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梶谷懐、 高口康太 『幸福な監視国家・中国』 : 〈中国化〉に大賛成は 「ネトウヨ」じゃないの?

書評:梶谷懐、高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)

2019年8月刊行の本書は、今も中国で着々と進んでいる「監視国家」化を紹介して、それがジョージ・オーウェル『1984』流の「真っ暗なディストピア」という「紋切り型」ではない、という「事実」を指摘した上で、さらにそれが「独裁国家・中国」特有の問題ではなく、日本を含むあらゆる国に関わる、普遍的な「テクノロジーと統治」の問題だということを伝えている。

したがって、「ネトウヨ」は、本書を貶したがる。
とにかく「ネトウヨ」は、何がなんでも「中国は極悪国家」であり、その意味で「特別な存在」でなければならない。「監視社会の恐怖」も、中国特有のものであって、一般的な問題であるかのような言い方は、中国擁護であり、そんな本を書くヤツは中国の回し者に違いない。この本は「中国のプロパガンダ本だ」というのが、「ネトウヨ」の主張である。

一一困ったものだ。

「ネトウヨ」にとっては、「日本の未来」とか「人類の未来」なんて難しい現実は、問題にならない。とにかく「善悪二元論の勧善懲悪」で、「中国」(と「韓国」)という「悪玉」を否定しなければならない。なぜなら、それこそが、彼らのシンプルで脆弱なアイデンティティを支える、唯一の行動だからである。
一方、祖国日本については、もう「素晴らしい」に決まっているし、その「未来」には、何の問題もない。いや、問題は、本書著者たちのような「左翼」や「工作員」の存在である。こいつらさえいなければ、日本は世界に冠たる「神の国」なのである。

一一やれやれ。

しかし、こういう「頭のおかしい人たち」は別にして、私たち「現実」が見えている人間は、最新テクノロジーの危険性を、世界共通の問題だと理解できるし、だからこそ、冷静かつ適切に問題意識を持たなければならない。

中国がじつに困った国であるのは事実で、まただからと言って、どうなっても良いというわけではないのだが、中国での問題は、決して他人事ではないのだ。テクノロジーの問題は、よその国の国家体制だけを貶して、それで済む問題ではないのである。

中国における「監視社会」の問題は、端的に言えば「良い面もある」という点にある。
「良い面もある」からこそ、危険であり、人ごとではないのだ。

(防犯カメラ=監視カメラ:日本=中国)

IT技術や人工知能などの進歩によって、私たちの社会はとても便利になっている。これは日本だけの話ではなくて、世界のどこでも基本的には同じだし、中国でも同じなのだ。中国は、この「便利さ」を「餌」として、「監視社会」化を推し進めているのである。

例えば、このレビューだって、ネットがあるから多くの人に読んでもらえる。ネットが普及する以前だったら、アマチュアが文章を書いて、それを人に読んでもらおうと思えば、印刷して編冊して、手配りしたり、郵送したりしなければならず、手間と費用がとてもかかった。ところが今は、書いてSNSにアップすれば、それで不特定多数の人に読んでもらえる。

だが、多くの「便利」には、代償が付きものだ。ネットやSNSの利用には、登録が必要であり、そこで個人情報の提供が求められる。また、情報発信すること自体が、情報の提供にもなっている。「私はこんな人間だ」「こんなものを買っている」「あそこへ行った。誰それと会った」などなど。
単なるポイントカードでも、登録時に情報提供が求められるし、キャッシュカードやクレジットカード、最近流行りの「なんとかペイ」とかいったものも、みんなそうだ。個人情報を提供し、購買行動などの個人情報を提供し続けることで、便利なサービスを受けているのである。

そして、中国の「監視社会」というのも、基本的にはこれと同じである。
個人情報を提供すれば、便利なサービスが受けられる。個人情報を提供したところで、ことさら「反社会的」あるいは「反国家的」を言動をしなければ、不利益を被ることはない。つまり、普通の人にとっては、「監視国家」化は、サービスの充実という点において、便利なのである。だから、多くの人は進んで情報提供して、その監視下であり庇護下に入っていくのだ。
つまり、こうした点においては、すでに中国も日本もアメリカもないのであり、今の中国の姿は、近い将来の日本の姿かもしれない。だから、よくよく注目し、考えなくてはならない。

もちろん、日本と中国の違いはある。著者が指摘するとおり、中国特有の世界観が、こうした「上からの見えない管理」を、世界に先駆けて徹底させたという部分もある。
また、著者はなにも、中国と日本を一緒くたにしているわけではないし、こうして進化した「監視統制」技術が、新疆ウイグル地区における非人道的な差別政策に悪用されている事実も、その非道さも十二分に承知しているし、それを非難してもいる。

(新疆ウイグル地区の監視カメラ)

しかしそれは、日本の、あるいは世界の国々の、将来的な「似姿」かもしれないのだ(ネトウヨならきっと、外国人区別(差別)に使え、と言うだろう)。
中国そっくりそのままではなくても、「技術的な進歩」の問題と「人間の(易きに流れる)性向」の問題として、その「似姿」になる可能性は否定できないのである。

わが国でも「マイナンバーカード」制度が実施され、それがコロナ禍の下で「将来的には、通院履歴などとも紐付けしなければ」なんて話になっているし、最初から「いずれは銀行口座などの資産情報とも紐付けがなされる」なんて話にもなっている。
さらに、今国会では「デジタル庁」の設置法案が可決される予定だ。菅義偉首相は「複数の省庁に分かれる関連政策を取りまとめて強力に進める体制として、デジタル庁を新設いたします」なんて、型通りに「便利さ」を強調しているが、これは中国がやっていることに早く「追いつけ」って話でしかない。
なのに「ネトウヨ」は、これを「ありがたい」としか考えない。日本が「中国のように(便利に)なる」かもしれない、とは考えない。

(「監視社会」問題以前の問題も日本にはある)

中国では、「ネトウヨ」にように「ものを考えない、従順な愛国者」は、ありがたい存在だろう。
だが、少しでも物を考える頭のある国民は、日本でも中国でも「便利な監視国家化」について、危惧の念を抱いているのである。

初出:2021年3月11日
  (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年3月18日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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