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AHoyH(アンノーン)について -ライブ配信の描き出し方-
ここでは阿部和重『AHoyH(アンノーン)』に関して述べていく。
ライブ配信とは
アンノーンではライブ配信についての描写があるが、この描写はいささか不十分であると考える。
その理由は、「視聴者からのコメント」が全くないことになっている、あるいは描写が省略されているからだ。
すでに録画したものを配信する主にYouTubeのようなスタイルであればコメントは後からつくので、コメントの描写はあるいは
教育問題:二系統の教育制度設定について
現在の教育問題を解決するために、「二系統の教育制度設定」を提唱したい。具体的には、スキゾ系とパラノ系の教育制度を同時並行的に用意して、学習者は自由に乗り換えられる、というものだ。
これは、自分自身の教育経験がヒントになっている。幼稚園はあまり意識がなかったが、小学校~高校まで、私は学校に通うのが苦痛だった。
まず、毎日決まった時間に登校するのがいやだ。それから毎日毎日、椅子に座ってつまらない授
「柿の精」に関する考察
口承文芸の事例として、ここでは「柿の精」という日本の昔話を取り上げる。「柿の精」というタイトルは「まんが日本昔話」というテレビ番組でもとの話を編集して取り上げられた際のもので、もともとは「タンタンコロリン」という妖怪に関する民話のようだ。
隣の柿がほしいお婆さんのもとに、ある日入道坊主がやってくる。そしてつぶれた柿の実のようなものを皿に盛って戻ってきたが、お婆さんが食べてみるとこれが大変おい
一人称小説における、モノローグ型と対話型について
大学の講義で小説を人称によって区分する、ということを学んだ。具体的には一人称、二人称、三人称の視点で書かれた小説に分けられる、ということだ。
だが、特に一人称小説に関しては、さらに区分を設けた方がよいと思われる。つまり、さらにモノローグ型と対話型に分ける、ということだ。一体どういうことなのか、以下で述べていく。
モノローグ小説とは、小説の中に他者との会話が全く出てこず、「私」の見たイメージ、あ
「から」についての考察
今回、「から」という言葉について取り上げる。結論を先に言うと、「から」は往々にして誤解を生むということを述べていく。
個人的な話になるが、私が初めて哲学に興味を持ったのは、高校の倫理の教科書でデカルトの「方法的懐疑」に関する説明を読んだ時だった。
ありとあらゆることを疑っていき、最後に今疑っている自分自身は疑いえない(これを疑うと、他すべてへの疑いがなくなるため)。教科書に書かれているこ
嗚呼!失敗だらけの北九州紀行
事前準備Go Toキャンペーン華やかりしころ、長崎・佐賀に旅行しようと思っていたんです。
この2県にはまだ、足を踏み入れたことがなかったものですから。
それが、コロナの第何波だかが来て、緊急事態宣言、Go To中止で旅行取りやめ、ホテルもキャンセル。
そうこうしている間に東京オリンピックで、僕は派遣でオリパラの仕事に申し込みました。
仕事が始まってみると、まあ過重労働、深夜残業の嵐で。
正月から号泣:ながしまひろみさんのエッセイ漫画
新年になり、新しい「ほぼ日手帳」のリフィルを取り出しました。
僕は毎年「ほぼ日手帳」を使っているので、カバーは使い回ししているものですから。
そしたら、使い方を説明する紙がでてきたんですよね。
これ、去年はタイの漫画家さんが描いていて、それもよかったので1年間手帳にはさんでいたんですけど、今年は「ながしまひろみ」という方が描いていました。
失礼ながら全く知りませんでした。で、そこに描かれて