前田 岳郁

まえだ・たけふみ =映画ブロガー▼古い映画、古い音楽、古い本、古い漫画が好きな、もと新…

前田 岳郁

まえだ・たけふみ =映画ブロガー▼古い映画、古い音楽、古い本、古い漫画が好きな、もと新聞記者 ▼落語は古今亭志ん生推しです▼福岡県北九州市出身

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「北九州キネマ紀行」へようこそ〜ささやかな前書き

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北九州キネマ紀行【門司港編】戦地に赴く小林正樹監督が置いた〝遺書〟をめぐる物語

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「北九州キネマ紀行」へようこそ〜ささやかな前書き

「北九州キネマ紀行」へようこそ〜ささやかな前書き


「北九州キネマ紀行」とは

「北九州キネマ紀行」をご覧いただき、ありがとうございます。
このページは、北九州キネマ紀行本編の(ささやかな)前書きです。

福岡県北九州市は、九州の最北端にあります。
北九州キネマ紀行は、このまちでロケが行われたり、このまちと何らかの接点があったりする、主に古い日本映画やそれに関連するエピソードなどを綴っています。

わたしは北九州生まれの一映画ファン(昭和世代)。

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北九州キネマ紀行【門司港編】16歳・原節子は門司港からドイツに向かった〜1937年の新聞に見る国民的アイドル出国騒動記

北九州キネマ紀行【門司港編】16歳・原節子は門司港からドイツに向かった〜1937年の新聞に見る国民的アイドル出国騒動記


それは1937(昭和12)年3月だった

戦前・戦後の映画界の大スター、原節子(1920〜2015)。
彼女が門司港(福岡県北九州市門司区)にやってきて、大騒ぎになったことがあった。

それはインターネットもなければ、テレビもない1937(昭和12)年3月のこと。
彼女は当時16歳。
すさまじい熱狂の様子を、当時の新聞からたどってみたい。

初の日独合作映画のヒロインに

小津安二郎監督らの映画

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北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんと小倉の〝接点〟とは〜幻の映画「無法松の一生」、そしてシュルツ君のこと

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「無法松をやっておけばよかった」

北九州とゆかりのある映画俳優、高倉健(以下健さん)=2014年に83歳で死去=は、小倉(現在の福岡県北九州市)が舞台の映画「無法松の一生」に出演する話があった。
しかし、それは結局実現しなかった。
そのことについて、健さんは自著で次のように述べている。

健さんの無法松‥‥。
想像すると、何だかカッコ良すぎる気もするが、これは見てみたかった。
実現していれば、

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北九州キネマ紀行【門司港編】門司の映画人が監督した「ゴジラの逆襲」〜まちの発展は明治から始まった

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怪獣映画の金字塔の続編

怪獣映画の金字塔といえば、1954(昭和29)年公開の「ゴジラ」
(監督・本多猪四郎、特殊技術・円谷英二ら)。
大ヒットして、翌年の1955(昭和30)年に
続編「ゴジラの逆襲」が公開された。

1作目で死んだと思われていたゴジラは、生きていた。
「ゴジラの逆襲」では、怪獣アンギラスが登場し、ゴジラと対決する。

「ゴジラの逆襲」の監督は、小田基義氏(以下敬称略)。

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北九州キネマ紀行【若松編】吉永小百合が若松の女性を演じた「玄海つれづれ節」は映画館への〝愛〟がにじむ

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前を向いて生きる女性を演じた

日本を代表する映画女優、吉永小百合。
彼女が「北九州(若松)の女性」を演じたのが映画「玄海つれづれ節」=1986(昭和61)年公開(監督・出目昌伸、原作・吉田兼好、脚本・笠原和夫ら)。
東映の人情コメディーだ。

吉永の長いキャリアの中でも、彼女が北九州の女性を演じたのは、この作品が唯一のはず(北九州の近くでは、筑豊が舞台の映画「青春の門」に出演)。

「玄海つれ

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北九州キネマ紀行【小倉編】「銀河鉄道999」は小倉から旅立った〜漫画家・松本零士が乗った東京行き夜行列車

