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転職体験記 シリコンバレーのベンチャー企業に その10 オフィスでのあざとかわいさ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 時は昭和のバブル時代真っ只中。

 車を買い、アパートも用意して家族を待つだけになった私生活。一方でオフィスも…

 ということで今回は転職先の仕事場の雰囲気を…

 シリコンバレーのベンチャーですから、私達以外のスタッフは基本的にはストックオプションを持っていて、数年間思いっきり働いて株式公開が達成されれば、人生上がりという建付け。特に当時のシリコンバレーはその成功者で溢れて居ましたのでとても明るい雰囲気。
 因みにその会社のファウンダー兼社長と副社長は既に1度前の会社の株式公開で人生上がっていて、隠居するのも早いしというノリで今回は2度目のベンチャー立ち上げ。

 そんな中で私のベンチャーでの仕事がスタート…

 オフィスは、シリコンバレーの北の端。少し行けば塩田もあるような場末。この辺りの用地選択の堅実さもこのベンチャーを提携先に選んた理由の1つでした。

 建物は平屋建てで半導体工場も併設されていました。ファウンダーの社長と副社長のみが個室。後は人事·総務部だけが別の部屋。それ以外は全員肩の高さまでのパーティションで仕切られた個室でした。間口2mx奥行4m程度の広さで一番奥に机という感じでした。
 社会人になりたての時には、計算機室にミニコンピュータと並んで、100万円弱のマッキントッシュのコンピュータが鎮座していました。それから数年後。シリコンバレーではマッキントッシュからクラシックという名前で同等品が1000ドルを切る値段で発売されていました。そこで日本から行った数名には全員にそのマッキントッシュクラシックが1人1台用意されました。私にも。

 大学生時代に父に30万円程度のパソコンを買いたいので援助してほしいと頼んだ時、
「パソコンは会社に買って貰うものだ」
と言われた事を思い出しました。確かに進歩が早すぎて直ぐに陳腐化してしまう…

御明察

というところでしようか。

 当時としては、個人用のパソコンを持っていることは夢のようなことでした。
 また、個室のオフィスも夢のよう。多忙で自宅に居る時間は大切にしたかったので、日本では日本経済新聞を自宅で読んでいましたが、シリコンバレーでは会社でウォール・ストリート・ジャーナルを読みました。新聞や雑誌は定期購読すると驚くほど安いのでオフィスでは何時も最新刊の雑誌も、例えばタイムとかエコノミストとかまで…

 日本から将来上司になる海外畑の営業部長が視察に来た時には、
「ウォール・ストリート・ジャーナルなんか飲んでるのか…、私はタイムズだったなぁ…あっそうか、ここは一般紙はサンノゼ・マーキュリーか…」
などと絡まれたりしました。

 そして開発にはパートナーとしてチェコスロバキアから来た40代後半かなぁ…シニアなドクターの方が付き、テクニシャンとしてフィリピンの看護師の資格を持つ高学歴な女性が付きました。こんな感じの体制の中に…

 エンジニアとしての担当はエッチング。ドライエッチングやウエットエッチングなどその全般を担当することに。微細加工の肝の工程でした。勿論工場に専門部隊が居るのでその方々と協力して次世代技術の開発をしました。全身無塵服に身を包みクリーンルームでの作業とオフィスワークとの繰り返しの日々でした。工場は年1度の定期メンテナンス以外はフル稼働でしたので、開発の為の試験ロットの対応も昼夜問わずという極めて多忙な日々でした。

 当初は既存の製造技術の移管の仕事も重なり、開発の合間にマニュアルの読み込みと日本で建設中の工場用のマニュアルの作成をしていました。勿論イントラネットもインターネットも無いので、只管(ひたすら)フロッピーディスクに保管して逐次日本に郵送するという感じ。


 通信は電話とFAX。事務所内は、机を持たないスタッフさんへの連絡は“ページング”と言って机上の電話をマイクロフォン代わりにして館内放送で呼び出しをする感じでした。
 事務所外での呼び出しはポケットベル。

