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怒られても凹むことない

怒りの対処


私たちは皆、誰かに怒られた経験があると思います。

その際に、自分が悪いことをしたから怒られていると考えるのが一般的です。

社会的には、そのように振る舞うことが正しいとされています。

しかし、怒りというものについて考えてみると、
それは必ずしも正しくないことがわかります。

今回は、そのことについて考えてみます。

怒っている人は、ただ怒りたいから怒っている


怒っている人が、自分の行いに対して怒っているのではない場合、
何に怒っているのでしょうか。

それは、その人が単に怒りたいから怒っているのです

これはアドラー心理学で言われていますが、

怒りの根源となる感情は、

ストレスを発散することや、

人が攻撃し支配したいと考えることです。

この目的を達成するために怒りという感情が用いられます。

そこには、対象が必ずしも必要ではなく、
また対象が必要だとしても、誰でもよいのです。

人間でなくても、動物や物でも構いません。
動物や物に当たる人がいるのはご存じかと思います

対象があってもなくても、また何でもよい状態において、
もしあなたがその対象に選ばれたとしても、
これはあなたのせいで怒られている可能性は低いです。


相手は元々、先に述べた二つの目的を達成したいと思っていて、
そのために怒りを使いたいと考えていました。

意識的にせよ無意識的にせよです。

おそらく多くは無意識的だと思われるので、

「あなたは怒りたくて怒っていることを自覚したほうがいいよ」

という発言はさらに怒りを強めるだけなのでしない方が賢明です。


二つの目的を対象としたいと考えている時にたまたまあなたがそこにいたと考える方が適切です。

「怒りたいな」と考えていた時に、
「あ、怒られるべき人がいた」と不運にもあなたが見つけられ、
怒りを浴びせられるという展開になっただけです。

単にあなたは不運だったのです。

もし学校や仕事で怒られているとしても、
内容的にあなたが行動を改善した方が良いと思えるものを含んでいるならば、それは素直に聞き入れて修正するべきです。

しかし、相手の怒りという感情にまで同調する必要はありません

他者の行動に対して何か言いたいことがある時、

怒りを適切にコントロールできる人であれば、あなたに必要な指示はするものの、怒りに任せて感情をぶつけるようなことはしません。

単に感情的で、感情をコントロールするという点で未熟なだけです。


これは何も他者だけに言えることではありません。

自分に対しても、言えることで、
怒りを感じたとき「なぜそう感じたか」内省することが、
良好な人間関係を作る上で重要なことです。


感情を受け流す


なので、必要なことを聞き、
感情を受け流すという器用さが必要になります。

これは言うは易しく行うは難しいですが、

どうしても相手の怒りという感情に圧迫され、支配されてしまうことが多いです。

これは、相手が攻撃し、支配するという目的を持っているからです。


これに対し、自分も同等かそれ以上の怒りを持って相手に対することも、
自分を守るという面では有効かもしれません。

言い返すとしても、強いプレッシャーに対して自分もそれをはねのけるような精神状態を保つのは有効な戦略です。

しかし、もともとの気質が穏やかな私たち日本人にとって、
これは少々難しいかもしれません。

それよりはむしろ、受け流すことに意識を向けた方が良いでしょう。

受け流すためには、相手が何で怒っているかを分析することが良いです。

先に述べた二つの目的のどちらに相手が該当するのか、
またその目的を達成したいと思うような相手の背景は何か、

例えばプライベートでうまくいかないことや体調が悪いなど、
相手の状態はもともと悪かった可能性が高いです。

相手の調子が良いのにいきなり怒り出す場合は、
危険な性格の持ち主かもしれません。

それよりはむしろ、相手が元々調子が悪かったと考える方が可能性が高いでしょう。

元々調子の悪かった相手が、
自分に怒りを、言ってしまえば八つ当たりのように向けてきたとしても、

それは「大変だったね」とある意味で同情することができます。


同情するというのは、相手と同じレベルに立っていない、

それより上の状況から見下しているということになります。
見下していると言うと印象が悪いかもしれませんが問題はありません。

それを言葉にするわけではなく、黙っていれば良いのです。


相手が攻撃的になっているのを流すために、
自分がより高い次元から物事を見るという回避行動は、
自分の身を守るための正当な行いです。


理解し共感しない


私は幼少期からかなり怒られる回数が多い子どもでしたが、
その中で、あまり怒られることを気にしていませんでした。

一緒に怒られている友達は怒られることを気にしていましたが、

私は相手が何で怒っているか、
または全く違うことを考えることで対処していました。

例えば午後に怒られているとき、
昼に何を食べていたのかなどを考えていました。

また、相手の一人称を頭の中で「おいら」に変換してしまうこともしていました。
説教はつまらなかったので、面白くしようと考えていたのだと思います。

これは、相手の怒りという感情に飲み込まれないようにするために有効な手段でした。

相手にとってはそれを知る由もない出来事ですが、
私はおそらくその時、何一つ相手の言っていたことを聞いていなかったし覚えていなかったと思います。

それはそれで問題です。
相手の説教の中にも聞くべきことはあったはずですから。

なので、
言葉として理解しつつ、感情に共感しないという態度が重要だと思います。


歳をとるにつれ、怒られる機会は減りますが、

どんな場所にも、例えばクレーマーなどといった頭のおかしい相手と対峙することはあるでしょう。

そんな場合でも、理解し共感しないという態度は役に立つのではないでしょうか。

考えなしに、または悪意を持って、感情をぶつけてくる相手に対してまともに受ける必要はありません。

あなたはあなたのやり方で身を守り、幸せでいる必要があります。

もしこの記事がそのための役に立てば、とても嬉しいです。

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