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【書評】三島由紀夫『金閣寺』を読み、これが天才なんだと実感した。

ロッシーです。

三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。

いや~まさに「ザ・文学」という感じでしたね。

一度だけ読んで消化できる作品ではありません。いつか必ず再読しようと思いました。

小説『金閣寺』を巨大な建物だとすると、今回はその場所と外観を知ることができたレベルですね。次回読むときには、建物の中に入って、より深く小説の世界に触れたいと思います。

それにしても三島由紀夫は天才ですね。

本書における美しい文体・文章・レトリック、豊富な語彙、複雑な哲学、禅や建物に関する細かな描写・・・この作品を書いたのは彼が31歳のときですよ!信じられます?

もっと他の三島文学を読んでみたくなりましたが、今は『金閣寺』でお腹がいっぱいです(笑)。

ぜひ、まだ読んでいない方はおすすめです!


優れた古典は色々な解釈ができるもので、この作品もそれは同様です。

私は、本書を読んで、ドストエフスキーの『罪と罰』を連想しました。

『金閣寺』の主人公は、金閣を燃やします。
『罪と罰』の主人公は、老婆を殺します。

そういう意味では、両者に共通しているものがあるように思いました。

ただ、大きな違いとしては、金閣は人間ではなく建物という点です。その分、人間よりも解釈の余地が広がるように思います。つまり、「金閣が何を象徴しているのか」についてより重層的な解釈が可能になるということです。

ざっと挙げてみただけでも、金閣は以下の象徴と考えることができると思います。

  • 物質的豊かさ

  • 美しさ

  • 虚無

  • 権威

  • 宗教

  • 歴史

  • 伝統

  • 過去

  • 永遠

  • 絶対的存在

  • 理想

  • 精神

これらの要素が組み合わさると、さらに解釈は複雑になっていきます。

  • 美しさと虚無

  • 精神と物質的豊かさ

  • 歴史と過去

  • 永遠と刹那

  • 権威と反抗

  • 理想と現実

  • 虚無と妄信

そして、なぜ主人公が金閣を燃やそうとしたのかについても、色々な解釈ができるでしょう。

『罪と罰』でラスコーリニコフが老婆を殺した動機としては、ナポレオンになりたかった、一歩を踏み出したかったなど、ある程度分かりやすい解釈が可能かもしれません。

しかし『金閣寺』の主人公はそう簡単なものではなく、動機についてより複雑な解釈が可能であり、何らかの単一の動機を想定することは困難です。

『金閣寺』の主人公は、吃音症であり自分の内面と外部とをうまく繋ぐことができない状況です。名前が「溝口」ということからも、彼自身がいわば外部世界と内部世界との境界にいるマージナルな存在であり、かつ両者に引き裂かれている存在ととらえることもできるでしょう。そして、彼は金閣寺の内部で徒弟として生活しており、破壊対象の内部に包摂されている存在でもあるわけですから、ややこしさにさらに拍車がかかるわけです。

さらに金閣寺自体、建物は3階建てで、第1層を寝殿造風、第2層を住宅風、第3層を禅宗仏堂風に造られており、公家文化、武家文化、仏教文化が重なっている建物です。このような重層的な歴史をもつという意味では、金閣が日本という国を象徴していると捉えることも可能かもしれません。

仮に金閣=日本と捉えた場合、それを破壊するというのは、これまたどういう解釈になるのか?という問題も出てきます。本書が発表された当時(1956年)の状況についての時代考察や、三島由紀夫が当時の状況をどのように捉えていたのか?という点についても知る必要が出てきます。


こうやって色々と書きましたが、この作品だけでも文学的研究意義があると思います(だから古典なんでしょうけれども)。

本作品を「コミュ障の非リア充が放火した無敵の人を描いた作品」と単純に捉える読み方も可能かもしれません。しかし、それだけにとどまらない豊穣な解釈をその深みに湛えている作品だと思います。


まあ、とにかくこのような作品を生み出した三島由紀夫は凄い!ということだけでも伝われば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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