 事務所と工場の間に大きなオープンスペースが有り、食堂や休憩所、たまに全社会議にも使われて居ました。職能系の方々の控室でもありました。

 そして半導体工場。クリーンルームになっていて戸外より気圧を上げることで、塵や埃の侵入を防ぐ設計でした。当時は最先端でもその程度で大丈夫な0.5ミクロン程度までの微細加工でした。ですから工場内でコウロギが交尾していたりとまぁあり得ない程の長閑さ。勿論そっと手袋で掬って、工場の外にある草むらに放してあげました。
 私達が渡米前に使っていた秘密工場の方が鉄鋼生産のプロがビシッと監督していましたので余程設備的には良く管理されていました。
 しかし、流石ベンチャー。そこで、スカッドミサイルにも採用されたミリタリースペックの先端半導体の生産もしていたのです。それ位個々のエンジニアのレベルが高く、逆に普通のエンジニアは直ぐに辞めて半導体大手に行ってしまうというサイクルを何度も目撃しました。
 
 想定内でしたが、技術移管に当たっては量産工場担当の各エンジニアが技術の肝をドキュメン化せず、担当のエンジニアが居ないと所望の歩留(ぶどまり、良品率)が達成できないようにしていました。まぁ自分の居場所を守る知恵なのでしょうが、鉄鋼会社ではあり得ないお作法…。

 まぁあざとかわいいレベル

 我々も社内から選抜されてきた訳で…その意味では”百戦錬磨“。私も解析の仕事で全社的な開発状況を俯瞰し、電子部品開発、半導体秘密工場での開発と渡り歩き、社内外の尖った方々とも渡り合いました。ですからその辺は直ぐに見抜けて日本語のドキュメントは完全な形で仕上げていましたが… 

 まして共同開発の範囲では、私達がリードする感じでしたので上述の様な不都合は生じませんでした。その意味ではアメリカ流、シリコンバレー流も超えたと感じていました。

ナルシスト
我田引水
それが何か…

つづく
 
蛇足
 その後にそのベンチャーで基礎開発し私達の量産工場で生産した製品を逆にOEM供給するまでになりました。

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経緯

 シリコンバレーにある高速半導体メモリを開発·製造している会社に転職となったのです。
 形式的には鉄鋼会社の米国駐在員で、鉄鋼会社の社員としての給与を貰い、その米国ベンチャーの社員としても給与を貰い、日米の年金保険料はダブルで払い、税金は日米の給与と駐在員手当(住居費、自動車購入費、交通費など)も含めた全収入に対して米国の税金を支払うという形でした。 渡米に際しては先ずは米国大使館でのビザの取得。形式的に半導体技術開発のエンジニアという建付けでの渡米でしたので、取得したビザは、H-1B。ビザ取得に際しての大使館での面接、その後の手続きとそれなりに面倒でした。


 その2は渡航前の明るく楽しいひと時の話。

 その3は、予防接種の重要性と就労ビザのご利益の話でした。

 その4からは現地での流れ。

 レンタカー、ホテル、外食で仮に生活を立ち上げ、仕事が可能な体制に。そして銀行口座開設、年金、健康保険の手続きをして入社した会社の社員としての基礎的な手続きを完結させました。

 その5は仮生活からの脱却です。
 今ならスマートフォン手配は必須ですが、当時は携帯電話すら無く会社支給のポケットベルという時代でした。

 ということで、先ずは空港で借りたレンタカーは高いので、急いで自動車を購入ということに…。レクサスLS400は狭くて保留。
 戯れにシボレーカマロを見に行ってプレミアがついていたのに驚くといった感じ…

 その6もその続き。

アメリカでは車は極めて重要なアイテム

 折角アメリカに駐在するのだからアメリカ人に成り切って楽しもうと私自身車好きだしね。日曜日昼下がり道に迷い、Lincoln Mercury販売店に入って道を尋ねがてら車も…

 米国での自動車購入の実況中継です。

メキシコ系販売員の丁寧な対応で、不人気なアメ車のフルサイズセダンの最高級グレードの車、リンカーンタウンカーを選びレクサスとは別格とその場で契約を決めました。
 アメリカ専用に作られ、熟成し続けられただけ有って、この国には最適解ということで…。