北九州キネマ紀行【小倉編】「銀河鉄道999」は小倉から旅立った〜漫画家・松本零士が乗った東京行き夜行列車


高校時代から新聞に連載を持っていた

「銀河鉄道999」などの作品で知られる漫画家・松本零士さん(以下、敬称略)は2023(令和5)年2月13日、85歳で亡くなった。

松本は福岡県久留米市生まれ。
小学校から高校時代を現在の北九州市・小倉で過ごした。
小倉南高校の生徒だった松本は、当時すでに毎日小学生新聞で連載を持つなど、その才能を開花させ始めていた。
松本の漫画家としての〝原点〟は小倉で育ま

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北九州キネマ紀行【門司港編】戦地に赴く小林正樹監督が置いた〝遺書〟をめぐる物語

北九州キネマ紀行【門司港編】戦地に赴く小林正樹監督が置いた〝遺書〟をめぐる物語


この記事に書いていること

小林正樹(1916〜1996)という映画監督がいた。
「人間の條件」や「東京裁判」などの作品で知られる。
北海道小樽市出身の人だが、九州最北端のまち・福岡県北九州市の門司港とは、一つの〝縁〟がある。

映画「人間の條件」予告編( 約3分)

その縁とは‥‥。
1941(昭和16)年12月8日、太平洋戦争が始まった。
小林はその年の5月、松竹大船撮影所に入社していたが、

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北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんと江利チエミが見た映画「哀愁」〜そして健さんの映画で流れた「テネシー・ワルツ」

北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんと江利チエミが見た映画「哀愁」〜そして健さんの映画で流れた「テネシー・ワルツ」


この記事に書いていること

北九州とゆかりのある映画俳優、高倉健(以下、健さん)は2014年11月10日、83歳で亡くなった。
健さんは1959(昭和34)年、歌手の江利チエミと結婚。
健さんは28歳、江利は22歳だった。
二人は1971(昭和46)年、離婚。
江利は1982(昭和57)年、45歳の若さで亡くなった。

二人が知り合う遥か前、高校生の健さん(高校は現在の北九州市にある東筑高校)は

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北九州キネマ紀行【小倉編】黒澤明も関心を寄せた? 幻の清張映画「黒地の絵」

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小倉祇園太鼓も絡む小説「黒地の絵」

松本清張(1909〜1992)は、現在の北九州市小倉北区出身の作家。
「黒地の絵」は1958(昭和33)年に清張が発表した小説。

「黒地の絵」の舞台は戦後間もない小倉。
地元の有名なお祭り・小倉祇園太鼓もストーリーに絡む。

清張は「黒地の絵」の映画化を望んでいた。
しかし、結局、それは実現しなかった。
幻となったプロセスをたどると、あの黒澤明(映画「七人

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北九州キネマ紀行【若松編】高倉健さんが学徒動員されていた地にまつわる不思議な話

北九州キネマ紀行【若松編】高倉健さんが学徒動員されていた地にまつわる不思議な話


貨車から石炭を降ろす作業をさせられていた

2014年に83歳で亡くなった映画俳優、高倉健さん(以下、健さん)は、戦時中だった中学生の頃、学徒動員されていた。
健さんは当時のことを、次のように書いている。

健さんが学徒動員されていたのは、若松。
若松は九州の最北端、福岡県北九州市にあるまち。

八幡製鉄所(現日本製鉄)は当時、兵器製造の要である鉄を生産し、米軍の攻撃目標になっていた。
「湾」と

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北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんが玉音放送を聞いたお寺をさがして

