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わたしの転職体験 その2 次期主力事業に転職 事業企画への道 鉄鋼会社研究所の受動素子開発職からLSI開発職へ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)

【経緯】
 大学を卒業して希望していた鉄鋼会社に入社しました。専攻していた表面物理学を活かせる研究部門に配属でした。そこでのんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていたのでした。しかし社内結婚を期に一気に人生が動きました。

企画畑へのキャリアパス。
 
 社内結婚を6月にしてその10月に研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)への華麗なる転身。初めて他人が私の人生の方向性を決定した瞬間でした。確かに総合企画部配転希望を出していました。しかし当面は研究所はだろうからその前にのんびり論文ドクター取得かと思っていましたので驚きました。その分

嬉しさも一入(ひとしお)。

 正に転職希望が叶ったのです。

 その辺りは以下をご覧下さい。

 入社した翌年に会社は過去最高の損失を出していました。その後新規事業開発を活発化させていました。利益剰余金はかなり有りましたので、大胆な展開をしていました。そこに3年間の育成指導学歴終わって、社内結婚で身も固めて、企画希望出した奴がいるって感じだったのでしょうね。しかも学部卒だから変に研究に拘(こだわ)ってないと。

【事業開発と製品開発を楽しんでいたら】
 新しい産業の米として電子部品が花形分野に成長していました。会社は、金属、セラミックス、プラスチックなどのいわゆる構造材料の開発では先先端を走っていました。電子部品は、機能材料と分類され、構造材料開発と多品種大量生産技術のノウハウを展開できるというストーリーでした。
 担当したのは、特殊な組成のセラミックスを焼成し、それに再度特殊な物質を反応させてつくる電子部品でした。社内のノウハウと社外から導入した技術を融合させて部品開発を進めました。そこでは得意の物理解析を駆使しました。大きな市場がある受動電子部品向けにユニークな商品が試作されました。商品を企画して自ら開発し、事業部のマーケティングの方と海外企業との提携を模索していた矢先でした。

 時はバブル。

 会社は過去最高益を出していました。これを機会にエレクトロニクス分野の多角化戦略から、千億円の桁の投資が必要ながら、利益も桁違いの最先端のLSI事業に経営資源を集中する動きになりました。当時は日米半導体摩擦学歴起こる程日本は半導体事業で最先端に居ました。

 その辺りは以下を参考になさって下さい。

 資料:日米半導体貿易摩擦とは一体何だったのか

 
 そこへの新規参入を目指し全社的な新規事業開発が始まっていました。

【またしても他人が人生の方向性を決定】
 突然、上述の大きな動きのコアメンバーに選抜されたのでした。この時も総合企画部希望を出し続けていました。願いは叶えるもの。会社の未来の中核事業への転職でした。どんどん希望に近づいて行く。

 感動的でした。

 電子デバイス研究所 デバイス開発部

 名称こそ研究所ですが、事業化に向けた組織でした。いずれは会社の持つ最先端の多品種大量生産((注)多品種少量生産では有りません)技術を移転した量産工場を持つ、鉄鋼事業の次を担う中核事業にすることがミッションでした。
 全社から選抜された10名程は、半年の研修を受けて日本海側にある製造所内に用意された秘密工場に転勤になりました。設備関係のベテランの技能系の方々が我々研修中に工場立ち上げをされていました。そこに入って提携先の基礎技術の習得と、次世代技術の開発を担当しました。
 金属工学から表面物理学、物理解析、電子部品開発をへての最先端半導体事業へのデビュー。

 ヤッター

 人生は楽しい。

 自分の希望は機会有るたびに明確に伝えていて正確でした。当たり前ですね。
 (これはもう大学に残っていたら味わえなかった。)

蛇足
 この日本海側の地は、日本酒が旨かった~。
特に二級酒というのがまだ有って、リーゾナブルに旨い酒が呑めました。

 また、海産物も秀逸でした。
冷蔵庫に入れてあったかにみそを娘に食べられるなんていう微笑ましい出来事も有りました。(笑)

 宜しければこちらもお楽しみ下さい。


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