 その7もその続編、契約手続きの実況中継です。
日本では味わえないレアな体験なので…

 渡米して間もないので自動車保険は基本的にコンサバな車しか掛けられません。勿論リンカーンタウンカーなら文句なし。
 ということで販売店で契約書3セットを読み合わせ。各項目ごとに読み上げて私が理解したらイニシャルを書いて各詳細項目までも説明済みということを記録に残し、1セットが終わると同じ契約書3枚にそれぞれイニシャルではなくフルのサインをすると言う作業。その後詳細な車の操作方法の説明と同様の確認作業。流石リンカーン。
·トランクからの緊急脱出装置
 (トランクの中に閉じ込められても内側から自力で脱出可能)
なんて装備まで…。アメリカの高級車らしい。
 ナンバープレートが出来上がるまで仮ライセンスの紙をフロントガラスに貼ってその場で乗って帰れるのがアメリカ流。合理的なんです。
 これで自分自身用の車の件はおしまいなんですが、ちと奮発した感じ。でも、予定通り35年後の今でも使っているので良いか… 

 仮生活からの脱却のお次は…
その8は、住む場所の話。ホテルからアパートへ。

 私は初めての駐在なので大人しく人事が用意したアパートから部屋を選ぶと言うスタンダードな流れを選びました。しかし、駐在慣れした方や気の利いた方は、駐在員手当を活用して不動産を買って、帰国時に売却して売却益を得たり、そのまま賃貸に出す何て兵(つわもの)も…

 人事ガソリン用意したアパートはこんな感じ…

 アパートの管理棟が敷地のど真ん中に有り、塔の下は大きなホールになっています。ラウンジの様な感じ。居住者の親交を目的に月一回週末ブランチが振る舞われると言うまぁアメリカらしいオ・モ・テ・ナ・シ。
 建物の左がオフィス。右はジムでセキュリティの問題で夜中は閉まります。建物の前にプールが有り、塔の真ん前がジャグジー。夜間はプールの中の水中照明が点灯してとても美しい…

 中庭もいくつか用意されていて、噴水も有りとても落ち着いた雰囲気…

 敷地内の散歩が楽しくなるような小径の景色…

 で、私は…

 部屋は異型の広いリビングと子どもと私達用の2ベットルームを選びました。兎も角アメリカらしい、ならでは感の有る間取りにしました。表紙の間取り。

 もちろんお風呂はバスタブとシャワーが一緒になっていて、石けんのお風呂に入って、シャワーで仕上げるタイプ。それを各人が楽しむという何ともアメリカンなタイプ。
 
 パティオも広いし、1700ドル程度と割高だったけど選んでしまいました。

 その10は、住む場所の話の続編。

 住居は大事なので少しだけ家族も揃って住み出した後の話も雑然とした感じでご紹介しました。

 デッキでのバーベキュー。
 バーベキューが下手で上の階のイラン系の方がベランダから赤外線で焼けばきれいに中まで火が通るとのアドバイス。生まれて初めての中東の方との会話でした。

 小鳥の餌箱をパティオの一番奥の門の前の樹に…。
 リス(chipmunk)もそのへんを彷徨(うろつ)いていました。

 建物の半地下が全て駐車場と倉庫。正倉院のように高床式になっているので風通しが良くとても過ごしやすいアパートでした。何と冷房は無く、ヒータのみ。真夏も涼しく高原の様な気候でした。

 ご近所さんからFurnished(家具付き)は割高と言われ、契約を変更。家賃を約半額強の月額990ドルに。

 郊外のハイウェイはガラガラヘビに遭遇。


 部屋のカーペットは、床から突き出している鋭利な釘で留めてあるので裸足は避けた方が無難でした。

 自然豊かなので蟻が出ます。

 アパートメンテナンスの屋根洗浄でパティオが水浸しに。基本的にアメリカのアパートでは天日干しするというのは想定外。洗濯機室で乾燥までしちゃいます。

 機械物が故障するのは想定内。洗濯機や乾燥機、プールの浄水装置や夜間照明のライト等も。もまぁそんなもんですという感じで皆さん大人の対応でした。

 また、ゴミは少し離れた場所にある普通自動車がすっぽり入る位大きな大型トラックの荷台の様な金属製の箱に分別せすいれる感じ。分別なんかしない。

 とまぁこんな感じの日常がシリコンバレーのアパートには有りました。

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つづく






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