う目的)
この易占の結果をご覧になった方にとって、
『2024年の日本はどのような状況になりますでしょうか?』
得た卦は『雷沢帰妹(らいたくきまい)の初爻』でした。
この卦のキーワードは、【通常とは異なる“動きや変化”】
とご記憶ください。
先ずは、結論から。
令和6年2024年の日本の運気を一言でいえば、『下剋上社会の幕開け』の年になりそうです。
その意味は、今までの社会
易は深淵なるもの 天から与えられた人生の道標
皆さんは、易学と聞いて、どんなイメージを持っていますか?
多くの方が「古臭い」とか「難解」と感じるかもしれませんが、実は易学は、私たちの人生に深い洞察と指針を与えてくれる、天からの贈り物です。
易学は、私たちが日々の選択に迫られたり、人生の岐路に立ったりするとき、天からの導きを受け取るための道具です。
それはただの占術ではなく、私たちの深層心理に潜む真実を解き明かし、人生の複雑な疑問や選択に
結婚したいあなた! 結婚相手より、むしろ姑さんとの相性鑑定が重要では?
私が本格的に気学を教室で学び始めたのは20代半ばで、父がなくなる2年ほど前からでした。そして、そのきっかけは父の直観力によるものでした。
その直観力とは。
一生の伴走者としての気学父は、自分の死期を予知していたのでしょうか、また中小企業経営者として人生を歩むことになるであろう不出来な私の行く末を案じてでしょうか、人生の指南役として私に気学を学ばせ、一生の伴走者として見守ってもらいたいとの親心だっ
【私と気学との出会い】その6― 私信ですが、風水の理論上では『人の寿命を予見することは不可能ではありません』―
気学では、人の生死には関わらないのが原則です。ですが、やはり父の突然の死は、家族にとってはとてもショックなことでした。
ゴルフコンペの日曜日の早朝に、張り切ってお迎えの車に乗り込み出かけたのですから、その日になぜ帰らぬ人になったのか。
なにが原因だったのか。
特に母は知りたかった様でした。
父が亡くなった年の初盆が済んだころに、母は一人で荻窪の先生に会いに行ったそうです。
父の心筋梗塞に
【私と気学との出会い】その5 ―将来の人生の交差点で、“今この時”にどの選択肢がベストかを教えるのが“気学”―
さて、今回は、荻窪の気学の先生から押っ取り刀で授かった“方位術”で、息子の結婚相手のご家族にお会いする場面です。
高をくくって臨んだ両親大企業出身のスピンアウト組とは言え、自分たちは戦後独立した下町商人。お相手は地方とは言え新聞社の社説編集主幹。
これじゃまったく住む世界が違うから、「どうせ話が合う訳ないだろう。この結婚話はまとまるはずがない!」と高をくくって臨んだ両親でした。
ところがなんと
【私と気学との出会い】その4 - 『交渉事が必ず叶う時期を教えて』って問われても、、、。有るんです!気学では -
「息子の結婚話を白紙に戻すか?」
との両親の思いのくだりを、前回でお話ししました。
まぁそこまでは無理としても、なんとか「自分たちに都合よくもっていける様に」と画策していた私の両親でした。
ですが、息子の彼女さんが当時人気ファッション雑誌“JJ”の「街で見かけたファッショナブル女子」に掲載されて、親戚やご近所さんから「すてきなお嬢さんねぇ。うちの息子にもいないかしら~」などと言われれば悪い気
【私と気学との出会い】その3 ― 人生の重要な選択や決断のタイミングを気学は教えてくれる ー
それからの私が気学に大きく影響される出来事が連続して起こることになります。
私が結婚を意識し始めていた頃のことで、お相手は大学同窓の北陸出身の美人さん。それがなんとうちの両親は、その彼女の生年月日やご実家住所を基に、事前にこっそりと東京杉並区荻窪の気学の先生に鑑定をお願いしていたのです。
父は以前から会社人事や取引に関する相談を、事あるごとにこの先生に相談しに杉並区荻窪まで出かけていたことから
【私と気学との出会い】その2 - 運命の交差点で出会った人との相性の重要性 -
前回の私の記事【私と気学との出会い】その1では、私の父の終戦直前と直後の運命の分かれ道をご紹介しました。今回は、父の健康状態の悪化が私の大学卒業後の進路変更を引き起こし、それが基となって知り得た自分と他人との「相性の重要性」についてお話したいと思います。
「運命の交差点で出会った人との相性」は、まさに人生の鍵を握る重要な要素となります。私の相性体験を後日に気学的に分析して学んだ、『相性の重要性』