北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんが玉音放送を聞いたお寺をさがして


「8月15日」健さんは14歳だった

2014年に83歳で亡くなった映画俳優・高倉健さん(以下、健さん)は、終戦の時、14歳。
健さんは、自身の手記で、終戦を告げる玉音放送(昭和20年8月15日)を香月のお寺で聞いた、と明らかにしている。
香月は、現在の福岡県北九州市八幡西区。
しかし、お寺の名前は書かれていない。
健さんが玉音放送を聞いたという、香月のお寺とは、どこだったのか‥‥。

玉音放送

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北九州キネマ紀行【門司港編】昭和の喜劇王・古川ロッパが子ども時代を過ごしたまち

北九州キネマ紀行【門司港編】昭和の喜劇王・古川ロッパが子ども時代を過ごしたまち


数多く映画にも出演したロッパ

古川ロッパ(緑波)という喜劇役者がいた(以下、ロッパ)。
「昭和の喜劇王」とも呼ばれた。
彼は数多くの映画にも出演。
その映像のいくつかはyoutubeで見ることができる。

ロッパの姿を少しだけ紹介したく、下の映像を貼らせていただく。
出典は1946(昭和21)年公開の映画「東宝シヨウボート」だろうか(約50秒)。

ロッパは子どものころの一時期を門司で過ごした

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北九州キネマ紀行【八幡編】原節子が出演した〝幻の〟国策映画と、わたしの「戦争」

北九州キネマ紀行【八幡編】原節子が出演した〝幻の〟国策映画と、わたしの「戦争」


その映画は「熱風」(昭和18年公開)

原節子という映画女優がいた。
日本映画の歴史教科書〈女優編〉で必ず名前が出る人。
よく知られているのは、小津安二郎監督の映画「晩春」(1949年)や「東京物語」(1953年)などの娘役。

原節子は2015(平成27)年に95歳で亡くなった。
亡くなったことが明らかになった時は、けっこう大きなニュースになった。
原節子は42歳だった1962(昭和37)年公

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北九州キネマ紀行【若松編】〝東洋一の吊り橋〟の開通式をご覧あれ〜サラリーマン喜劇「社長漫遊記」

北九州キネマ紀行【若松編】〝東洋一の吊り橋〟の開通式をご覧あれ〜サラリーマン喜劇「社長漫遊記」

森繁社長が若松にやってくる九州最北端の福岡県北九州市。
ここにある若松は、過去いくつも映画の舞台になってきた。
今回ご紹介するのは、そのうちの一本、1963(昭和38)年公開の「社長漫遊記」(杉江敏男監督)。

この映画は、東宝が高度経済成長時代に放った喜劇「社長シリーズ」33作品(1956〜1970)のうちの第16作にあたる。

社長は、映画やラジオ・テレビ、舞台で活躍した昭和の名優、森繁久彌。

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北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんの〝初恋〟の先生は門司に健在だった?

北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんの〝初恋〟の先生は門司に健在だった?

〝初恋〟の人は小学校の先生だった高倉健さんは、自著「あなたに褒められたくて」と「少年時代」の中で、自身の初恋について明らかにしている。

それによると、お相手は、転校した本城小学校(現在の北九州市八幡西区)の2年の時の担任の先生。

名前は、健さんの本名と同じ「小田」といい、若くて袴姿が美しい、優しい先生だった‥‥と書いている。

小2といえば、8歳か9歳のころ。
時代でいえば、昭和14年か15年

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北九州キネマ紀行【八幡編】製鉄所を舞台にした異色映画「この天の虹」

北九州キネマ紀行【八幡編】製鉄所を舞台にした異色映画「この天の虹」


八幡製鉄所が撮影に全面協力

北九州は昭和の時代、「四大工業地帯」の一つに数えられた。
それを象徴する企業の一つが八幡製鉄所(現在は日本製鉄)。
八幡製鉄所は1901(明治34)年に操業を開始した「官営八幡製鐵所」が始まりで、鉄の生産によって日本の近代化を支えた。
関連企業も集積し、八幡のまちは大変栄えた。

その八幡製鉄所を舞台に、若い職員たちの恋愛劇を描いたのが、1958(昭和33)年公開の

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