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玉川重機 『草子ブックガイド 1』 : 救いとしての本・ 励ましとしての作品

書評:玉川重機『草子ブックガイド 1』(モーニングKC・講談社)

2011年に刊行された、シリーズ第1巻で、現在は第3巻まで刊行されている「読書マンガ」である。(WIKIpedia「草子ブックガイド」

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(※  この表紙画には、造本による仕掛けがある。実は、この表紙画自体には色はつけられておらず、下の色が淡く透けて見えるように造られているのだ。装幀家・土橋聖子の愛を感じる、凝った造本だ)

同著者の作品は、以前に『西荻ヨンデノンデ』(講談社)を読んでいるが、これも「読書マンガ」で、この時は、作中で扱われた作品の一つに、中井英夫の短編集『真珠母の匣』の一編が扱われていたため、中井ファンとしてチェックしたのであった。

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(中井英夫『とらんぷ譚』4部作・左から『幻想博物館』『悪夢の骨牌』『真珠母の匣』『人外境通信』。合本『とらんぷ譚』もある)

本作は、著者の第一著作であり、最も長く続いたシリーズということで、その作家性を確認すべく読んでみたのだが、基本的には『西荻ヨンデノンデ』と印象は変わらず、著者は本当に「本が好きな人」だというのが、よくわかった。

そして、本書『草子ガイドブック』第1巻に感じたのは、なにより作者の、その繊細さと誠実さである。

玉川重機を好きになる読者というのは、きっと、多人数で集まってワイワイ騒ぐのが苦手で、どちらかと言えば、低くクラッシックが流れているような、落ち着いた喫茶店の片隅で、お気に入りの文庫本を読んでいたい、と考えるようなタイプなのではないだろうか。学生なら、休み時間もウロウロしたりせず、読みかけの文庫本を開くタイプである。

ただ、そうした「人柄の良さ」を感じる一方で、やはり「線の細さ」というものも、同時に感じずにはいられなかった。
そしてこれは、単に作者の「人柄」には止まらず、そのまま「作風」にも表れていて、いまどきのコミックの世界では、周囲の元気なマンガに弾き飛ばされてしまいそうな、物静かでおとなしい作風なのである。

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小説読みの中でも、いわゆる「文学作品」を愛好するような人なら、本書にシンパシーを感じるだろうが、そうでない当たり前のマンガ読者には、古風で上品な作風が「物足りない」と感じられるかも知れない。

この作家の「作風」は、スクリーントーンを使わず、手描きのカケアミで丁寧に描き込んでいくその画風と同様、勢いのある筆致でグイグイ読ませるタイプではなく、ひとコマひとコマ慈しむように読み進めることを期待するタイプだと言えるだろう。だが、この個性は、この時代においては、必ずしも有利とは言えないものだ。

この作者には、明らかに「自分にとっての、書物の宇宙」がある。
もちろんそれ自体は、大切なものなのだが、しかし、その宇宙は、時に読者を選んでしまうところがあるようだ。それは、作者の描く「書物の宇宙」に、作者自身が、予定調和的な「救い」を求めている部分があるからではないかと、私には思える。
つまり、作中人物ではなく、作者自身が、どこかでこの騒々しい現実世界を嫌悪して、この世界から逃れたがっているように感じられるのだ。

そして、作者にこのような「現実嫌悪」があればこそ、逆に作中人物たちは、本を通して、精一杯この世界を肯定しようとするのだが、そこには、この現実世界そのものを肯定しようとか、この現実世界そのものと向き合おうとかいった意志までは無いように感じられる。あくまでも、間に本を噛ませた上での、私と現実世界との繋がりでしかないようなのだ。

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したがって、作者に少しでも、そうした「弱さ」を克服したいという意志があるのであれば、無理をしてこの世界を肯定し、結果として、世界を虚構的に美化してしまうのではなく、いったんは「嫌なものは嫌、認められないものは認められない」と、正直に、世界と対決してみることが、必要なのではないだろうか。

自分を押し殺し、無理をしてでも、この世界を肯定して見せる「良い子」ではなく、世界との対決の中で、世界との結びつきを回復すべきではないか。

まだ2冊しか読んでいないので、断定的なことは言えないが、そうすることでしか、著者自身が、本当の意味で、本を肯定し、本が与えてくれるものを、全的に「肯定する」ことは、出来ないのではないだろうか。

読書というものは、何も「肯定する」だけのものではない。
「これは合わない」「これは嫌いだ」「この考え方は、絶対に認められない」と感じる本は、必ずあるはずで、そうした本を読むことも読書のうちなのだから、そこを描かずして、読書を、本の魅力を、描くことはできないのではないか。

では、なぜ、批判否定できないのであろう。それは無論、読者の多くが読書に関する「良いお話」を求めているからということはあるだろう。
だが、この誠実な作者の場合は、そうした功利的な理由ではなく、純粋に「本の世界においては、肯定したい」という願望が、そのまま表れているのではないか。

だが、批判し否定することもまた、信頼であり愛があってこそ出来ることなのだし、自分の「読み」が絶対的に正しいというわけでもないのだから、むしろ本を信頼し、作品にぶつかっていくことこそが、大切なのではないだろうか。

若い頃に全然つまらないと否定した本が、大人になって読むと無性に面白かったなどということは、当たり前にある。その逆も、またある。
その時その時、自分がその作品に誠実に向き合い、正直にその評価を語ったればこそ、後になって、自分がどのように変わったのかを知ることもできるだろう。自分が成長したのか、あるいは退化したのかを、その本がきっと教えてくれるはずだ。

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本書の著者・玉川重機に、今の「線の細さ」を乗り越える契機があるとしたら、それは「本に関わる全肯定」という無理な自己欺瞞を捨てて、もう一度正直に本と向き合い、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、わかるものはわかるし、わからないものはわからないと、そう率直に応答してみることではないか。
そうすれば本は、相応に、力強い回答を投げ返してくれ、一人の読者である本書著者も、本との新たな、力強い関係を結び直せるのではないだろうか。

私は、一皮むけた作者の作品を、読んでみたいのだ。

『このいい方もいまは陳腐だが、幻想文学の書き手にもっとも必要なのは、峻烈な現実凝視の他にはない。』

(中井英夫「七いろの翼」、第1回幻想文学新人賞選評)


(2022年6月13日)

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