- 運営しているクリエイター
記事一覧
人生の転機で、ウルトラCの選択肢はあるのか?【最近、八方塞がりに感じていたこと】
最近、今後の人生の転機について、ライフプランやキャリアプラン考えることが多くなりました。
転機についての詳細は書きませんが、将来進む選択肢について、A案、B案を考えています。
私はある程度まではまず自分で考えたいタイプで、色々と固まってから人に相談したいです。
なのでこの転機に関して、あれこれ考えを巡らせています。
A案、B案は、「周りの状況を考えたらこうなるよね」という案なのですが、自分
【臨時の転職活動記】無職→教員免許取得・採用試験合格の間、お世話になった職場
私は29歳の頃、新卒から働いた職場を突然辞めることになりました。その後、小学校教諭の教員免許を取得&採用試験を受けようと決心しました。
教員免許を取得するには、最短で2年かかります。
その間に、臨時で仕事をすることにしました。
「さあ、どんな職場で働こう?」
ここで巡り合った職場では、本当に、本当にお世話になりました。
この臨時の職場で採用してもらう時から、働いている間、大切にしていた事が
運転での合流は、大縄跳びに入ることに似ていると思っていた【苦手意識、からの克服記】
私は過去、運転に対する「得体の知れない自信の無さ」もあって、10年間ペーパードライバーでした。
その後、自動車通勤必須の職場に転職した時に、何とかペーパードライバーを克服しました。
その記事はこちらです♪
当時の、運転に対する「得体の知れない自信の無さ」って何だったのだろう?と思い、もう少し掘り下げてみることにしました。
〇 運転に対する、得体の知れない自信の無さの正体
私は、運転の教習の時
「運転が苦手。10年寝かせた運転免許」を克服するためにやった事
こんにちは✨
私は運転免許を取得してから約10年間、ペーパードライバーでした。運転する事に対して「得体の知れない自信のなさ」もあって、運転から遠ざかっていました。
しかし、自動車通勤必須の職場に転職した時に、ペーパードライバーを克服する必要が出てきました。
「さあどうしよう!?」
色々と対策を考え、何とか自動車通勤をしたり車で買い物をしたりと、日常生活で運転ができるようになりました。
その時
東京:蒲田の羽根つき餃子と遠距離結婚の思い出
「餃子がすき」という投稿企画があったので、思い出の餃子について書きます。
約8年前、夫と結婚しました。その当時、夫は転勤族で東京の蒲田に住んでいました。私は約800キロ離れた広島で、地方公務員として働いていました。
私は夫の転勤について行って仕事を辞めるという決断ができず、1年間は遠距離結婚で、お互いに住んでいる所で仕事をしていました。
夫の住んでいた東京の蒲田は、羽根つき餃子で有名です。お
百貨店社員→小学校教員→専業主婦の私が、キャリアコンサルタントの資格取得を目指した経緯。経歴を広い視点で見ると、やりたい事が見えてきた。
こんにちは✨にぐまっちです。
社会人になってから教員免許を取得した私は、時々ですが知り合いから「教員になった過去があるのだから、将来も教員に復職するの?」と聞かれることがあります。
そんな私が、「教員免許を活かして将来は教員に復職するぞ」ではなく、「キャリアコンサルタントの資格を取って、将来はキャリアの仕事をしたいぞ」と思うようになった経緯を振り返りたいと思います。
〇約7年前、転勤妻として専
29歳で百貨店を退職した私が、小学校教員を目指そうと決めた日のこと。その日から次のキャリアが大きく動き出した。
こんにちは✨百貨店販売職→小学校教員→専業主婦のにぐまっちです。
知り合いから時々「なぜ教員に転職したの?」「元々教員免許を持っていたの?」「元々は教員を目指していたの?」と聞かれることがあります。
私は大学の新卒採用の時は元々、教員を目指していませんでした。大学時代も教員免許は取得していません。大学の学部も教育関係ではなく政策科学部(せいさくかがくぶ)という学部を卒業しました。
ではなぜ百
百貨店→小学校教員へ。転職活動で大切にしていたこと
こんにちは✨にぐまっちです。
私は百貨店販売職から小学校教員へと、異業種に転職しました。今日はその時に大切にしていたことについて書きます。
大切にしていたこと、それは「つながりを意識する」ということです。
今までの経験で得てきたことは、成功したことも失敗したことも自分の財産になると思っています。
教員として働いたことが無いまま教員採用試験を受けたので、百貨店時代に学んだことを、教員になってから